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日本における女体化の歴史と精神的支柱

幻色灯日記

 日本人の想像力は豊かである。

 ニコニコ大百科(仮)にはこうある。

女体化(にょたいか)とは文字通り、女性の体になることである。
既存の男性キャラクターを女性にしてしまうことで、主に二次創作で見られる。
性格以外全ての要素が女性になっている場合もあれば、男性キャラの顔や髪はそのままに肉体のみを女体に変えている場合もある。
女体化としても様々なバリエーションがあり、「萌え擬人化」の一つとして歴史上の人物(戦国武将や三国志武将など)の女体化や、「このキャラが女だったら萌えるんじゃね?」という閃きの発想の元にして、アニメやゲーム、漫画キャラの女体化が行われる等がある。
女性向けとして「男(の肉体)同士のSEXシーンはさずがに嫌」「せめて受け側が女の子(の肉体)だったらなぁ」等の理由で需要があるジャンルであるが、男性向けとしても一定の需要があるジャンルである。
ただし、性別を変わるというキャラクターの根本的な変化を行う為、かなり好き嫌いが分かれるものであるので、取り扱いの祭には十分注意。

 昨日の記事でも少し触れたように、これは何も現代だけの現象ではない。アーサー王や戦艦、果ては自動販売機や牛乳キャップが女体化されようとも、これらの擬人化、女体化は「普通の文化」として行われていた。
 また昨日の参照記事では滝沢馬琴水滸伝の英傑をことごとく女体化したことに触れてあったと思う。滝沢馬琴は江戸時代の人である。ちなみにこの傾城水滸伝での女傑は男性として描かれている。

 厳密には女体化ではないが、男女入れ替わりは平安時代の「とりかへばや物語」、オカマは紀貫之が「土佐日記」でやっている。また、すでに「古事記」で女装のシーンがある。

 繰り返そう。
 「女体化」は我が国の伝統文化であり、決して恥ずべき事ではない。

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 そして今、顧みよう。「九十九神」と云う存在がある。妖怪に通じる。これは一種の「化」である。モノに魂を与える思想、「八百万の神」にも通じる。全てのモノに魂は宿る、と言う思想である。
 「百鬼夜行」、「鳥獣戯画」の絵図面を教科書その他でご覧になった方も多いと思う。ならば昔の人が「モノに魂が宿るのだから動くだろう。動くのだから性別があるだろう。輪廻の果てにそれが入れ替わる事だってあるだろう」と考えたのも無理は無い事なのではないだろうか。

 ……どうであろうか。
 と、つらつら書いてみたが「こまけぇことは良いんだよ!」の一言で済むような気もする。
 ともかく、モノの擬人化、女体化は日本人として実に当然の帰結であると思うのだが……読者の方の考えは如何に?

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