恋は遙かに綺羅星のごとく
Euph.作
なんなんだ。俺が体を起すと見目麗しい少女が二人もオレの顔を覗き込んで来た。そう、オレの目の前には琉璃夏の今にも泣き出しそうな顔があった。そして隣には八千代の姿もある。
「――大丈夫か、カナタ。先ほどは――その――済まない。気が動転してた――しかし、貴様が悪いのだぞ」
「カナタ。気がついたようだな。というか、そのまま寝息を立てていたな? 琉璃夏に色々聞かせてもらった。そなたとは幼馴染だと聞いた」
室内を見渡す。ここは部室、文芸部の部室だ。部屋にはオレの他に二人いる。オレの顔を覗き込んでいる八千代と琉璃夏だ。カーテンが開け放たれた窓に目を向ける。外はもうすっかり暗くなりつつあるようだ。
全く、いつもの事とはいえ酷い目にあった。
「琉璃夏、お前少しは加減しろよ」
「黙れ、元はといえばカナタ、貴様が悪いのだ」
涙ぐんでいても強がりだけは止めないらしい。
「ねえ、今何時かな? もう随分な時間じゃない? 二人とも、今日はもう帰ろうよ」
琉璃夏に文句を言っても聞いてもらえたタメシはない。オレは帰宅を提案した。
「今は18時を少し回ったところだ。そろそろ何か腹に入れたいと思っていたころだ」
琉璃夏が賛同する。八千代はどうなんだ? ――八千代、こんなに遅くなって大丈夫だったのかな?
「八千代も帰ろう?」
八千代に声をかけてみたものの、八千代からもたらされたのは返事ではなく質問だった。
「そんなことよりも、教えて欲しいのだ。カナタ。今、琉璃夏から『恋は遥かに綺羅星のごとく』のユリルートにはバッドエンドのみが存在していると聞いた。本当なのか? トゥルーエンド――ハッピーエンドは存在しないのか?」
八千代が立ち上がる。彼女は遠い目をして夕闇に沈む窓の外を見ながら言った。
「あれでは、ヒロインのユリがあまりに不憫だ。あのシナリオは実話なのであろう? 自分はそう聞いたことがある。 ゲームの中の、虚構の世界の中ですら実らぬ恋とはいったい何なのだ……可哀想にも限度と言うものがあるだろう?」
八千代の声はどことなく真剣に聞こえた。いつしかオレは、それを真面目に受けて止めていて――真面目に考えていたよ。八千代の疑問。そうさ。そのシナリオを書いた父さんが考えなかったわけがない。実際、発売後、そっち系の掲示板で物議も醸し出したと聞く。
「そなたの父上は、実らぬ恋に終わった現実が余りにやるせなかったからこそ、事を詳細に覚えていたのではないか? よほどの想いがあったからこそ、ゲーム化まで行ったのではないのか? ――二人の恋が、せめて架空の世界でだけでも実るように、叶わぬ恋をせめて空想の世界で実らせたいと願って――ああ、なんと美しき恋の形なのだろう。それこそタイトルにあるがごとく綺羅星のような輝きを持っていたに違いない――自分はそれを思うとあたかも自分の事のようにこの胸が張り裂けそうで――カナタ、願わくは自分と――自分とも夢の如き営みを――は!? ……とまぁ、自分の推測ではあるがな」
いま、何か話の途中で八千代が別の何かに見えなかったか? 気のせいか? まぁいいか。八千代の指摘はどうなんだろうか。でもそれは父さん本人しかわからない事なんだろうな。――ん? 琉璃夏? 八千代を見て大口を開けたまま固まってるじゃないか。なんだ? どうしたんだ? 変な奴だな。
オレがそんなことを考えていると、――ポン。八千代の手を打つ音がする。
「なあ、カナタ。良い事を思いついた」
「なんだい?」
八千代の純粋極まりない満面の笑み。
「無いのであれば、新たに創ればよい。ハッピーエンドを創るのだ。そうとも。あのユリとトバリの作り出す二人の未来を創ってみないか? ――自分たち二人で。ユリとトバリが果たせなかった永遠の愛の契りを自分ら二人の手で創るのだ。どうだ? それはきっと素晴らしいことに違いない。この二人の想いに確かな意味を持たせるのだ。二人に芽生えた想いが決して絵空事ではなく、愛し合う二人が同じ夢を永遠に見続けていられるように。このときの二人があと一握りの勇気さえ持ち合わせていれば、きっと切り開くことが出来たであろう未来の姿を自分ら二人の手で創るのだ! 自分らの手でユリとトバリに勇気と言う名の愛を与えようではないか。そうとも。それが良い。自分はそなた、カナタとそれが創りたい! 是非創ろうぞ!」
なんだと!? とんでもないことを言っていないか!? 八千代の奴!!
創る? 『恋は遥かに綺羅星のごとく』のユリルートのハッピーエンドを創るって? オレが? 八千代と? 琉璃夏も八千代のこの言葉には面食らったようで、驚きの表情を隠せないでいた。
「ライセンスの件は任せておけ。なに、自慢するわけではないが、自分の家はちょっとした資産家だからな。このくらいの我侭、聞いてもらっても良いだろう」
はぁ? ライセンスって? 琉璃夏はしばらく考える素振りをしていたが、やがてにやりと笑う。
「なぁ、私も乗って良いか? その話。いずれにせよ今度の高専祭には、何らかの成果を発表せねばならんのだ。下らぬ文集など書くよりは、そちらのほうがよほど面白い。うまくいけば、我らの野望の手助けともなるだろう。なにせ、あの『コイハル』だ。――そうは思わないか? カナタ」
「琉璃夏――お前まで何を言い出すんだよ。アドベンチャーゲームに開発がそんなに簡単にできると思ったら大間違いだよ」
琉璃夏があの表情をしてロクな事が起きたためしがない。オレはすかさず噛み付いた。
「その点も任せておくがよい。画像、音楽、効果音、版権その他全て関係各社より加工改変自由許諾権つきで買い取って来る。明日にはデータどころか当時の開発資料まで一切合財揃うと思ってくれていて構わない」
八千代の大口は留まることを知らない。
「明日!?」
「それは素敵なことだな。胸が今からワクワクするよ。カナタ、直感だが、八千代の言っている事は間違いなく実行される。そんな予感がするんだ。そうとも。――我の研ぎ澄まされし第六感が、八千代の話が全て真実であると告げている。私が保証するから、後はカナタ。あとは貴様が覚悟を決めろ」
琉璃夏、無茶苦茶だ。いつも以上に無茶苦茶すぎるぞお前。お花畑なこと言うんじゃない。それに琉璃夏、八千代のこと呼び捨てか? いつの間にそんなお友達の仲になったんだよ!
「カナタがユリルートのシナリオを加筆・修正し、トゥルーエンドのシナリオを作る。琉璃夏、先ほどの話ではそなたはパソコンが得意なのであろう? カナタが書き起こしたシナリオを出来た先からプログラムにしてくれ。出来上がったものを自分が監修しよう。編集作業も自分に任せるが良い。」
「了解!」
本物そっくりにばっちりと、ヒゲ伍長式敬礼を決めてみせる琉璃夏。
「ああ、カナタとともに作り出す愛の形、考えただけで頭の芯が痺れて来る。幼き頃より夢にまで見た状況が今ここに――ああ、母上。これが恋なのだな。そうなのであろう? これほどまでに熱き感情、感じたことなどなど一度もない! この八千代、今こそ母上の仰られていたことの本当の意味を理解したような気がする。あれほど素晴らしき教えを毎日のように受けておきながら、いまさらそのことに思い至ろうとは。誠に不徳の致すところ……」
「なんだよそれ、勝手に決めるなって! そんな事、巧く行くとでも思っているのかよ!?」
「寝言を言うな、カナタ。全ては我々が首尾よく事を運べば良いだけではないか。実に簡単なことだ。赤子の手を捻るよりも造作もない」
琉璃夏が余裕綽々の顔を向けてきた。よくわからないが根拠ゼロの自信だけはありそうだ。
「明日から忙しくなりそうだな、カナタ。自分は今からそれが楽しみでならない。カナタ、そなたとともに愛の物語を紡ぐことができるなどとは夢のようだ。自分は幸せだ」
八千代がよろしく頼む、とにっこり微笑んだ。思わずこっちが赤くなる、極上の笑み。って!? ダメだダメだ! ついつい八千代に見とれてしまう! 見れば、琉璃夏も釣られて微笑んでいる。――こっちは思わずゾッとする凄惨な笑みだった。
「ああ、面白くなってきたではないか。――高専健児たるもの、自ら地雷原に突撃し見事に散って果てるべきなのだ。果てた上でゾンビーとなって復活し、栄光を掴むべきだ」
「意味がわかんないよ、琉璃夏!」
「ふふふ、――やはり高専祭前はこうでなくては。――クラスの出し物などミドリムシの図体程も期待できない。帰宅部連中の考えるイベントなど、どうせヌルいに決まっている。我々大江戸特芸高専文芸部は我々だけで勝利へと邁進するのだ! 勝利など戦う前から約束されている。我々の輝かしい前途を阻むものなど何もない!! ふははははは!!」
気のせいか、何かどす黒いオーラとともに琉璃夏の瞳が赤く光って見えたような気もする。そんな琉璃夏をオレも八千代も二歩三歩と引いて見守るしかなかった。