恋は遙かに綺羅星のごとく

        Euph.作


 それはまさに突然だった。
 独特の二重ローター音。舞い上がる砂埃。今まさに帝国軍と思しき謎のヘリがグラウンドに向けて垂直降下中なのだ。ここに着陸するのか!? 一体なにが!? 帝国軍がいったい何の用なんだよ?
 そして赤い服を着た数人――いや、わらわらと十人程が降りてくる!
「帝国水軍のCV-22Jオスプレイに将軍親衛隊警備部門――! 一個分隊!? しかも市街地制圧用装備って、どういうこと!? なにが起こってるのよ!?」
 いつの間にか、琉璃夏が隣に来ていた。――え?
 琉璃夏がぎゅっとオレの手を握ってくる。汗、掌に汗をかいてる。――琉璃夏、怖いんだ――。降り立った兵士達。彼等は真っ直ぐに、そう、オレのほうへ真っ直ぐに向かって来るじゃないか! 一体どういうことだよ!?
  琉璃夏がオレの掌をより強く握り締めてきた。
「大丈夫だ、大丈夫。琉璃夏――」
 オレはとにかく琉璃夏を安心させるため、何度も何度もそう繰り返した。
「あ、ああ。貴様こそ大丈夫か?」
 こんな時でさえ、琉璃夏はオレを気遣ってくる。まぁ、お互い怖いんだ。そうとも。怖いって! 怖いなんてものじゃない! なんなんだよ! 隊列も真っ直ぐに、こちらにやってくる親衛隊の兵士。よりにもよって親衛隊だぞ? エリート中のエリートじゃないか! それがオレの目の前で停まったときには心底心臓がどうにかなるかと思った。
「あなたたちはそこで待ちなさい」
「は!」
 一人の女性将校がオレの前に進み出た。実直そうな瞳がオレを射る。ああ、心臓がバクバク言ってるよ。
「日本帝国将軍親衛隊、警備部門の加藤(かとう)五十八(いそや)大尉だ。君は土岐彼方君だな? そして――」
 加藤大尉が琉璃夏を見て敬礼する。
「失礼しました少佐殿!」
 ――加藤大尉の目が笑っていた。
「毛利琉璃夏少佐だ。貴官等の到着の報告は受けていない。何事か」
――さすが琉璃夏、ってオイオイ! 余裕の表情さえ浮かべて敬礼を返してるじゃないか!
「は! 我々将軍親衛隊警備部門、御座艦大和派遣第一分隊は公儀幕閣、将軍後見職より民間人『徳田八千代』の保護を命じられております。宜しければご協力を願いたく存じます!」
「それはいかようなる指示か」
「我々にも仔細は知らされておりません!」
――加藤大尉は真面目に付き合ってくれていた。琉璃夏はそれに一歩も引かず、堂々と渡り合っている。――怖いんじゃなかったのか、琉璃夏?
「かの民間人は私が保護している。だが、命令の仔細も判らぬようでは、引き渡すわけにはいかない」
 ば、バカ琉璃夏、逆らってどうする! でも、八千代だって!? 琉璃夏が口答えをした瞬間、空気が張り詰めた。加藤大尉の目が――こ、怖い。これが本物の軍人の目――。
「失礼ながら少佐、あなたにもこの情報の閲覧権限はありません。まして、我々は将軍後見職直々の命を受けてここに派遣されたのです。どうか、ご理解下さい」
「あの者、『徳田八千代』はただの一般人だ。公儀幕閣に目を付けられるような事は何一つしていない。この私が保証しよう」
「――毛利少佐――」
 加藤大尉の声が低くなる。そして、一歩前に出た。大尉の瞳が剣呑に光る。
 オレは息をのんだ。喉がカラカラに渇いていた。琉璃夏も息を飲む。そしてオレの手を一層強く握って――。
オレは、オレは!!
琉璃夏が体を張って八千代を庇っているんだぞ!? オレは一体何をしてるんだよ!!
加藤大尉は相変わらず凄い目で琉璃夏を睨みつけていた。
「っ……っ……っ……」
え?! 琉璃夏!? 琉璃夏の呼吸がおかしい!
ダメだこのままじゃ。琉璃夏の緊張がきっと限界なんだ。
瑠璃夏の虚勢も、もう長くは持たないに違いない!
「――遊びはここまでだ。大人しく居場所を教えてもらおうか」
加藤大尉がさらに歩を進めようと――
ええい! もうどうにでもなれ!!
「やめろ!!」
オレは叫んでいた。ただただ、力の限り叫んでいた。
そして体も動いていたよ。それはもう、自然と動いていたんだ。
そう、――なんと、加藤大尉と琉璃夏の間。オレはそんな場所に割って入っていた。
そして、続けざまにこう叫んだんだ。
「待って! 琉璃夏に手を出さないで! もちろん八千代にも! おかしいじゃないか! 帝国軍が、それも親衛隊が八千代に何の用なんだよ!? 男にはやらなきゃいけないときがあるんだ! 女を盾にするなんて、男のやることじゃない! オレは二人を、琉璃夏と八千代を守るんだ!」
 やってしまった――。遂にオレ、一体なにをして……。ああ、神様仏様……。
 時間が止まった。
 加藤大尉が琉璃夏の前に飛び出したオレを見て目を見開いていた。
 居並ぶ親衛隊の人たちも驚きの表情を隠せずにいた。
 琉璃夏も、口を真ん丸と開けて――。
 永遠の時間に思えた。
 そして再び時が流れ出したのは、後ろからこちらへ近づくその足音を聞いた時だった。
「加藤大尉。そして皆の者、出迎え大儀である。――皆の忠節、この戦姫、いたく感謝する」
 ――この声、え? 八千代?
 後ろに目をやると、制服姿の八千代がいた。
「――八千代」
「灰かぶり姫の物語は知っているな? カナタ」
 八千代はオレに優しく問うた。決まってるじゃないか。シンデレラなんてだれでも知ってるよ。でも、それって……。
「八千代? 君は……」
 八千代がいる。八千代の顔がある。――でも、違う。それは絶対的に違う何かの顔だった。
「カナタ、そなたたちと過ごしたこの二週間、とても楽しかった」
「え?」
 何かにヒビが入った。
「自分にも、こんな可能性が存在しえたのだと知った。嬉しかった」
「そんな」
 何かが砕けた。
「カナタ。――零時の鐘はもう鳴ってしまったのだ。創作文芸科のそなたの事だ。この意味を、この物語が象徴するであろう事実をそなたが想像できぬわけではあるまい?」
「……八千代」
 砕けたものの向こうで、今まで考えないようにしていた違和感が形となって現れる。
「そうだ。今、この瞬間にそなたの頭の中に広がった物語――それこそ綺羅星のように燦然と輝く夢のような物語の一端――それが、紛うことなき真実なのだ」
「そんなことって……」
 頬を何かが伝っていった。そしてそれは止め処なく溢れてくる。
「カナタ。徳田八千代はそなたが好きだ。そなたを愛している。受け取れ。自分の――自分の初めてだ」
 八千代の顔がオレの顔にそっと近づいて。――唇と唇が重なった。
 ――それはとてもとてもほろ苦く甘い味。まるで八千代が入れたインスタントコーヒーのように。
 どれくらいそうしていただろう。どちらからでもなく、二人は離れた。
「八千代――」
 オレの呼びかけに、八千代の目に光りが灯って見えた。決意を灯した目だった。
「――余の名は徳川戦姫という。――余は生まれながらにして将軍である。この運命からは逃れられぬ。逃げるつもりもない。それでもカナタ、そなたが余の――いいや、申すまい」
  八千代が、将軍家……!?
 八千代が寂しげな目をオレに向ける。
 ――嫌だ。嫌だ。――こんなの絶対に嫌だ! これで終わりだって言うのかよ!!
 加藤大尉が立ち去り際にオレに言う。
「少年、殿下の事――本当に感謝します。お世話になりました。ありがとう――君はだれよりも男らしい。だからもっと自分を誇っていいわ。先ほどは本当に驚きました」
 ――そんな。こんなことって。
 一歩一歩とヘリに歩を進める八千代の姿。つい今しがたまで、あんなに近かったのに、今ではそれは果てしなく遠い幻――。
 ヘリに乗り込む直前に、八千代は振り返った。涙が見える。泣き虫だった八千代の姿が思い起されて止まらない。
「カナタ、そなたが綴った余の母上の物語、しかと余の口から母上に言上致そう。二人とも、礼を言う。本当に、本当にありがとう――」
 八千代は何度も振り返りつつ、機内に消えた。

◇ ◇ ◇

 ヘリは来たときと同じく、轟音とともに飛び立つ。
「八千代ーーーーー!!」
 オレは何度も力の限り叫んでいたらしい。あとで琉璃夏から聞いた話だ。

◇ ◇ ◇

皇紀弐千六百八拾年 拾壱月 四日 水曜日
国会議事堂 衆議院本会議場

『余は、生まれながらにして将軍である。
 来るみぎり、余にこの日が来る事は必然であり、神意が下ったからに他ならない。
 思えば、神君家康公がこの江戸に幕府を開き、四百と十七年。我が徳川家が、恐れ多くも帝より政の全権を預かり、この神州が戦火にまみえることなく四百と五年である。我が帝国のみならず、遠く諸外国においても、国家の歴史がが戦火にまみえず、平和のうちに四百年、すなわち四世紀の長きに渡り平和のうちに続いた試しはない。このことを、帝国の軍権を預かる征夷大将軍として誇りに思う。
 このことは、この大八州の国民の全てが一丸となって平和を祈念し、武人の者が万一の有事に備え、常に牙を研ぐ不断の努力を続けているからこそに他ならない。この戦姫、広く国民に尊敬と敬愛の念を贈ると共に、武人の者には今、百万の感謝の念を贈ろう。
 世界に目を向けてみよう。現在、我が帝国は岐路に立たされている。二度の世界大戦を通じ、どちらも中立を保ち得た我が帝国だが、いま未曾有の国難に晒されているのだ。それは帝国が帝国の民たりうる根幹――文化に対する侵略である。
 日々、諸外国の電波に晒され、ことに電脳網においては数秒の遅延も無く世界で起こった出来事が我が帝国の事情に反映する。今はそんな時代である。
 ことに、電波、そして電脳網における我が国固有の文化に対する侵略・洗脳行為には目に余るものがある。我が帝国の民は平和を愛する民なれど、こうもあからさまな敵対行為においては、断固たる処置を望む者も多いのも事実である。
 故に、余はここに宣言する。我が帝国が、永久に我が国民のものであるために戦うことを宣言する。扶桑二千と六百八十年の歴史が培った、美しくも麗しい我が帝国の文化と伝統を武器に、我が国固有の文化を取り戻すのだ! 
 余は誓う。我が帝国の御名を今再び世界に轟かせることを! 今再び輝けよ日本! 我々が世界に冠たる日本を作るのだ! 日本の文化を大いに高め、我が国発の文化革命の狼煙を全世界に突きつけようぞ!
 全ては、我々大日本の栄えある未来のために!』

(拍手)

『――先ほど国会議事堂衆議院本会議場において執り行われました征夷大将軍就任式典より、第二十二代徳川将軍、徳川戦姫殿下の将軍宣下に対するお言葉をお伝えしました。――以上をもちまして、番組を終わります』

●エピローグ

皇紀弐千六百八拾年 拾壱月 五日 木曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 メインストリート

 銀杏の葉も随分と落ちた。琉璃夏と二人、メインストリートを校門へと歩いてゆく。
「元気を出さないか」
「うん」
 琉璃夏と二人、銀杏並木を歩く。昨日までは隣に八千代がいた。そう思うと、なんだか切ない。
「はぁ、貴様好きだったのだな。――恋、か?」
「うん」
 琉璃夏の息をのむ声が聞こえた。
「そう正直に答えられてもな」
「うん」
 琉璃夏のため息が聞こえる。
「元気出せ。私も無理という言葉は嫌いだが、いくらなんでも限度がある。相手は公方様だぞ。今回の事こそ無理だったのだ。わかるだろう? ――食事にでも行くか? 例のゲームの完成祝いだ」
「うん」
「そうか!」
 琉璃夏の勤めて明るい声が聞こえた。気を使ってくれているらしい。――つまりは、それほどまでに重症だと言うことだ。
 未だ『大高専祭』の文字が躍る校門。片付けは後手に回っているようだ。
「カナタ――あれ」
 琉璃夏の声がかすれていた。急に琉璃夏が立ち止まり、勢い余ったオレは琉璃夏の腰にダイブする。
 しまった!? ――え? いつまで待っても、鉄拳が飛んでこない。見上げると、琉璃夏は校門の直ぐ脇を凝視していた。
 ――そこには――。
「やっと校門から出て来たな? よし捕まえたぞ。土岐カナタ君。――さぁ行こうか」
 どこかで聞いたような声。どこかで聞いたような台詞。それもごく最近に――。
「なにをしている? 早く行くぞ、カナタ」
 まただ。またも、あり得ない声が聞こえる。そして、ここに居るはずのない姿があった。
「君は――」
 思わず聞いていた。目の前の、踝まではあろうかという黒髪の超ロングヘアの子に。
「この自分の姿を忘れたとは言わせぬ。なにせ、そなたとは千代の絆で結ばれているのだからな!」

『コイハル~恋は遥かに綺羅星のごとく~』   END