恋は遙かに綺羅星のごとく

        Euph.作


皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾六日 金曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 メインストリート

 鮮やかな黄色に色ずいた銀杏並木を後にして、専門棟裏手に回り込んだオレたち。八千代はオレを連れて迷いもせずにプレハブの立ち並ぶ部室棟へ向かっていた。 放課後、元々オレもそこに向かうつもりだったのだけど、今日が始めてであるはずの八千代は迷いもしないんだ。今日が転入初日だというのに。
「なあ、君は――」

「八千代だ!」

 これだ。先ほどから、オレは彼女のことを下の名前で呼ぶように半ば強制されていた。儚げで消え去りそうな第一印象とはかなり違う。こうして話していると、八千代は活発で利発な女の子だった。 奥ゆかしき大和撫子というよりは、我先にと敵陣へ切り込む猪武者にも見えた。
「八千代、君はいったいどこに向かっているんだい?」
「決まっている。文芸部の部室だ。――カナタは妙なことを聞くのだな。確か、そなたは放課後は必ずそこで過ごすと聞いた」
 だから、どうしてそれを君は知っているんだよ。ま、まさか。ストーカー!? でも、こんな綺麗な子になら、ストーキングされても良いかも。――って、ダメダメ! ここは、はっきりと言っておかないと!
「ねぇ八千代、君は――」

 八千代がオレを振り向いた。息を呑むほどの笑顔だった。それはもう、向日葵と言うか、太陽と言うべきか。
「――どうしたのだ、カナタ?」

 オレの顔を、その澄んだ瞳が無防備にも覗き込んでくる。う……。ダメでした。とてもじゃないけど、ストーカーだ何て言えない。言えないよ。

「さぁ、ついたぞ。カナタ! 文芸部だ!」

 そう。ここ部室長屋の一角。文芸部と書かれたプラスチックの表札を指差しながらオレを見る八千代の笑みは本物だった。そしてそれはとても嬉しそうに見えた。もう笑うしかない。八千代は思わずオレも嬉しくなるほどの笑みを浮かべていたんだ。


皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾六日 金曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 文芸部部室

 大江戸特芸高専文芸部。何の事は無い。この文芸部はオレ、土岐カナタとその奇矯な幼馴染の毛利(もうり)琉璃夏(るりか)の二人だけを部員に持つ廃部寸前の寂しい部活だ。 現状、部室はオレたち二人の遊び場と化しており、読みかけの雑誌やマンガ、そしてゲーム機が転がっている。いずれもオレたちが家から持ってきたものばかり。過去の栄光と言えば部屋の隅の棚に仕舞われている数冊の機関紙『一騎当千』のみだった。そもそもこの文芸部はオレたち一期生が入学したとき、オレたちの担任でもある桜塚(さくらづか)弥生(やよい)助教授が顧問となって始めた『文化部のテストケースその一』に過ぎなかった。 以前はオレたち以外にも三人の学生が部員として在籍していたのだけれど、その子達は部活を退部するどころか自身の進路そのものに疑問を持ってしまい、昨年までに学校を中退していた。
 部室に入り、オレは胸をなでおろしたよ。良かった、中に誰もいなくて。まだ琉璃夏の奴、お菓子の買出しから戻って来ていないや。オレが八千代を連れていることを知ったなら、きっと面倒なことになるに違いないんだ。だけど、幸い今は不在。今のうちに八千代と話を済ませてしまおう。
「八千代、とりあえず座ったら? その椅子使って良いからさ」
 散らかっている部室の中身に驚いているのか、八千代は周囲をおっかなビックリ見回しながら、先ほどまでとは正反対のぎこちない動作で席に着いた。おそるおそる椅子を引き、そっと浅く腰掛ける。オレは急須に適当に、遠く九州は八女のお茶の葉を入れ、ほのかに色がつく程度の適当さで熱い玄米茶を用意した。
「良かったらお茶でもどうぞ。今はこんなお茶しか出せないし、お菓子もないけどね」
 八千代の前に湯気を立てる有田焼の湯飲みを置いてやる。お礼もそこそこに受け取る八千代はオレの顔を食い入るように見詰め、あろうことか、こんなことを口走ったんだ。
「こうしてみるとカナタ。そなたは本当に――綺麗だな。儚げで、繊細で……女として、つい見とれてしまう。――羨ましい」

「……」

 オレは絶句して二の句が告げなかった。
「そなた……誠に男子なのか!?」

 聞かなかったことにしよう。オレの美少女と見まごう外見。――認めたくは無いけれど、そうとしか表現できない容姿。家事も完璧にこなす未来の奥様候補。悲しいかな、男子にラブレターを貰うことも多い。面と向かって告白されると言う恐怖体験も一度や二度ではない。 歳を重ねればヒゲでも生えるかな、と密かに期待していたのだけれど、そんな気配は全くなく。むしろ逆に肌がすべすべのつやつやになる始末だった。最近では他人から男性に見られることをほとんど諦めていた。この学校には変人が多いから、オレのような容姿も目立たない――とは言い切れないけれど、そう目立った存在ではなくなっていたのもそんな幻想を抱いていた一因だった。 ――でも、美少女然とした八千代に、こうもはっきりと面と向かって言われると、ズキリと胸が痛む。オレを男性として見て欲しい、そう思わずにはいられない。普段はそこまで思う事はめったの無いのに、八千代をこうして前にした今日だけは、強く心が痛んだ。この子にだけは、八千代にだけはオレを男性として見て欲しい――。
 はぁ。オレは溜息をつく。そんなことをいつまでも考えていても仕方がない。整形でもしない限り、オレの人相が変わるわけでもないのだから。
 オレは椅子を引き、八千代の向かい側に腰を下ろす。ここはまぁ、気を取り直して――。
「でさ。オレのことより、なぁ八千代? 君はオレに用があるんだよね。違う?」

「!?」

 八千代は飛び上がって驚きを示す。あれ? 外れたかな?
「そうじゃないの? 用は無いんだ? ホントに?」

「い、いや、用はある。あるぞ。あるとも。その、あの。――聞いてくれるのか?」

 この流れでいまさらそれを言っちゃいますか。聞かない、という選択肢はもう無いだろ? 八千代は自分の革張り黒鞄を開け、四枚のCDを取り出した。CD? 珍しいな、今どきCDメディアなんて。
「何の曲かな? ボカロ? もしかして君が打ち込んだの? そこにコンポあるから、かけて良いよ」

「ボカロじゃない。パソコンゲームのDVDだ 自分の大好きな、宝物だ――」

 え? パソコンゲーム? しかも四枚組みのDVD? そんな大作、早々無いはずだ。思い当たるのは父さんのソフトハウスが出した伝説級のパソゲー『恋は遥かに綺羅星のごとく』くらい。でもあれは美少女ゲームだし八千代のようなリアル美少女が手に取るようなものではない。
 そんなオレの思いを知ってか知らずか、八千代はそのDVDを何か神聖なもの、得がたき何かを扱うかうが如き恭しさでオレに差し出した。
 八千代からそれを受け取ったオレはDVDのレーベルを確認する。ああ、間違いない。この流れるような飾り文字、そして控えめに言っても「イタイ」としか表現できない挿絵。そうとも。間違いない、このDVDの中身は――。
「これは『恋は遥かに綺羅星のごとく』だ。カナタの父上、トバリがメインシナリオを担当されていたと聞いている」

 なんだって!? どうして君はこれが父さんの作品だなんて知ってるの?
 それも疑問だったけれど、八千代の次の台詞はそんな事は些細なことに過ぎないと、軽く吹き飛ばしてくれた。
「カナタ、一生のお願いだ。メインヒロインであるユリルートの攻略法、トゥルーエンドに至る道筋を教えてくれ。頼む! 邪道だとはわかっている。しかし、何度やっても、一向にハッピーエンドに辿りつかないのだ! 頼む! この通りだ!!」

 八千代はにわかに立ち上がり、オレに向かって深々と頭を下げていた。
 ――へ!?
 これには参ったよ。オレはこのとき、さぞ間抜けな顔をしていたに違いない――。