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マブラヴ belive オルタネイティヴ(Muv_Luv Belive Alternative:Muv-Luv二次創作SS)

マブラヴオルタタイトル Muv-Luv

前書き

  • オリジナルキャラが登場し、主人公、ヒロイン共にオリジナルキャラクターです。
  • 数箇所、残酷とも取れる表現がありますが、演出の都合です。
  • 特定の個人、団体を誹謗中傷する意図はありません。
  • 超ネタバレです。
  • 原作をプレイして読むと、より楽しめるはずです。
  • 本SS中の登場人物は文中において、いかなる表現をなされていようと、全て成人年齢に達しています。
  • 「マブラヴ」及び「マブラヴオルタネイティヴ」はage様の作品です。本作品はファン小説であり、一切の関係がありません。
  • 「ハーメルン」様に挙げているバージョンよりも、新しいバージョンとなります(誤記、エピソード不足の補填など)
  • ©Muv-Luv: The Answer

 

――それは、語られなかった他なる結末。

とてもおおきな、とてもちいさな、とてもたいせつな、

あいとゆうきのおとぎばなし――

マブラヴ BELIVE オルタネイティヴ(Muv_Luv Belive Alternative)

2002年 1月14日 月曜日

……。

…………。

ん? ああ、夢か。

久しぶりに良く寝たような気がする。

それに、誰も起しに来ないからすっかり寝過ごしてしまったみたいだ。

エレーナや咲夜はどうした?

いつもなら、「イサミちゃーん!」「イサミ!」などと喧しく階段を駆け上がってくるころだと思ったのだが。

まあ、いいや。

今は何時だろう?

オレは壁の時計を目で追った。

時計は8時10分を回っている。さすがに長々とゆっくりとし過ぎたか。

さっさと着替えて学校に行くことにしよう。

◇◇◇

オレは制服に着替えて階下に降りる。

――? あれ? 誰もいない。

母さん、出かけたのかな?

なにか、スッキリしない。

そう、なんだか変だ。

なにか食うもの……確かパンの買い置きが……あれ?

誰か食べたらしい。無いな。

まあ、いいか。

オレは、いまだ寝起きを引きずる頭をひねる。

とりあえず学校に行こう。

遅刻?

あー、遅刻なんて仕出かしたなら、また委員長がうるさいし?

ここはさっさと登校するに限る。

「じゃあ、いってきま――?!」

だれも居ないとわかっていても、ついつい家の中に声をかけてしまうオレ。

……。

え?!

外の風景を見て固まった。

急いでオレはドアを閉め、中に戻る。

?!

しん、深呼吸だ。

何だ? 今のは。

オレはまだ、夢を見てるのか?

恐る恐る、もう一度ドアを開ける。

?!

もう、見間違いではない。

一面の荒野。

それは積み重なる瓦礫が、無造作に散らばる荒野だった。

隣近所どころか、見渡す限り、まともなモノはなにも無い。

――ど、どういうことだ――。

何があったら街がこんな、粉々に?!

考えろ、考えるんだ、オレ。

……。

……。

い、いや。

考えるまでもない。

夢。

これは夢に違いない。

夢に違いないんだ。

オレは力の限り、頬を張った。

軽快な音がする。

痛い……。

夢?

この痛みすら夢なのか?

だけど、周りを見渡せば。

変わらぬ荒野が続いていた。

「なんだってんだ?」

オレのつぶやきに答えてくれるものはいなかった。

◇◇◇

荒野を見渡せば、ちょうど学校があるはずの方角に小高い丘が見える。

丘の上には建物が見えた。

オレはすこしホッとした。

ああ、学校はあるんだ。

きっと。

あの場所へ行けって事に違いない。

さすがはオレの夢。

単純明快でわかりやすいよな。

◇◇◇

桜並木の坂まで来たが、ここまで来る途中、本当になに一つ、まともなモノはなかった。

まず、そこに存在するはずの建物がない。

そして、この時間、当然すれ違うであろう人々の姿がない。

まあ、夢だから仕方がないとは言え、さすがに想像力なさ過ぎだろう? オレ。

オレは苦笑しながら坂を登る。

お。

誰か発見。

赤いショートヘアの女の子だ。

って、あれは確か……夕呼先生のところの涼宮? 涼宮茜といったか?

しっかし、なんなんだアイツ。

派手に包帯なんか巻いて。

事故にでもあったのか?

それに、あの黒い制服はなんだろう?

あ、コイツ、夕呼先生の趣味につき合わされてるのか?

D組じゃなくて、オレ、ホントに良かったよ。

涼宮の声が聞こえてくる。

「……ごめん、私って弱いよね。つい、姉さんに会いに来てしまうんだ……みんな……水月先輩……」

なに言ってんだ? 周りには誰もいないじゃないか。

まあいいか。

あいつならなにか知ってるかも。

「ちょっと聞きたいんだが……」

なにげなくオレが声をかけると、涼宮は驚いた様子で、跳ねるようにオレに向き直る。

しかも、オレの顔を見て目を見開きやがった。

――そんなに驚かなくてもいいだろ?

「っひ!! き、きき、キミは……く、黒須……そんな……そんなバカなこと……」

涼宮って、オレの名前知っていたんだ。

ちょっと嬉しいかな。

驚きだ。

いや、これはオレの夢の中なんだから、オレの秘めたる願望の形なのだろう。

妙なことに感心していても仕方がない。

「なあ、涼宮……だったか?」

声をかけてみる。

涼宮の反応は、オレの予想をはるかに上回っていた。

これぞ斜め上、というやつかもしれない。

そう。

涼宮は、オレのことを、まるで恐ろしいものでも見る目つきで、二歩三歩と後ずさってくれたのだ。

「や、止めて……! どうして君が、……どうして君がここにいるの!」

しかもこんな台詞のおまけつきだ。

「どうしてって言われても、オレにもよくわからない」

「……冗談、でしょ……化けて出るにしても、どうしてよりによって君なのよ……」

――化けて出る、って、それはちょっとあんまりなんじゃないか?

「は? オレ、生きてるし?」

「嘘、嘘よ……私、色々ありすぎて、おかしくなってるのよ……きっとそうよ……ああ、姉さん! 水月先輩! ……お願い、黒須を、……コイツを。連れて行って! お願いだから……」

赤いショートヘアが何度も揺れる。

涼宮はいまや半狂乱だ。

その目は何も真実を映しちゃいない――。

「ハ、ハハハ――そうよ、そんなことあるはずないわ。死人が、死人が生き返るなんて。――君はだれ! どうして黒須の姿をしているの!?」

酷い言われようだ。

さすがのオレでも傷つくぞ。

「誰って、オレは3-Bの黒須勇海だよ。ほら、白銀とか御剣とか……ああ、たしかお前、うちの榊――委員長と仲良かったよな?」

「――ち、近づかないで! 私に――私に近寄るなぁぁあああああ!!」」

耳が痛くなるほどの涼宮の絶叫。

涼宮は黒光りする何か取り出したかと思うと、その切っ先をオレに突きつけた。

息を切らせた涼宮の、その震える手が持っているモノ――。

どこからどう見ても拳銃だった。

モデルガン?

涼宮って、そんな変な趣味があったのか。

意外だな。

いや。

これはオレの夢だから、オレの趣味がそうなのか?

よくわからない。

「――撃つ、撃つからね、本当に、撃つから! って、動かないで! こ、これ以上近づいたら本当に撃ちます!」

相変わらず、涼宮の言葉は辛辣だった。

しかし、ここまでの演技となると、もう同情するしかない。

オレは一歩踏み出しながら――。

「は? お前、なに言ってるんだ? あ、そうか。また夕呼先生にでも妙なことさせられてるんだろ。全くお前らも大変だよな――」

パン……。

バシッ!

オレの足元が爆ぜた。

おれは、恐る恐る足元に眼をやった。

な、なんだよコレ。

アスファルトが……アスファルトが捲れている。

……。

なんの。

なんの冗談だ?

涼宮。

訂正だ。

お前がモデルガンを改造するほどのマニアだったとは思わなかったよ。

「動くなと言っているのに!!」

涼宮の持つ拳銃の銃口からは、かすかに煙が……。

え?

煙?

……。

「す、涼宮……それ、ホンモノ……」

「なにをわけのわからないことを言って!」

パタパタと、足音が聞こえる。

数名がこちらに向かってくる足音。

涼宮の顔から緊張が抜けてくのがわかる。

やがてやってくる、数名の――兵士達。

兵士――そう呼ぶほかない服装をした人々。

そしてオレの鼻先に銃口が並んだ。

こ、コレ……マシンガン、だよな?

オレ、蜂の巣?

これもモデルガン――なわけ、ない――認めたくはないが、おそらくこれは本物。

そして、今の一連の出来事は夢ではない――。

なんだ?

なんなんだ!?

――なにが起こっているんだ!?

こいつら。

どうしてこんな連中が。

いや、こいつらのこの服装っていったい?

「この者は?」

兵士たちが固い口調で涼宮に問う。

「――わからないの。先ほどから訳のわからないことを繰り返しています。お願いです、連れて行って下さい――上には私から――報告します」

「は!」

涼宮は最後までオレから、その恐怖で引き攣った視線を外そうとはしなかった。

手も足も出ないオレ。

オレはなにがなんだかわからないまま、兵士達に連れて行かれる。

涼宮の聞き捨てならない言葉を聴きながら、坂の上にある、あるべきはずの学校とは違う、知らない建物に――。

「幽霊じゃ、なかった――」

◇◇◇

殺風景な個室。

いや。

どう見ても、ここは独房だ。

コンクリートの冷たさを感じながら、オレは考える。

オレは、どうしてこんなところにいるんだろう?

夢なら早く覚めてくれ。

というか、お願いします。

夢のなかで一眠り、と言う表現が正しいかどうかはわからないが、一眠りしてみた。

◇◇◇

まぁ、予想どうりというかなんと言いますか。

無駄だった。

当然のごとく、エレーナも咲夜も起しになんか来やしない。

まして、ここは家でもなかった。

教室の机の上でもない。

校舎の屋上でもない。

あいも変わらず、見たこともない冷たい独房の中なのだ。

夢なら早く覚めてくれ――。

とはいうものの。

思うのだが、いい加減オレもわかってきた。

信じたくはないが、冷静なオレがそう言っている。

これは夢じゃない。

夢であるはずがない。

だって、昨日? の取調べで散々に殴られた体が痛むから。

◇◇◇

カツン、カツン、トコトコトコ……。

誰か、来る。

一人……いや、二人か?

誰かが、こちらに近づいてくる。

そしてオレのいる独房の手前で、足音が止まった。

オレは顔を上げてみる。

――そこには、見知った顔があった。

白衣の二十台半ばと思われる女性。

性格きつそうな美人。

夕呼先生。

夕呼先生だ!

間違いない!!

「夕呼先生――!」

オレが呼びかけると、白衣の夕呼先生は一瞬眉を顰めたような気がした。

なんだ。

そういうことか。

やっぱりこの人の仕業だったんだ。

「あなた、名前は?」

「夕呼先生、なんの冗談です? いくらなんでも今回は、先生頑張りすぎですよ! オレ、てっきり騙されちゃいました――」

夕呼先生の表情が厳しくなる。

「あなたの名前を言いなさい」

有無を言わせぬ声だった。

よくわからないが、ここはおとなしく従ったほうが良い――そう、オレの直感が告げている――今の夕呼先生はヤバイ。

「黒須、勇海……です」

「所属は?」

へんな言い方だな。

でも、口答えはまずい……よな。

「白稜大付属柊学園3年B組……」

夕呼先生はオレの答えを噛み締めるように反復した。

「そう。じゃあ、あなたが知っている限りの、その3年B組だっけ? そのメンバーを教えてちょうだい」

「やだな、夕呼先生。おれ、記憶はしっかりしてますよ」

「いいから、言いなさい!」

怒らせたのかな? さっきから機嫌が悪そうだ。

「う、は、はい。担任の先生の名前は神宮司まりも。

生徒は……エレーナ・ストレリツォーヴァ……月環咲夜……彩峰慧……鑑純夏……

榊千鶴……珠瀬壬姫……鎧衣美琴……御剣悠陽と冥夜……柏木晴子……白銀武……社霞……」

オレは乾いた喉で、思い出す傍から片っ端にクラスメイトの名前を吐き出し続けた。

男子の名前がなかなか出てこないところは、ご愛嬌といえるだろう。

「それだけ?」

「どうしても名前のでてこない可哀相なやつらが二、三名いますけど、今はちょっと思い出せそうにありません」

夕呼先生はもう一人の連れを見――あの、ウサギ耳は――や、社? 社じゃないか。

ちびのロシア人。

エレーナと同じ銀髪の白系ロシア人だ。

社は涼宮と同じように、黒い色をした制服を着ていた。

「社?」

「……(コクリ)」

オレの呼びかけに、社は飛び上がって夕呼先生の後ろに隠れてしまった。

でも、うなずきを返してくれたところから見ると、オレの問いかけには反応してくれていたと思いたい。

「そう、社にも面識があるわけね。あなたは」

「社、どう思う?」

夕呼先生のその問いに、社は悲しげな、それも今にも泣き出しそうな表情で頷いていた。

「……そう。やっぱり、それしか考えられないわね」

夕呼先生が難しい顔で考えている。

――だが、それも一瞬だった。

ニヤリと笑みを浮かべ――。

「黒須。ここから出してあげるわ。ただし――」

「なんですか? 先生」

「私の命令には絶対服従を誓いなさい。イエスかノーかで答えて」

「またまた、そんな都合の良い事言って。イエス以外の答えは用意されていないじゃないですか」

「いいから答えなさい」

今度はどういった遊びだよ、先生。

でも、ま、いいか。

「―――イエス」

「よろしい。じゃ、行きましょうか。付いて来なさい。――あ、私が「良い」って言うまで、あなたは何があっても口を開かないこと。良いわね?」

またしても変な事を言う。

でも、今日の夕呼先生、どこか変だよな。

そう。

オレが、夕呼先生に見たもの。

それは今まで見たこともないような、夕呼先生のオレに対する厳しい視線だった。

◇◇◇

すれ違う人は皆、軍服めいた奇妙な服を着ていた。

そして更に奇妙なことに、すれ違う人の全てが敬礼をしてくるのだ。

そして、その中の何割かは、オレの顔を見ると目を丸くしていた。

こんな人数が全て夕呼先生の悪戯にかかわっているとは到底思えない。

なにか、なにかが明らかにおかしい。

夢ならとっくに覚めているはずだし、こんな緊張感もありえない。

夕呼先生も社も、さっきから黙ったままで一言も言葉を発しない。

オレは何度も口を開きそうになったが、先ほどの約束もあって口をつぐんでいた。

いったい、なにがどうなっているんだ?

◇◇◇

そして、いくつものゲートを越えた先の、とある一室へと通される――。

そこはやけに猥雑とした部屋だった。

広いはずの部屋が、乱雑、しかも無造作に放り出されたとしか思えない大小の品で埋まっている。

奥には青い旗がデカデカと飾ってあり、オレは嫌でもその旗を目にすることになった。

United Nation?

なんだ?

オレが黙ってその旗に見入っていると、夕呼先生の声が沈黙を破る。

「ま、こうしていても仕方がないわ。さっさと状況をはじめましょう」

は?

オレが呆けていると、夕呼先生はそんなオレに構いもせず。

とんでもないことを口走ってくれたのだ。

「黒須勇海。国連太平洋方面第11軍、横浜基地へようこそ」

……え?

「私はこの基地の副指令の香月夕呼よ。これからあなたとは、きっと短くない付き合いになる。よろしくね」

……。

オレは、あまりのことに声を失っていた。

先生はそれを了解と取ったのか、言葉を続けるのだが――。

「――社! そのソファー使っていいから、黒須に自分の置かれている状況を説明してあげた上で、おそらく星の数ほど出てくるであろう質問に答えてあげて」

ただ一言、社にそれだけ言うとオレを置いて扉へ向かう夕呼先生。

「そうね、情報開示レベルは前もって教えておいたレベルでいいわ。私はちょっと野暮用を済ませてくるから。あと、お願いね。すぐ戻るから」

言うだけ言うと、オレに見向きもせず社を残してどこかに消えてしまった。

しかし――。

国連軍? 横浜基地? 副指令? なんのことだ?

――まったく訳がわからない。

確かに『星の数ほど出てくる疑問』に違いなかった。

◇◇◇

夕呼先生が、呼び止めるオレの声を無視して部屋の外に出て行く。

取り残されたのは、オレと、黒い制服を着た社だけ。

社の制服と、さっきの涼宮の制服は同じだよな――。

そんなことを考える。

ふと、肩の校章に目が行った。

違う。

よく見れば、それは断じて校章ではないと言える。

『ALTERNATIVE IV』。

そう記されている見慣れない紋章。

何のことだろう。

「……説明を始めます。いいですか?」

突然の社の言葉。

「あ、ああ」

びっくりさせるなよ、社。

だけど、次からの社の言葉は、その程度の驚きでは到底言い表せないものだった。

「黒須さん、ここはあなたの夢の中の世界ではありません。現実の世界です」

なんだって? いきなり何を。

「喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも、全て現実です。あなたのこの世界での死は、あなたという存在の消滅を意味します」

なにを、言っている?

「そして、あなたが覚えている元の世界に戻る方法は、現在のところありません」

……ドクン!

鼓動を感じる!?

――こんな夢が、あるのか?

いや、しかし……。

「黒須さん、あなたの驚きはわかります。あなたが認めたくないことも。ですが、前例のあることですので、私は確信を持ってあなたに伝えることができます。もう一度言います。ここは、あなたにとって、現実の世界です」

「……」

「そうです。あなたは、この世界で暮らさないといけないんです。この世界の人間として」

「……」

「疑いはもっともです。ですが、私を信じてください」

「……社。でも、でも、……お前は社なんだよな?」

社はコクリ、と頷いた。

「私の名前は社霞です。ですが、あなたが知っていて、あなたが思っている社霞とは違います」

「……」

「そうです。私は、あなたが来た元の世界の社霞ではなく、この世界の社霞なんです」

「……」

「先生……夕呼先生も?」

「……その通りです」

「……」

「……私、この世界の社霞は、あなたが元の世界でなにをしていたのか、時々、視ていました」

「――なんだって?」

「だから、あなたの力になれると思います。あなたの全てを知っているわけではありません。ですが、まったく知らないわけでもありません」

「……」

「あなたが別世界から来た、と言うこと。このことを知るのは、香月博士と私、社霞の二人だけです。そして、この事は絶対に他の人間には話さないでください」

「……話すと、どうなるんだ?」

オレはいつしか机から身を乗り出していた。

「……いま、あなたが考えた通りの結果になると思います」

ろくでもない結果しか思いつかなかったのだが。

オレは天を仰いだ。

深くソファーに座りなおすオレ。

こりゃダメだ。

ダメダメすぎるほどの異常事態。

手に負えなさ過ぎる。

だが、ただ手をこまねいているだけ、って訳にはいかないか。

なんとか情報を聞き出すんだ――。

「……なぁ、社。百歩譲って、これが、この現象が夢でないとしよう。で、本当に、本当の本当にオレは元の世界に戻れないのか?」

「黒須さん、何度も言いますが、コレは夢ではありません。そして残念ながら、今のあなたは、あなたの元の世界に戻ることは――できません。ごめんなさい」

――今のあなたには?

「さっき、前例と言ったよな? 社。それを教えてくれないか?」

「はい。あなたのいた元の世界の人間が、私たちのこの世界に来た事実があります」

「――それは誰だ?」

「ごめんなさい。今は、お答えできません」

――そりゃ、教えられないか。でも、そうなるとオレの知ってる人物だということか?

いや、決め付けるのは早すぎる。

「じゃあ、質問を変える。そいつはこの世界にまだいるのか?」

「ごめんなさい。それもお答えできません。でも、その人はこの世界でやるべきことを果たして、――現在――幸せに暮らしています」

この世界での目的――だと?

「どうしてそれがわかる」

「ごめんなさい。私を信じてください。今は、それだけしかお答えできません」

……。

肝心なことになるとコレだ。

「社。では、オレにもこの世界でオレがやるべきこと、というのはあったりするのか?」

「ごめんなさい。それは、黒須さんが自分自身で見つけてもらわないといけません。……ですが、間違いなく存在します」

「どうして言い切れる?」

「黒須さんをこの世界に引き込んだ事象。それが、この世界に必ず存在するからです」

「よくわからないな」

「黒須さんが単なる偶然で、この世界にやってきたのではない、ということです」

「偶然ではない。この世界に連れてこられた明確な理由がある。そう言っているのか?」

「はい」

――オレは誰かにこの世界に連れてこられた?

なぜ。

なぜオレなんだ?

オレでなくてはいけない――何かがあるとでも?

「オレがこの世界に連れてこられた、その理由というのは、前の奴と同じ理由なのか?」

「私にはわかりません。今はまだ、判断材料が少ないんです」

まいったな……もう、オレはこの現象が夢なんて言わない。

だけど、オレはこれからいったいどうしたらいいんだ?

この奇妙な世界、右も左もわからない。

でも、どことなく共通点があるこの世界でどうしろと?

「黒須さん、提案があります。この提案は、私からの心からのお願いであると同時に、香月博士の強い要望でもあります」

なんだ?

他ならぬ、夕呼先生からの提案――興味がわかない方がおかしい。

「……どうせ右も左もわからない。それに、オレは夕呼先生に絶対服従なんだろ? 言ってみろ、社。おれはどうしたらいい?」

「香月博士を助けてください。力になってあげてください」

「は?」

あの天上天下唯我独尊の夕呼先生でも思い通りにならないことがあるのか? 想像できないな。

「お願いです。香月博士の望みを叶えてあげてください」

――先生には何かやりたいことがある、ってことか?

なんだろう。

そして、それはおそらく先生一人ではどうしようもない出来事――。

そのとき、扉が開いた。

先生はオレを見るなり、鋭い視線を向ける。

「あら。いい目をしているじゃない。アイツのときとは全然違うのね」

「アイツって誰です?」

「ノーコメントよ。――社もそう言ったんじゃないの? 違う?」

「聞いていたんですか?」

「想像にお任せするわ」

――いつも通り、謎過ぎる。

「オレは、夕呼先生には絶対服従なんでしょう?」

「あ、そういえばそうだったわね。忘れてたわ? まあ、そんな事はどうでも良いのよ」

「なんです?」

「黒須。あなた決めたようね。――ここは社にお礼を言うべきかしら。で、本題」

「?!」

「黒須。取引よ。協力しなさい。協力と引き換えに、ここでの、この世界でのあなたの生活の全てを保障するわ」

本題と言いつつ、これは本題ではない。

――絶対にブラフだ。

ここはおとなしく言うことを聞いてみよう。

そうしているうちに、なにか手がかりがあるはずだ。

必ず尻尾を掴んで、突破口を見つけるしかない。

「わかりましたよ。オレはなにをやったら良いんです? 先生」

あれ?

先生が驚いてる?

気のせいか、今の、先生の本気の目じゃなかったか?

「やけにあっさり言うわねー。でもね、そういうの、好きよ?」

夕呼先生がにんまりと笑う。

先生がこういう顔をする時。

それがろくでもないことの始まりを意味することをオレはよく知っている。

そして、ついに夕呼先生はその呪わしい言葉を吐き出した。

「黒須。――あなたには、宇宙人と戦争をやってもらうわ」

「……は?」

夕呼先生は笑いながらオレに告げる。

宇宙人? なにを言い出すんだ?

現実感から程遠い一言だった。

だけど、今思えばこれほど現実を表した言葉はなかったのだ。

そう、オレはこの日の夕呼先生の意地悪な笑い顔を忘れる事はないだろう。

◇◇◇

BETA。

人類に敵対的な地球外起源生命。

そう呼称される存在の駆逐こそが、この日、オレの使命となった。

第一章

2002年 1月15日 火曜日

この世界。

昨日、社から聞かされたこの世界は、絶望の世界だ。

人類は疑いの余地など挟む余裕すらなく、その滅亡の時が秒読み段階に迫っている。

そして信じられないことに。

そんな最悪な状況下にあってなお、人類はお互いに水面下でいがみあっているらしい。

◇◇◇

ゆさゆさ……。

ゆさゆさ……。

「ん……エレーナ?」

ゆさゆさ……。

「……えい」

掛け布団が剥がされた。

オレは目を開ける。

目の前には小柄な女の子。

「や……し……ろ……」

黒い制服。銀の髪。――それは社だった。

理由はよくわからないが、社はオレを起しに来てくれたらしい。

「……社が起してくれたのか。ありがとう」

「……(こくり)」

◇◇◇

「……ばいばい」

オレが起きたことを確認すると、社は部屋から出て行った。

「あ、ああ。バイバイ」

――なんなんだ?

社の謎行動。

――よくわからない。

◇◇◇

――さて、オレはこれからどうするか――。

オレは個室をあてがわれ、硬い寝台の上で考え事をしていた。

社が出て行って10分を数えた頃だったろうか。

ノック。

訪問者が在った。

――だれだろう?

やがて、張りある女性の声が聞こえてくる。

「黒須勇海。私は香月副指令からキミの面倒を見るように仰せつかった宗像美冴大尉だ。キミに5分やる。――準備を終わらせてこの部屋から出て来い」

妙な言い方だった。

だが、気にならないといえば嘘になる。

オレはその呼びかけに応えることにした。

言われるまま慌てて着替え、ドアの外に出たオレはその女性仕官を見て息を呑んだ。

――冗談だろ?

なんなんだこの超絶美人は――。

◇◇◇

ドアの外で待っていたのは、宗像と名乗る黒い国連軍の軍装をした女性仕官。

だが彼女は今、体の随所を包帯で巻き、三角巾で腕を釣っている満身創痍の姿。

だが、そんな痛々しい姿よりも、まずオレの目に飛び込んできたのは見目麗しく、あまりに整った匂い立つほど雅な彼女の容姿だった。

そんな女性仕官がオレの顔を見てあからさまに驚きの表情を浮かべている。

あのときの涼宮が取った表情と同じ――。

なんだっていうんだ?

一体なんなんだよ。

この展開はいったい――。

「――あなたは?」

「!? ――なるほど、たしかに――。まあ、こんなこともありうるだろうな」

「――先ほども言ったが、私は宗像美冴大尉だ。キミの上官に当たる。――で、キミは本当に黒須勇海なのか?」

「そうですけど……?」

宗像大尉は目を細めてオレを見る。

「はぁ、――重々わかっていたつもりだったが、香月副指令も罪なことをする――」

「え?」

「なんでもない。――では、ついて来い」

「え? ――あ、ああ。わかりました」

宗像大尉が、形の良い眉を寄せる。

「!?――もう一度確認する。キミは本当に黒須勇海なのだな?」

「へ?」

「……キミは……はぁ」

深いため息が聞こえた。

なんともいえない表情と沈黙。

オレとしても、なんと答えてよいのやら。

「――黒須中尉。なにがあったかは聞かない。キミの態度も咎めない。だが、一つだけ言っておく。一秒でも早く立ち直れ。――さもなくば、キミは間違いなく死ぬ。大切なものは何一つ守れず、今度こそ、犬死するだろう。キミはそれを望むか?――そうはなりたくないだろ?」

黒須中尉?

中尉って軍隊の、あの中尉様か?

なんのことだ?

「すみません。話の内容が良くわからないのですが……」

「……はぁ、まぁ行くぞ。廊下で立ち話する内容ではない。いいから私について来い」

◇◇◇

小部屋に案内された。

「……」

「なんでしょうか……」

「この部屋が何の部屋かわかるか? 黒須中尉」

何かの会議室――に見えた。

「会議室、でしょうか?」

宗像大尉の目が、また細まる。

ああ、またこの目かよ――。

だが、次の瞬間、この人の笑顔を見た。

――なんだ、こんな顔できるんじゃないか。

無理に造っているのはわかったが、始めてみる宗像大尉の微笑。

魅力溢れる、ってこういう人を指して言うんだろうな。

「まあいい。しかし黒須中尉。よく生きて戻ってきたな。――本当に」

?!

な、なんのことだ?

「今はそれだけで良しとしよう。――キミの記憶は追々戻ってくると、副指令もおっしゃられていた。――だから、その点においてキミは――何も心配する必要がない」

オレは記憶喪失なんかじゃ――いや、ちがう。恐ろしいことだが、おそらくこの世界にはオレとは別の、黒須勇海が存在していて、宗像大尉はきっとそいつのことを言っている――そして、ほぼ間違いなく、この世界のオレは――。

「キミは特殊任務部隊A-01連隊の一員として、詳しい内容は知らないが、副指令直々の特殊任務に従事していたと聞いている。異国、それもソビエト連邦での永らくの任務ご苦労だった。黒須中尉」

ソビエト連邦って、今は西暦何年なんだよ。

「そのA-01連隊だが、先日の甲21号作戦、横浜基地防衛戦、続く桜花作戦で、伊隅隊長を始め、多くの仲間たちを失った。――連隊は事実上の壊滅状態であり、実働可能な衛士はキミ一人だけだ。――そう、もうキミだけなんだ」

――は?

……なんだよそれ。

部隊壊滅って。

そんな、無茶苦茶じゃないか。

「近く、隊の再編がおこなわれるはずだ。私はそれまで、キミの指導を命じられた。午後から早速シミュレーターで訓練を行ってもらう。ただし、見ての通り私もこんな体だ。キミには迷惑をかける」

オレは宗像大尉の痛々しい姿に目をやった。

――この人はその戦いを生残ったんだな。

こんなに怪我してまで。

「わかりました」

少しは素直になっても良いかな、と思った。

このときは。

「――ほぅ?」

でも、シミュレーターってなんだ?

訓練?

ああ、軍隊なら訓練ぐらいやって不思議は――え?

オレがやるの!?

などとは聞けず――。

またも目を見開いた宗像大尉がオレの顔をまじまじと見る。

「わかりました、だと? 黒須中尉。それが上官に向かって言う言葉か――。……?」

「?」

オレはかなり間抜けな顔をしていたに違いない。

「キミは――キミは――本当に何も思い出せないのか――」

宗像大尉は形の良い眉を潜めて、オレに囁くように、いや、何か観念したように言葉を吐いた。

「私は香月副指令から、キミを一刻でも早く使い物にするように厳命されている。――だが、事態は私の予想を軽く超えているようだ。最大限、キミに配慮したい」

「どういう意味でしょうか?」

「――基本的に、上官への勝手な質問は認められない」

取り付く島もない。

「――でも」

「食事だ。PXに行くぞ。――そんな顔をするな。キミは、PXの意味も、場所すらもわからないと言うのだろう? ――ついて来い」

「わかりました」

「返事は「はい」だ」

「はい」

宗像大尉の言葉は常に辛辣だった。

「あら、美冴ちゃん。――ああ、大尉さんになったんだね。昇進おめでとう。あんた、もう出歩いても大丈夫なのかい?」

「ありがとうございます。でも、私が功を立てての昇進とはとてもいえないので、内心複雑です。――体の件は、そうも言ってられません。香月副指令は私がベッドで寝ている事が気に入らないようなのです」

「あはは、そうかもしれないね。――ん? 黒須? あんた黒須中尉じゃないか! アンタ無事だったのかい!!」

「?」

「どうしたんだい? 黒須中尉。随分と久しぶりだと言うのに元気がないねぇ」

「――京塚軍曹。それが、彼はどうも記憶が曖昧というか――以前のことをよく覚えていないようなのです。都合の悪いことは全て忘れる――それが彼のポリシーだった可能性は否定しませんが」

「そうだったのかい。まあ、飯をしっかり食ったら思い出すさ」

「私からもお願いします」

宗像大尉がオレに視線を飛ばし、目配せする。

「よろしくお願いします!」

反射的に言葉が口に出ていた。

京塚軍曹を名乗るおばちゃんの押しの強さに、オレは少々ビビッていたのかもしれない。

「いい返事だね。ま、それだけ元気なら大丈夫ってものさ――ところで、何か食べに来たんだろ?」

「軍曹、何か残っていますか?」

「あんた達、遅かったからねぇ。なにも残ってはいないけど、今、噂の新製品を今仕込んでいたところさ。なかなかの人気でね」

「ああ。例のものですね」

「そうさ。英雄様の発案さ」

「ヤキソバパン……彩峰の大好物――」

オレが何度も彩峰に強請られたパンじゃないか。

「!? あんた、これ知ってるのかい? そうさ。彩峰少尉はこれが大好きだったねぇ」

「黒須中尉……?! キミは彩峰少尉と面識があったのか?」

彩峰少尉? ……あった?  引っかかる物言いだった。

って、彩峰、少尉?

あいつも軍隊に?

宗像大尉が視線鋭くオレを見る。

気のせいか? 宗像大尉の視線が……オレを鋭く抉るように。

「え? あ? いえ。ありません」

「……もう一度確認する。私の目を見るんだ黒須。それは本当か?」

宗像大尉が無事な方の手でオレの胸倉を掴んでいた。

見た目からは想像もできないほどの凄い力だった。

「答えろ!!」

「そんな人は、知りません」

オレが断言すると、宗像大尉はオレを解放してくれた。

「……そうか」

「まぁ、とりあえず腹ごしらえだ。適当に席に着け」

「はい」

どこか残念そうなのは気のせいか。

◇◇◇

目の前には小さな拳大の茶色の紙パックがあった。

「これは?」

「伊隅大尉お勧めの栄養ドリンクだ。飲め」

言われるままにストローを刺しつつ飲んだオレ。

……?!

ゲロマズ?!

オレは堪らず噴出した。

あ。

しまった!

宗像大尉が汚れた自分の制服に目を落とし、顔を顰める。

「……キミは私に何か思うところでもあるのか? それとも、こうして見目麗しい女性を汚すことで快感を覚える哀れな性癖の持ち主なのか?」

「ち、違います!」

「違うとは何を指して言った言葉だ?」

「……勘弁してください、大尉」

慌ててフォローしても追い討ちをかけるほどに、いい性格をされてるんですね、大尉殿。

以後気をつけます。

「そうか。残念だ」

「黒須中尉。思うところを忌憚なく話してみろ。――私が香月副指令から一言念を押されていなければ、私は今頃キミを迷うことなくしかるべき施設に送致するよう取り計らっていただろう」

――どこなんだよ、それは。

聞きいたらとんでもないことになりそうなので、聞かないことにする。

「?」

「いいから話すんだ、黒須中尉」

「おっしゃられていることの意味がよくわかりません」

「考えるんじゃない。感じるんだ。キミが感じていることを話してみろ、――私は、そう言っている」

あー、そういうことか。

この世界での疑問をぶつけろ、そう言われているのか?

でも、社にこの世界の人間でないということを言うなと言われたよな。

あ、でも、そのことに触れなければ良いんだ。

なんだ、簡単じゃないか。

ここは、そうだな、よし――。

「オレは――」

◇◇◇

オレはこの日、宗像大尉の喜怒哀楽といった表情を全て見たような気がした。

初対面の相手にこうして話せるなんて、自分でも驚きだった。

◇◇◇

「わかりたくもないが、大体のところは飲み込めたよ」

「宗像大尉、ありがとうございました。オレの感じていた違和感の原因がようやくわかったような気がします。やっと納得できたと言うか、諦めがついたと言うか――夕呼先生や社から聞かされたことの裏づけが取れた、というか――」

「――ほう? それも妙な言い回しだな」

――しまった?!

こ、これが誘導尋問というものか!?

「そしてキミは、香月副指令のことを先生と呼ぶのか――ある人物を思い出すよ――そして、彼は姿を消した」

宗像大尉の言葉はオレの目の奥を見透かすように潜り込んでくる。

「――そして、その代わりにキミが現れた」

大尉の目が妖しく光った気がした。

「オレは」

「何も言わなくて良い。そして、それを聞く権限は――おそらく私にはない。そして、それを聞く勇気もない。私はこう見えても小心者なんだ」

「オレ……」

「いいか、私は今の話、全て聞かなかったことにする。――キミも何も話さなかった。「夕呼先生と社の言いつけ」とはそういうことだ。いいな、黒須中尉。必ず守れよ?」

囁くような声は、オレに配慮しているようで、その実は――。

嘘なのか本当なのか、まったく本心が掴めない。

「はい」

「良い返事だ。ならば、このままここで昼食を取って、それからシミュレーション訓練を始めようじゃないか」

「はい」

◇◇◇

食事後の宗像大尉の一言。

「――なぁ黒須。これは純粋な興味と言うか憧れに近いのだが――キミ言う世界――平和な世界とはどのような世界なんだ?」

椅子から立ち上がろうとしたオレは思わずよろめいた。

全て書かなかったことにするって言ったのはつい今しがただろ?!

話すわけには行かないが、今のは完全にしてやられた。

「――冗談だ。なんだ。キミは本気にしたのか。――キミは誠実なのだな」

宗像美冴大尉。

底が知れない上官であった。

「――そうか、キミの話――妄想ではなかったのか」

◇◇◇

シミュレーター。

ゲームをやってる気分だった。

しかも、ヌルくてイライラする。

イージーモードをさらにイージーにしたような張り合いのなさ。

戦術機に乗って戦うための訓練、と教えられたが、もしかしたら余り面白みのないことになるかもしれない。

昨日、社から教えられて、唯一オレの興味を引いた話題だったのだけれども。

それに、強化装備と言ったか?

この変なスーツはいただけない。

もっとましなデザインはなかったのかよ。

「ご苦労だった黒須中尉。今日はここまでにしよう」

「以前のデータと比較にならないほどの腕前だ。――腕を上げたようだな――とても同一人物とは思えない」

宗像大尉の顔が笑っている。

――大尉は、わかって言っているに違いない。

「こんなのだれでもできますよ」

「含むところがあるようだな、黒須中尉。――だが、キミは特別だ。何も問題はない」

「そうですか?」

「――戦術機の操縦については問題ない。だが、黒須中尉。キミは最近運動不足なのではないか? ああ、言い忘れたが、キミにはグラウンドを走る権利がある。さっそくその権利を行使したまえ」

「え?」

「何をしている? 黒須中尉。着替えて、持久走を行うのが日課だったではないか。遠慮せずに早く行きたまえ。――ああ、思い出した。キミは美女の声援がないと、やる気が起きない口だったな。忘れていたよ。私もすぐに行く」

「ええ!?」

「私を待たせるつもりか? キミはそれでも日本男子か? ――早く行きたまえ」

「――は、はい」

――どうしてこんな展開に!?

◇◇◇

はぁはぁ。

ちっくしょう、今走り始めたばかりだというのに、もう足が痛くなってきた。

何故だ!?

なぜオレはランニングなどしているんだ?!

何かよくわからないうちに走らされてるぞ?

しかも――だ。

「黒須中尉。ペースを上げたまえ。以前のキミはこんなものではなかったはずだ」

宗像大尉の持つ拡声器から無責任な声援が飛ぶ。

「……」

はぁはぁ。

倒れそうなほど、既にきついんですけど。

「私はキミが美しく走る姿が見たいのだ。早くしてくれたまえ。ああ、それはきっと、とても感動する光景に違いない」

「……」

はぁはぁ。

「何を休んでいるのだ? ――キミはこの程度の男ではないはずだ。――私を失望させるな、黒須中尉」

「……」

はぁはぁ。

「おかしいな。黒須中尉といえば、中隊一、持久走に自身があったと記憶しているのだが。これは妙なこともあるものだ」

「……」

はぁはぁ。

「あれはいつだったか。キミが寝物語に語ってくれたと思ったのだが……」

!?

「……わかりましたよ、走れば良いんでしょう走れば!! だから妙なことを言うのは止めてください!!」

「なんだ、元気があるじゃないか」

「……」

「……」

「……いいから早く走れ!! さっさと行け黒須!!」

……はじめからそう言えよな……。

◇◇◇

――夕食後。

オレは、社に促され、夕呼先生の部屋――副指令室――の部屋に入った。

「夕呼先生、呼びましたか? 社が迎えに来てくれたんですけど」

オレの後ろから、ひょっこりと顔を出した社。

「社、ご苦労だったわね」

「……(コクリ)」

トトト、小刻みに歩いて夕呼先生の傍に歩み寄る姿は小動物に見えなくもない。

夕呼先生はそんな社の頭を撫でながら、いつもの調子で口を開いた。

「黒須。いいところに来たわね。つい今しがた、良いことを思いついたところよ。しかも二つもね! さすが私よねー」

にやりと笑う先生。

嫌な予感しかしない。

この笑顔の後は、必ず誰かが不幸になるのだ。

そして、今回のターゲットは9割8分、オレに違いない。

「先生、何か企んでますね?」

「嫌なこと言うのねぇ、あんたには何もしないわよ。あんた、人の事なんだと持ってるわけ? 失礼しちゃうわ」

「だって、いつもそうでしたから」

「ふーん。ま、いいわ――黒須、今夜はあなたいた世界の、あなたのお友達の事について聞きたいの。話してくれる?」

――なぜそんなことを聞く。

「そんなこと聞いてどうするんですか」

「純粋な興味よ。あなたと親しいお友達――そうね、黒須、あなたに恋人とかいないの? あ、まさか結婚はしていないでしょうね?」

な、何を言い出す!!

「結婚なんてまだしてませんよ! そんな歳じゃないです!!」

「そ。面白くないわね――社もそう思うわよね?」

「……はい」

表情なく頷く社。

「面白くなくて結構です」

「じゃあ、あなた、恋人は?」

「恋人――といえるかどうかはわかりませんけど、親しい女友達なら二人いました」

「――どんな関係?」

「幼馴染です。物心ついたときにはいつも隣にいましたよ」

「名前を聞いてもいいかしら。黒須君の恋人の名前」

「恋人じゃないですってば。ええと、コイツは白系ロシア人なんですが、エレーナ・ストレリツォーヴァ、そして日本人で、月環咲夜って名前の子です」

「どんな字を書くの? 書いてみてもらえる?」

「いいですけど、何のために?」

「姓名判断よ。後で黒須との相性を見るの――黒須。私がそんなことするなんて、意外だと思った?」

「当たり前です」

「断言されると、それはそれで頭にくるわね。――まぁ、ちょっと書いてみて」

オレは渡された紙に鉛筆で書いて渡した。

「ありがとう。彼女たちについて聞いていい? ――素敵な子達だったんでしょ? 黒須が好きになるくらいだもの。ね、社?」

「……はい」

今度の社は笑顔を浮かべた。

――社が笑うなんて。

珍しいよな?

◇◇◇

「黒須、あなたも疲れているだろうけど、どうしても今日やっておきたいの。ちょっとついて来てもらえる?」

「オレに断る権利はないんですよね?」

「何をいまさら。さ、行くわよ? 社。あなたもついて来て」

「――はい、香月博士」

いくつもの隔壁を抜けて、先生は奥へ奥へと進んでゆく――。

オレと社はそれについて行った。

そこには、青いシリンダーが幾つも並んでいる。

――中に何か浮かんでいるんだが……見てはいけないと、頭の中で最大級の警告が――。

先生が立ち止まった先に、それがあった。

「黒須。因果律量子論は知っているわよね?」

「ええ。先生が言いだしたトンデモ理論ですよね。オレの世界で先生が黒板に書いて説明していたやつじゃないですか?」

「へー。あなた、授業まともに聞いているのね」

「ええ、雑談をされるときだけ、なんと言うか、授業聞きたくなるんですよね」

「普通の授業も頑張りなさいよ?」

「ええ、もし元の世界に戻れたなら、そうしたいと思います」

先生の視線の先。

オレもなんとなく、そちらに目やった。

それは――。

これって――。

見てしまった。

先ほど、あんなに強くオレ自身の無意識が警告していたのに――。

何気なく、目をやったシリンダーの中身。

それは。

――これって――。

――どう見ても、目の前のシリンダーに浮かぶ物体――は――。

――それは、紛れも無い人体の姿で――。

先生が向き直る。

「だれだと思う? 黒須、あなたにも面識があるはずなんだけど」

――だ、だれだ――!?

この、特徴的な触覚は――。

「……鑑……純夏……? ……白銀の……」

――ドクン――。

オレの心臓が――跳ねる。

おそるおそるシリンダーの中を覗き見る。

!!

馬鹿な。

鑑が、鑑が。

シリンダーの中で眠っていた。

――どういうことだ!?

「そう。鑑純夏よ。――彼女こそ、人類の救世主を演じた娘」

「演じた?」

「そうよ。彼女はおそらく今――永遠の眠りについている」

そう熱っぽく話す先生の瞳はどこか狂気を帯びているようにも見える。

――こ、これが世に言うマッドサイエンティストというやつか!

「そ、それって――」

「生物学的には死んでいるわ。でも、鑑が死んだのはそれのずっと以前の話よ。それとこれとは関係ないわ」

「どういうことです?」

「今話しても、あなたには理解できない。――だから、今は話さない。わかった?」

――先生の話すことは殆ど理解出来ない。

でも、とても重要な話をしている――そう思えてならない。

オレはシリンダーの中の鑑を見つめる。

鑑――お前はどうしてこんなものの中にいる――?

「なに、黒須。鑑に惚れたの?」

「バカいわないでください!」

オレはシリンダーの中に浮かぶ鑑から目を逸らす。

「じゃ、構わないわね」

「!?」

なにが構わないって?

「社、やってちょうだい」

「はい――。でも、博士、純夏さんはもう――」

社が今にも泣きそうな顔で夕呼先生を見ている。

「あなたが黒須から見たものを鑑に投影してちょうだい。――いい? 最新の例の情報を見せてあげなさい」

オレから視たもの?

最新の情報?

何のことだ?

「でも――」

「ええ。活動限界だった――わね。いいからいいから。かまわないからやっちゃって。私の計算だと――」

社がシリンダーの前に立つ。

◇◇◇

「純夏さん」

……。

「純夏さん――」

……。

「純夏さん――――?」

……。

社が物言わぬ鑑に声をかけ続けていた。

どのくらい待っただろう。

10分はたったかもしれない。

いい加減、飽きてきたときだった。

「――!? 純夏さん――?」

気泡。

死んでいるはずの、鑑の口から零れる泡。

!?

シリンダーの中の鑑が、息を、吐いた――のか?

「純夏さん――まさか――本当に――帰って――」

帰って? ――どいうことだよ?

先生の口元が笑みを形作る。

「――あはは、あははははは!――面白いじゃない。面白いわ!! 人類にとっての最良を常に選び続ける――それが、そしてこの結果が、あなたの意思なのね!?」

社が頷き、振り向いてオレを見た。

社は泣いていた。

涙を流れるままに任せて、泣き腫らしていた。

だが、オレの傍らに立つ夕呼先生は無慈悲にも言い放った。

「――じゃ、社。次、お願いね」

そして、再び社は鑑に目をやる。

「うぐっ――純っ夏っ――さん、お願いっ――しっます――うぇっ――ごめんなさい――」

すると――。

?! 鑑は瞼を薄っすらと開いた――かに――見えた――。

オレの頭の中がかき回される。

何かが見える。

オレが強く感じるのは誰かの姿。

だれだ、これは一体――。

白い、白稜の制服。

白銀? か? 先ほどから白銀の姿ばかりが思い浮かぶ――。

しかも最近のものばかり。

笑ってるところ、バカやってるところ、怒られてるところ――はは、あいつほんとバカだよな。

鑑と騒いでいるところなんて特に――。

――タ――ケ――ル――ちゃん――。

タケルちゃんが――笑ってくれている――本当に――本当に――嬉しいよ――。

――私も――こんな平和な世界に――生まれたかったな――。

なんだ? この声は! ――もしかして、鑑? 鑑なのか!?

シリンダーの中の鑑が何かしたとでも!?

鑑の姿が黄金色に輝き――少なくともオレにはそう見え――始めた。

眩いばかりの黄金色の輝きは、オレを、社を、夕呼先生を包んで――。

あまりのことにオレは悲鳴を上げていたらしい。

それからの事は良く覚えていない。

◇◇◇

2002年 1月16日 火曜日

ゆさゆさ……。

ゆさゆさ……。

「ん……エレーナ?」

ゆさゆさ……。

「……えい」

掛け布団が剥がされた。

オレは目を開ける。

目の前には小柄な女の子。

「や……し……ろ……」

黒い制服。銀の髪。――それは社だった。

「……おはようございます、黒須さん」

「あ、ああ。社。――起こしてくれてありがとな」

「……(こくり)」

社が頷く。

――それにしても。

「なんだ、あれは夢だったのか。変な夢だったな――」

本当に変な夢だった。

青いシリンダーの中の鑑。

そんな事があるわけがない。

「……」

「ホント、変な夢だ――」

第二章

2002年 1月17日 水曜日

「麻倉舞少尉です! 本日只今を持って原隊に復帰いたします!」

元気に声を張り上げる少女。

少し調子の外れた声。

無理に大きな声を出そうといるようにも聞こえる。

肩辺りまで髪を伸ばした、ややおとなしそうな女の子だった。

ああ、こいつ知ってる。

夕呼先生のクラス、3-Dの子だ。

そんな麻倉の元気な声に、宗像大尉が優しく応じた。

「復帰を許可する、麻倉少尉」

「は!」

宗像大尉。

頼むからオレにも優しく接して欲しい。

緊張からか、麻倉の声は硬かった。

「麻倉、キミが所属していたA-01連隊だが、今までの作戦で、伊隅隊長を始め、多くの仲間たちを失った。――連隊は事実上の壊滅状態であり、実働可能な衛士はキミともう一人――この黒須中尉だけだ。本来ならば、とっくに部隊の解散命令が出てもおかしくないはずだが、そんな命令は受けていない。逆に、香月副指令はこの組織体型を維持したまま、新たに隊員を補充する予定だと聞いている」

淡々と説明する宗像大尉。

麻倉は初めて聞いたのだろう。

それなりの覚悟はあったようだが、酷くショックを受けているようだった。

「近く、隊の再編がおこなわれるはずだ。私はそれまで、キミの指導を命じられた。午後から早速、ここにいる黒須中尉と共にシミュレーターで訓練を行ってもらう」

オレは麻倉に軽く挨拶をしておいた。

「よろしく、麻倉少尉」

「またよろしくお願いします、黒須中尉」

また? この子はオレと面識があるのか――。

さすがのオレも、麻倉についての記憶はほとんどない。

同じクラスになったこともないし、接点なんて何もなかったからな。

しかし、やはり麻倉の声は硬い――。

「では、13:00に強化装備着用の上シミュレータールームに集合せよ! では、解散!」

宗像大尉がオレに目配せする。

あ、忘れてた。

号令をかけないと。

「敬礼!」

麻倉が敬礼する。

その場は解散となった。

◇◇◇

オレが部屋を出ようとすると。

「黒須中尉、ちょっと来い」

――やはりそう来たか、宗像大尉。

さっきから視線で合図受けてたものな……。

「なんでしょうか、宗像大尉」

「言わずともわかっているな? 黒須中尉。部隊への配属は昨年10月、戦闘参加は僅かに二回、そのうち対BETA戦闘は一回に過ぎず、そのBETA戦闘で負傷して病院送り。二月ぶりに原隊に復帰してみれば、伊隅隊長以下ほぼ全員が戦死、もちろん同期も茜以外全員戦死。その茜も負傷して今だ復帰せず」

淡々と言っているが、大尉も内心穏やかではないな。

言葉に熱がこもり始めてる。

「今の隊長は自分に辛く当たってばかりであった私。一人元気なお前にいたっては論外だ。黒須中尉、キミは完全に嫌われている」

「何故です」

「胸に手を当てて考えてみろ」

オレは天を仰ぎたくなった。

わけがわからない。

――胸に手を当ててみた。

当然、何も出てこない。

「……。で、オレにどうしろと?」

「何を言われても動じるな。お前は現実を教えてやると良い」

は? そんなので大丈夫かよ。

とても麻倉がどうにかなるとは思えない。

「突き放して大丈夫なのですか?」

「まだ本人には秘密だが、あと数日で茜が隊に復帰する。それまで持たせるだけでいい。それに、お前は嫌われているのだ。自覚しろ」

宗像大尉の視線が冷たい。

「はい」

なんと理不尽な。

◇◇◇

――どうしてこうなった。

午後は麻倉と二人でシミュレーター訓練ではなかったのか。

ここは北海道にある千歳基地の第一滑走路。

ここは北海道なのだ!

目の前には戦術機が完全武装で並んでいた。

座学では聞いていた。

シミュレーターにも乗ってみた。

しかし、実物を見てみると、不安ではちきれんばかりだ。

巨大ロボット。

鋭角的なで威圧的なデザイン。

そんな人型兵器。

ありえなさ過ぎる。

バルジャーノンじゃあるまいに。

今、オレの目に映るのは日本帝国軍の戦術機、戦車、高射砲……。

大体、日本国の自衛隊ではなくて、日本帝国の帝国軍というのが頭が痛い。

まぁ、今はそれは横においておいて、この現状を整理してみよう。

戦術機や戦車、その他もろもろは日本帝国軍千歳基地の第一滑走路を遠巻きに取り囲んでいる。

その滑走路の傍らに駐機中の大型輸送機の前にオレたちはいた。

オレと麻倉の二人は強化装備を着せられている。

まぁ、怪我が完治していない宗像大尉の強化装備の着用には無理があるのだが。

しかし、強化装備というのは、何度着てもしっくり来ない。

でもその内、気にもならなくなるかもしれないな。

◇◇◇

Su-37UB チェルミナートル。

それが今現在、帝国軍が取り囲みつつ、オレたち三人が目にしているソビエト連邦の戦術機の名前らしい。

帝国軍の撃震とは違う、洗練された近接機動格闘戦を強く意識したフォルム。

巨大なスラスターを持つその機体は、ブレード付きの跳躍ユニットを装備していた。

機体の各所に弾痕らしき陰が散見され、素人目にも装甲各部に破損箇所が認められる。

彼女に刻まれた、それらの勲章の全てが自由なる新天地を求めた祖国からの脱走劇の激しさを伝えていた。

◇◇◇

数時間前、レーダー網をかいくぐり、突如として現れたこのソ連の戦術機に基地はパニックになったらしい。

今から5年前に正式な配備が開始されたこの2.5世代機。この大型戦術機はその優れた格闘戦能力が知られているに過ぎず、多くは鉄のカーテンの元、闇の中とされる。

この機体を駆り、帝国軍の迎撃機を一瞬で無力化して千歳基地に強行着陸を敢行したソ連のパイロットは、この機体と、自身の身柄の国連軍横浜基地への輸送を条件に、帝国への亡命を申し出たそうだ。

らしい、というのは、オレも先ほど聞いたばかりと言うことと、初めて聞く単語が多すぎてオレの頭が混乱しているからに他ならない。

しかし、今どきソビエト連邦って……ロシアはどうしたロシアは。

改めて別世界なのだと思い知らされる。

◇◇◇

近づいてきた一台のジープから、一人の士官が降り立った。

士官の敬礼に対し、オレたち三人は答礼した。

「私はこの緊急事態に臨時でこの場を預かっている日本帝国軍第二独立戦術機甲連隊の松浦七海大尉だ。貴官らが国連軍の?」

「国連軍横浜基地所属の宗像大尉です。このような姿で答礼も満足にできず、申し訳ありません」

見れば、目つきが鋭い――いや、はっきり言って目つきの悪い、中性的な風貌の女性士官だった。

背丈は160cmに少し足りない、といったところか。

ん? 何処かで見たような?

いや、まさかまさか!

「な、ななみ先輩!?」

聞きとがめたのだろう。

そしてこれこそが、この人物がまぎれもないななみ先輩であることを示していた。

「ん? き、貴様まさか、――黒須、あの黒須か!? 貴様、今は国連軍に!?」

「黒須、黙らないか!」

「申し訳ありません、松浦大尉、黒須中尉が失礼を。――黒須の詳細は機密事項でして、その……」

ななみ先輩はオレを睨みつけ、鼻を鳴らして威嚇する。

「フン、機密か。貴様がここにいる理由、そう考えることが自然であろうな。全く、貴様如きと口を利くのも汚らわしい。帝国国民の恥、この売国奴め。貴様のような下種を使わねばならぬほど、国連軍も逼迫しているのだろうよ。――とはいえ。国連軍も人材不足か。貴官の満身創痍の姿を見ると、明日は我が身であろうこと、思い知らされるよ。――で、宗像大尉、あれはいつまでに片付けてくれるのだ。あの共産主義者どものガラクタは。――まったく、あのようなデカブツ、何の役に立つと言うのだ。あの露助め、どうせならソ連ご自慢の大型トラクターでも土産に持って来れば良かったのだ。その方が現状の万倍は帝国に貢献できただろうに!」

帝国の恥?

売国奴?

――オレの事なのか?

「二時間――いえ、一時間半ほどいただけますか?」

「一時間だ。一時間でやって欲しい」

「わかりました。大尉」

「よろしく頼むよ。まあ、君たち国連軍も、あんな赤の手先を身内に抱えて大変だろうが」

赤の手先――?

何の話だ?

「彼はよくやってくれてますよ。――特に私の靴磨きなど」

「あはは! 宗像大尉、貴官とは巧くやれそうだ。作戦の成功を祈る――。部隊には貴官たちの邪魔をしないよう、厳命しておくとしよう」

「――ご配慮、ありがとうございます、松浦大尉」

「礼には及ばない。ではこれで! お互い、負傷時くらいは充分な休みを貰いたいものだな! ――もっとも、今の状況ではそれも贅沢か」

◇◇◇

「早速だが、黒須中尉、キミに特別任務を与える。あのチェルミナートルの目の前まで丸腰で歩いていき、愛しの恋人と永遠の愛を確認して来い!」

「は?」

「うわ、大尉それって……!」

「麻倉、お前は黙ってろ! 黒須中尉! キミは命令を復唱しないか! これは冗談でも軽口でもない。香月副指令直々の正式な命令だ。私もつい先ほどまで命令の詳細は知らなかった。耳と目を疑ったが、本物だ」

「し、しかし」

そうは言われてもな。

「本物の副指令の命令なんですか?」

麻倉は目を丸くして驚いていた。

無理もない。

オレも驚いている。

映画やお芝居でも聞いたことがないぞ。

「そうだ。ターゲットの名前は『エレーナ・ストレリツォーヴァ』だ。恋人なんだろ? 可愛いじゃないか。ソ連伝統の督戦隊や懲罰大隊を単機で振り切り、命を張って男を追ってくるなんて。――私にはとてもそんな勇気はないよ」

「え?」

エレーナ?

エレーナと言ったか? 今。

「キミは何を聞いている。命令は『チェルミナートルの目の前まで丸腰で歩いていき、愛しの恋人と永遠の愛を確認する』だ。黒須中尉、復唱!」

「は! 私、黒須中尉はチェルミナートルの前まで丸腰で歩き、エレーナのバカと永遠の愛を確認して参ります!」

「よろしい!」

「っぷ! あはははは!」

堪えかねたのだろう。

麻倉がオレを指差して大笑いしやがった。

宗像大尉は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「では行って来い! ロミオ。――黒須中尉、本日只今を持って作戦開始だ! 今日こそジュリエットに告白して来い!」

「黒須中尉、了解!」

雷が落ちぬうちに、急いでその場を離れるオレ。

そんなオレの背中に、麻倉の興味津々な声が聞こえる。

「――宗像大尉、本当にその方は黒須中尉の恋人なんですか?」

◇◇◇

帝国軍の取り囲むソ連の戦術機。

Su-37UB チェルミナートル。

そしてその中に――。

その中に、エレーナのバカがいるのか?

いや、いるのだろう。

いるに違いない。

◇◇◇

オレは帝国軍の連中からあからさまな好奇の視線を向けられつつも、作戦ポイント――告白場所だ! ――に到着する。

オレの目の前には鋼鉄の巨人、Su-37UB チェルミナートルの姿があった。

弾痕の痕も生々しいその姿。

今からやろうとする行為とのギャップが、余計にオレを躊躇させる。

そうさ。

命令は実行しなければならない。

――それが夕呼先生との契約なのだから。

――でも、どうする!?

――大声で叫ぶのか?

――マジで!?

周囲には帝国軍が展開している。

――オレって、晒し者!?

オレがどうしようかと考えあぐねていたときだ。

『イサミちゃん!!』

耳が痛い。

外部スピーカー。

しかも大音量だった。

しかも何処かで聞いたような、それでいて懐かしい声がした。

本当に、エレーナの声!

『イサミちゃん、イサミちゃん!! 迎えに来てくれたんだ!! 今行くね!!』

もう、欠片の疑いなくエレーナの声だと信じることができる。

その流暢な日本語。

エレーナが次々と放つ、かなり恥ずかしい言葉の数々が容赦なく周囲に響き渡っていた。

『いま、そっちに行くから!』

言うが早いか、

チェルミナートルのハッチが開く――。

取り払われるヘルメット。

零れ、溢れる豊かな銀の髪。

冬の日差しが、銀の輝きを帯びた。

「やっぱり生きてた! イサミちゃん!!」

オレを呼ぶ、耳に焼きついて離れないこの声は――。

ああ、これは、これこそは――。

なぜかオレは涙を――。

「エレーナ!!」

ほとんど無意識だった。

いや、他にかける言葉はないだろう。

エレーナの名を呼ぶ意外、他に手があるものか。

オレたちの間にはその他諸々の言葉なんて必要ないはずだ!

そうだろ?! エレーナ!!

「イサミちゃん!!」

エレーナが両手を広げて飛び降りてきた。

強化装備に身をまとったエレーナが宙を舞う。

オレはそれを救い上げるようにして受け止めて。

あ――。

エレーナの唇がオレのそれを捉え、重なった。

永遠とも思えるその一瞬。

飛び離れて、器用な体さばきで地面に降り立つエレーナを見る。

感心しているオレに、再び飛びつく。

「イサミちゃん! 迎えに来てくれたんだね! わたし、イサミちゃんが必ず迎えに来てくれるって、信じてたよ!!」

抱きつきながら、そんなことを言うエレーナ。

「わたし、ホントにホントに信じてたんだから!!」

オレはそのエレーナのオレに対する信頼に胸が熱くなった。

まさにオレの知るエレーナそのものといって良い。

まぁ、当然といえば当然なんだけど。

「エレーナ。エレーナなのか?」

一瞬だけ、心細くなったので聞いてみた。

「へ? あったり前じゃん! イサミちゃん! あはは! 頭でも打った?」

◇◇◇

「――黒須です。宗像大尉、エレーナを確保しました」

『そうか。チェルミナートルは自力で横浜基地まで飛べそうか?』

「ちょっと待ってください」

『了解』

オレは傍らに立つエレーナに聞いた。

「なあ、エレーナ。この機体を横浜まで持って行く。飛んでいけそうか?」

「飛べるけど、燃料が足りないかも。途中の戦闘でかなりロスしちゃった」

「黒須です。宗像大尉?」

『宗像だ』

「燃料が足りないそうです」

『補給させる。補給は帝国軍に任せて、キミ達はチェルミナートルに乗り込み、機体のチェックをするんだ』

「え? 二人ともですか?」

『複座なんだよ、その戦術機は。定員は二名だ。キミ達は久し振りの再会なんだ。帝国の空を満喫したまえ。――私からのちょっとしたサプライズ――そう思ってくれて構わない』

◇◇◇

地球の空は人類のものではない。

――宗像大尉が言っていた。

それでも、一月ほど前に存在した佐渡島ハイヴの消滅以降、このあたりの空は光線級の脅威が薄れ今では平静を取り戻していると言う。

まったく実感がわかない。

大空は人類のもの――そういう感覚さえ希薄だ。

自由に飛べて当たり前。

そうに決まっていたのが、オレの世界の『常識』なのだから――。

第三章

オレはエレーナともにSu―37UB チェルミナートルに搭乗していた。

特に何をするわけでもない。

操縦は全て、エレーナが行っている。

操縦席でやることはと言えば、エレーナの独り言にも似た、オレ、黒須勇海に向けられているであろう愛の独白を聞くだけ。

そしてその言葉は、オレの記憶と重なって時々妙な気分にさせる。

どうしても、オレの知るエレーナと、ここでのエレーナが被ってしまうんだ――。

「イサミちゃん、私あのね、イサミちゃんが死んじゃったと思ってた。だってだって、あんなに血がいっぱい出てたし、もう駄目なんだ、なんて勝手に思っちゃって、わんわん泣くだけで、何もできなかったんだ。ごめんね、ごめん。本当にごめんなさい」

何を言っている? お前はだれに謝っているんだよ。

「イサミちゃん――好きだよ。好き。だから、もう、わたしから離れていかないで――ホントに、愛してるの――」

それは、オレの記憶では聞いたことがないエレーナの秘めたる想いのはずの言葉だった。

「だから――もう二度と、わたしを置いて、どこかに行ったりしないで。お願いだから……」

エレーナが弱さを見せている。

そんなエレーナをオレはおそらく見たことがない。

でもきっと、コレが本当のエレーナの気持ちなのだろう。

どんなに明るく振舞っているように見えても、どんなにバカやってるように見えても。

気持ちの根底では、こう思っていたに違いない――。

オレは、そんなエレーナに、何をしてやれた? ――正面から向き合って来たか?

――そう考えると、このエレーナの紡ぐ言葉の数々をオレが受け取る資格など到底無いように思えた。

――よくよく考えれば、この世界のエレーナがオレに好意を寄せていない可能性も大いにあったのだから。

◇◇◇

――夕食後。

オレは今日も夕呼先生に呼ばれていた。

「一体どういうことですか。どうしてこの世界のエレーナがオレを知っているんです? まして、どうしてあのような――恋人に対するかのような態度をとるのですか」

「ああ、それね。いいわ。教えてあげるから聞きなさい」

「――この世界の黒須勇海中尉は、とある任務でソ連軍に潜入していたわ」

「宗像大尉から少し聞いたような気がします。ですが、そんなことが可能なのですか」

「できるわよ。しかも合法的に」

「これ、当時のプラウダのフィルムよ」

「見て御覧なさい。ここに『我らが革命に勝利あれ! 日本帝国より英雄来る。わが革命精神に同調した同志――』ってあるのわかる?」

オレはその映像を見たが、謎の文字が躍っているようにしか見えない。

「読めるわけないじゃないですか」

「そ。あなた――見た目どおり学がないのね」

「どういう意味ですか!」

「バカね、そのままの意味よ。ま、そんな事はどうでも良くて、亡命って言ったでしょ?」

「日本――西側からの亡命――ま、まさかオレ、この世界のオレはソ連に亡命を!?」

「そう。ソ連に帰国した愛する女性を追って行ったの。――国も家族も、地位も名誉も何もかも捨ててね。カッコいいでしょ? この世界のあなた。なかなか出来ることじゃないわ。――彼が亡命を決意したのは、先の11月の初め頃だったわ」

「ソ連に帰国――って、その女性が――。その、エレーナなんですね。そうか。この世界のオレは、エレーナの保護者であり続けようとしたんだ。ずっとずっと一緒、って約束、果たしたんですね」

「あら。あなたたち、そんな約束してたの? 純情よねー。昔からそうだったの?」

◇◇◇

♪おおきな ふくろを かたにかけ だいこくさまが きかかると
ここに いなばの しろうさぎ かわを むかれて あかはだか

♪だいこくさまは あわれがり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれと よくよく おしえてやりました

♪だいこくさまの いうとおり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれば うさぎは もとの しろうさぎ

♪だいこくさまは だれだろう おおくにぬしの みこととて
くにをひらきて よのひとを たすけなされた かみさまよ

(大黒様 作詞 石原和三郎 著作権の切れた作品)

(エレーナ)「なぁに? そのおうた?」

(イサミ)「おまえしらないのかー!? だいこくさまだよ、だいこくさま!」

(エレーナ)「だいこくさま~?」

(イサミ)「おかあさんにおしえてもらったんだ」

(エレーナ)「いいなー。わたしのおかあさん、いっつもいそがしいんだー。いつもおうちにいないの」

(イサミ)「えー!? そうなのか!? じゃあ、おとうさんは?」

(エレーナ)「おとうさんもいないー。おとうさん、めったにおうちかえってこないんだー」

(イサミ)「じゃあ、おまえいっつもひとりなのか?」

(エレーナ)「わたし……ひとり? ひとりなのかな? ひとり……ひ……と……うわわわわわーーん!」

(イサミ)「なくな! おとこだろ! おとこはないちゃいけないんだぞ!」

(エレーナ)「う……う……ぐすん、わたしおんなのこだよー」

(イサミ)「どっちでもいいから、なくな!」

(エレーナ)「うわーん」

(イサミ)「なくなってば! なくなよ! ……そうだ! いいことおもいつた!」

(エレーナ)「……ぐすん……え?」

(イサミ)「オレがおまえのともだちになってやるよ! これから、ずっとずっと、ずーーーと、いっしょだからな! これでさびしくなんかないだろ?!」

(エレーナ)「……」

(イサミ)「うれしくないのかよ!」

(エレーナ)「うれしい、うれしい!」

(イサミ)「オレ、くろすいさみ。おまえは?」

(エレーナ)「くろすいさみ……。わたし、まりーな。まりーな!」

(イサミ)「まりーな? じゃあ、まりーな! きょうからオレとおまえはともだちだ。いいな!」

(エレーナ)「うん!」

◇◇◇

「黒須。想い出に浸るのは構わないけど、あとにしてくれないかしら」

「すみませんでした。先生」

「じゃ、続けるわ。ま、それは表向きの理由。――本当はね、黒須はとある任務を受けてソ連にもぐりこんだのよ。エレーナの件は言わば後付の理由に過ぎないわ。――で、亡命して、正体もばれず、エレーナとも巧くやっていたっぽい黒須なんだけど、なんだか最近死んじゃったみたいなのよね」

ドクン――。

心臓が跳ねた。

この世界のオレが、死んだ!?

「ええ!? ど、どうしてです!」

「それを聞いて意味があるの? あなたはもう、ここにいるのよ? あなたの恋人、エレーナの傍に」

「え?」

「あなた、エレーナを悲しませる気? きっと泣いちゃうわよねー、あの子。純情で初心みたいだからさぁ」

「そ、それはもちろん、そんなことオレは嫌です――その、エレーナが泣くだなんて。見たくもない。――でも、オレが夕呼先生のスパイだったてことをエレーナは――」

「知るわけないでしょ。さっきも言ったとおり、そんなこと知ったら、エレーナ泣くわよ?」

当然の事のように夕呼先生に指摘された。

「それもそうですよね。オレは黙っておきます」

「ええ、そうしてちょうだい。――もしばれたとしても、エレーナの為にそうしたとでも言っておきなさい。少しはマシでしょ。恋は盲目、って言うぐらいだからね」

「はい。わかりました」

「そういうことだから、あなたが死んだ件に関する詳細も教えない。黒須が受けていた任務の内容についても、そう。――あなたがそのことについて知識として知らないなら、エレーナに話しようがないしね」

「わかりました。――そうします」

「ええ。それがあなたとエレーナ、お互いのためよ」

「はい」

「で、本題。ここからはあなた自身にかかわることよ。――さっきも言ったとおり、あなた、いえ、この世界の黒須勇海は、国連軍衛士という軍籍にありながら、この日本帝国からその仮想敵国であるソ連に亡命したの。このとき、あなたは国連軍の戦術機も持ち出しているわ。当時の帝国の主力である89式戦術機、陽炎を持ってね。そして、この機体は西側の最新鋭技術をもちいて、何度も何度も改修が施されていた――わかる? この事実」

「――いいえ。よくはわかりません」

とは言いつつも、これがただ事ではすまないことであることぐらいオレにだってわかる。

「そうでしょうね。まぁ、教えてあげるからありがたく聞きなさい。あなたは日本帝国の、いいえ西側陣営の最新技術の数々を仮想敵である東側に売った売国奴なのよ」

「な……そんな売国奴だなんて古い言い回し――」

夕呼先生の意外な顔。

「あら。あなたの世界って、本当に平和だったのね」

「う。それはそうですけど」

「まぁいいわ。あのね、そういうわけだから。黒須。あなた、日本帝国では東側の女スパイの色香に惑わされて国を捨てた売国奴、ソ連からは二重スパイ、その他、世界各国の諜報機関からは国家機密を売った特A級の危険人物としてマークされてるわ。あなたが今、暢気に私と話をしていられるのは、私の強い影響下にあるからこそなのよ。あなたがこのことを忘れたら最後、即、消されるわ。 ――そこのところ、勘違いしないでおいてね」

淡々と話す夕呼先生が怖い。

――私に逆らうと殺す――先生はそう遠まわしに言っているのだ。

「じゃあ、じゃあ、今日オレが帝国軍の連中から受けた冷たい仕打ちは――」

「そうよ? もともとあなたの身から出た錆。あなた自身が原因よ。――そして、日本国民のおそらく8割があなたを憎んでるか、殺したいと思ってるわ」

「……。念のために、残りの2割の人は――」

「そもそもそんなことに興味がないだけの人。――この人たちにもあなたが嫌われてるのは、間違いないでしょうね」

一つの疑問が過ぎる――聞いてもいいのだろうか。

いや、聞いておこう。

――精神の安定のためにも。

「あ、あの、根本的な疑問なんですけど、そんな背景のあるオレをどうして夕呼先生は匿ってくれてるんです?」

「決まってるじゃない、黒須。――この私にとって、あなたに利用価値があるからよ。それ以上でもそれ以下でもないわ。当然じゃないの。――それとも何、あなたの世界のあたしはそうじゃなかったの? 慈善事業でもやってる甘ちゃんだったわけ?」

――先生のおっしゃるとおりの方でした。ハイ。

「いえ、この世界の先生と同じです」

「へぇー。さすがあたしね。――よくわかってるじゃない」

「わかったら、これで話は終わりよ」

「わかりました。先生」

◇◇◇

社の姿が目に入った。

特に考えず、そちらに足を向ける。

そうしたらさ、社が言うんだ。

「――黒須さん。――いっぱい、いっぱい、辛いこと、苦しいこと。そして悲しいこと――ありましたね」

って。

――オレは泣いたよ。

びっくりして驚く社の胸にに縋り付いて、涙を流してた。

気がつけば、社がオレの背中をまるで幼子を思う母親のように撫でていてくれた。

そう、オレは涙枯れるまで泣いたよ。

――この世界にオレの居場所はここだけだ――。

そしてオレは元の世界に帰れない。

地球滅亡の危機にあるこの世界で、信じられるものはただの一つもない。

右も左もわからないこの世界で、本当に頼れるものは一つもない。

何かを隠している夕呼先生。

何を考えているかわからない宗像大尉。

初対面のオレに永遠の愛を語りだすエレーナ。

そして、あろうことか、自分自身ですら疑わしい。

オレにはまったく自覚がないのに、売国奴、非国民、裏切り者よ、と口々に罵られるオレ。

ただでさえ宇宙人と戦争をしているのに、味方であるはずの人類側から暗殺の危険すらあると言う。

もう、なにがなんだかわからない。

オレは、オレは――。

「――黒須さん、私はいつもあなたを見ていました」

「――黒須さん、あなたは強い人です」

「――黒須さん、あなたは優しい人です」

「――黒須さん、あなたは素晴らしい人なんです」

オレは面を上げ、社の顔を見た。

社からは、涙と鼻水にまみれたみっともない男の顔が見えるに違いなかった。

でも。

――でも。

それなのに社は。

「――だから私、あなたの事――嫌いじゃないです――黒須さん」

と、――言ってきたんだ。

◇◇◇

2002年 1月 18日 金曜日

「エレーナ・ストレリツォーヴァ少尉、本日只今をもって国連太平洋方面第11軍、横浜基地所属、特殊任務部隊A-01連隊、第9中隊に着任します! よろしくね!」

◇◇◇

「黒須中尉、ちょっと顔を貸せ」

「え?! ――宗像大尉?」

「この私が誘っているのだ。――それともキミは嬉しくないのか?」

「え? え?!」

「何を真に受けている。――冗談に決まっているだろう。おめでたいやつだ」

「――あはは」

なんだってんだ?

「悪かった。キミは純粋なのだな。――私はそんなお前が羨ましい」

――え?

「黒須」

いきなり耳元に息を吹きかけられ、ゾッとする。

「副指令より伝言だ。――ロシア人から目を離すな。『これはあなたの管轄よ』――だ、そうだ。――よかったな? 黒須」

「……」

「いい返事だ。黒須中尉。頼んだぞ」

は?

エレーナから目を離すな?

アイツは幼稚園児か?

いや、きっとそんなことじゃないんだろう。

これは、オレが先生と約束した「協力」の一つに違いないんだ。

しかし、なんでまたエレーナなんだ?

まあ、いいか。

アイツの扱いなら心得ている、というか体に染み付いている。

特に問題があるとは思えなかった。

「では、たしかにキミに伝えたぞ」

「はい」

◇◇◇

まずは――ま、誘ってやるか。

ああもいわれた事だしな。

「エレーナ! PXに行こうか。場所、覚えたか?」

「うんうん! いこういこう!」

エレーナの返事に表裏などまったく感じられない。

この世界の連中が持っているある種独特の悲壮感の欠片もなかった。

それが、逆に不安にさせなくもなかったが。

ま、いいか。

エレーナはどこでもいつでも、こう明るくないとな。

「麻倉、何ボーっとしてる。メシ行くぞ!」

「は、はい!」

◇◇◇

「ああ、麻倉少尉、久しぶりだねぇ。元気してたかい?」

「はい、ありがとうございます京塚軍曹」

「そうかいそうかい。じゃあ、今までの分もしっかり食べていかないとね!」

「あはは」

硬いな。

硬い。

麻倉、凄く緊張してる。

それに引き換え、後ろのバカは――。

「イサミちゃん、いい匂いがするよ」

「当たり前だ。食堂だからな」

「え?! そうなの!?」

「お前にはどう見えているんだ、この場所が! どのように!」

京塚のおばちゃんがエレーナを認めたようだ。

「ね、黒須中尉。後ろの銀の髪の美人さんは、ほら、テレビでもやってたあんたのアレかい?」

どうして小声になるんだよ!?

「わたし美人? 美人かな!?」

ちゃっかり都合のいいところだけ聞こえてるし。

「おばちゃん、エレーナに全部聞こえてるよ。エレーナの奴、日本語はペラペラなんだ。寧ろ、ロシア語のほうが怪しいくらいなんだよ」

オレがそういうと、あからさまにおばちゃんが息を撫で下ろした。

そしてバンバンと叩かれるオレの背中。

「なーんだ、ソビエトから来たって言うから、てっきりロシア語しか話せないと思ってたよ! これで安心だ! わはは!」

「おばちゃん、さっきからエレーナは日本語を話してたよ」

「なーに言っているんだい。男は細かい事は気にしないものなんだよ! まったく、小さいねぇ、黒須中尉も! わはは!」

なんだそりゃ。

「あんな美人さん、離しちゃダメだよ? 黒須中尉! 恋人を追って敵陣超えてくるなんて、並みの根性じゃ出来ないんだからね!」

「おばちゃん、皆聞いてる、聞き耳立ててるじゃないか!」

「なーに言ってんだい、当たり前じゃないか。時の人だもの。みんな聞きたいに決まってる! もっと堂々とするんだね、黒須中尉!」

「ちぇ、わかったよ。おばちゃんには、かなわないな」

わはは!

「エレーナちゃんだっけ、日本食は大丈夫なのかい? とはいっても、日本食しか出せないけどね!」

「わたし、日本にずーっと住んでたから、むしろ日本食がいいなぁ」

「なんだ。そうだったのかい。じゃあ、今日もたくさん食べておくれよ?」

「うんうん、ありがとう!」

◇◇◇

メニューは純和風。

色は茶色。味噌味! と、いったところだろう。

鯖味噌定食、と書いてあったっけ。「わたし、久しぶりの日本食だよう。何年ぶりかなぁ」

「ん? そうなのか?」

「うんうん! あっちの食べ物も美味しいけれど、日本の味がいっつも懐かしかったんだー」

エレーナはガツガツ食っていた。

箸を日本人以上に器用に使っている。

「うらやましいなぁ。イサミちゃんは、こんな美味しいもの毎日食べてたんだもの」

いや、超マズイんだが……合成食料とかいったか? コレ。

これならコンビニ弁当のほうが数倍美味いぞ。

まぁ、それはそうと。口の周りに米粒がついているぞ。エレーナ。

オレは視線を感じ、そちらを見た。

麻倉がオレたちを眺めていた。

ん?

「どうした麻倉、食べないのか?」

麻倉が目に見えて慌ている。

なんだなんだ?

「おいおい、どうしたんだよ」

「いえ、本当に――恋人同士だったんですね、お二人は」

「へ?」

と、オレ。

「そうだよ?」

と、エレーナ。

ん?

……。

エレーナ? お前、今なんと……?

「好きな人と一緒に居られるなんて、このご時勢で、贅沢な事はわかってるんです。黒須さんたちは国すら引き裂かれて。でも、二人の愛のために命がけで亡命までしてくるなんて……私には、そんな勇気とてもない」

いや、オレにもないから安心しろ、麻倉。

「私にも好きな人がいたんですけど、佐渡島で……死んじゃったって……」

まずい。

なにがまずいって、麻倉よりも周囲の空気がまずい。

下手に注目を浴びていたのがいけなかった。

――どうする?

オレたちがどうにかするのはダメだ。

全く説得力がないばかりか、逆に反感を増してしまうだろう。

くそ、誰かいないか、誰か――。

「何をしている、黒須。妙な格好をするのがお前の趣味なのか? ――こんな趣味を持つ彼氏を持つと大変だな、ストレリツォーヴァ少尉。あ、この場所構わないだろうな? ん? ――なんだ。麻倉も居たのか。暗いから見えなかったぞ」

!?

宗像大尉! あんた、何てこと言うんだ。

ほら、言わんこっちゃない、麻倉の奴、出て行ってしまったじゃないか。

「おい、あさく……」

「放って置け、バカ者。追いかけたところで、キミには何も出来ない。そうだろう? 悔しいが、これは麻倉自身の問題だ」

「それはそうですが、大尉」

「じゃあ何か、黒須。キミはエレーナ嬢を抱いたその手で麻倉の髪を梳かしてやり、寝物語を語りつつ慰めてやるのか?」

「な、ななな何を……!?」

「出来まい。――なら、止めておけ。この前も言っただろう。茜が戻るまでは打つ手無しだ、と」

無力だ。――でも、いろいろな意味で宗像大尉に助けられた。そんな気がする。

こういうことはやはり、宗像大尉のほうが一枚も二枚も上手なのかもしれないな。

「ところで――キミとエレーナ嬢は本当はどんな仲なんだ? 私にこっそり教えてくれないか?」

第四章

2002年 1月 19日 土曜日

「黒須中尉、聞きましたか? 茜が――涼宮少尉が明日、隊に復帰することになりました」

麻倉、どうしたんだ、オレにそんなこと。

――ああ、それもそうか。

エレーナは論外、他に話す者もいない。

同僚はオレだけ、つまり、喜びを分かち合う人間もいない、か。

――ここは麻倉の期待に応えてやろう。

まぁ明日、涼宮に本物の幽霊として今度こそ撃たれる可能性はあるけれど。

オレは勤めて優しい声を出す。

「良かったじゃないか。君たちは同期なんだろ?」

優しい声が功を制したようで、麻倉の表情が和らいだかに見えた。

「そうなんです! ……わたし、つい嬉しくて、さっきは京塚軍曹にもこのことを……」

「そうか。あと喜びそうなのは……そうだな、社なんかどうだ?」

「え?」

「社さん? あの、社さんですか?」

「ああ。無表情で、ボソッとしか答えないかもだが、それが社が喜んでいる証拠なんだ」

「あ、そうなんですね。出会ったら話してみようかな」

「ああ、教えてやると良い」

「はい、そうしますね!」

「あとはやっぱりエレーナだろうな」

「え? でも……」

「あいつは話し相手が増えるだけで喜ぶ単純な奴だ」

「なるほど、ちょっと納得です」

「ああ」

「――私、黒須中尉を誤解していたのかもしれません」

ちょっと調子に乗りすぎたかもだな。

この辺で掌を少し返しておくか。

「いや。それは間違ってない。オレが国を売り、皆を見捨てて異国の地に渡った事は事実だ」

「もう、隠さなくても良いです。任務だったと茜に聞きました」

それは初耳だ。

「涼宮がそんなことを?」

「はい。副指令から出される単独任務を成功させ、無事に帰還した、と」

麻倉のオレを見る目が眩しい。

止めてくれ。

――本気でオレはそんな人間じゃないって。

◇◇◇

2002年 1月 20日 日曜日

ブリーフィングルームには、オレを除くほぼ全員が集合していた。

あれ? 涼宮。

「あ、黒須」

「よう、涼宮、その、怪我治ったのか?」

麻倉の隣でなにやら話していた涼宮は、オレに気づくと近づいてきた。

「ありがとう。おかげさまで。そんなことよりこの前はごめんなさい。君、副指令直々の特別任務の帰りだったのでしょう?」

そう、説明されたらしい。あるいは、そう思い込んでいるのか。

この前はこいつのせいで酷い目に会ったが、どちらにしても好都合かも。

「いや、涼宮。こっちこそ誤解を招くような素振りをしてすまなかった。謝るよ」

神妙な涼宮にオレは軽く頭を下げた。

「いえ、君は戦死したと聞かされていたから、もう驚いちゃって」

「あはは。そ、それはえらく驚いただろうな――それでもう、怪我はいいのか?」

「あれから半月は経つからね。もうすっかりいいよ」

「そうか。これからよろしくな」

「こちらこそ。って、黒須、君は印象変わったよね。だいぶ角が取れたと言うか、丸くなったって言うか。言葉遣いもなんだか妙だし」

涼宮が笑みを向けてきた。

「黒須は私の上官なのに、こうしてタメ口で話しても何にも言わないし」

――コイツ、涼宮にはそう見えるらしい。

「やっぱり茜もそう思う?」

「絶対思う。だって、黒須と言えば、ソ連へ愛の逃避行する前は近寄りがたかったし。もっと硬いイメージ? 違ったっけ?」

「違わない違わない」

へー。

黒須勇海って、お堅い人間だったのかな。

自分の事なのに、ちょっと意外だ。

「キミ達、そろそろ良いだろうか。茜の紹介はもういらないようだな。復帰の挨拶も省略だ。早速今日の予定に移る」

宗像大尉だだ。

話しかける頃合を見ていたのだろう。

つくづく気配りの方だな。

ああ見えて、かなり繊細なのだろう。

涼宮が不満の声を上げていた。

「茜、どうした」

「どうしたって……」

「冗談だ。涼宮茜少尉。よく帰ってきたな。その、遙のことは残念だった。彼女はコマンドポスト将校として、そして隊の潤滑油として、なくてはならない存在だった。――出来ることなら、私も補佐してほしかったというのが正直な本音だ。だが、遙は先に逝ってしまった。残された私達には、遙の意思を継ぐ義務がある。志半ばで散った、遙の無念を晴らす義務があるのだ。

いいか! キミたちにも言っておく。

無念の怒りなら、自分の無力さを呪え! 失った悲しみは、憎きBETAへの闘志に変えろ!

遙だけではない。一連の戦いに継ぐ戦いで、我々は多くの仲間を失った。

我々は今、部隊の再編中だ。必ず我々の出番は来る。そのときまでその闘志を取っておけ!

――黒須!」

「は! イスミ・ヴァルキリーズ、復唱!」

「死力を尽くして任務にあたれ!」

「「「死力を尽くして任務にあたれ!」」」

「生ある限り最善を尽くせ!」

「「「生ある限り最善を尽くせ!」」」

「決して犬死にするな!」

「「「決して犬死にするな!」」」

ああ、思えばまりもちゃんも似たようなこと言ってたっけ。

そういえば、この世界にまりもちゃんいないよな。

――どこで何をしているんだろう?

◇◇◇

「黒須、今の動き……アレは一体……!」

ん?

涼宮はオレの挙動に一々驚いてくれるが、オレにはどの操作の事を言われてるのか見当もつかない。

説明してやりたいが、オレには無理だ。

だから、はっきり言ってやることにする。

「アレって何の事だかわからないな。オレはいたって普通にやっていたつもりだけど」

オレのその言葉を聞くなり、皆の顔が固まった。

「はぁ? 黒須、キミは何を言ってるんだ? わからない、って、そんなことあるわけないじゃない!」

早速、涼宮が噛み付いてきた。

「そうですよ、説明してくれたって良いじゃないですか」

麻倉も食い下がる。

「キミの挙動は確かに不可解だった。――茜、どう思う?」

宗像大尉が謎の問いを涼宮に送る。

涼宮は言うまでもない、とさも当然と言った表情でとんでもないことを口にしてくれた。

「決まっているじゃないですか、宗像大尉。戦術機にあんな出鱈目な動きをさせるのは、後にも先にも白銀しかいなかった。さっきの黒須の動き、それに輪をかけてワケがわかりませんでした」

白銀?

「やはりそう見るのが自然か――。なぁ黒須、キミは白銀少尉を知っているだろう? その技は白銀から学ぶなり盗むなりしたものだろう? ――知っているよな? 黒須。答えろ。あのバカは今、どこで油を売っている?」

白銀の居場所なんかし知らな――え? 白銀だと?

あいつがこの世界に?

「最近は会ってませんよ。ここ一週間は会っていません」

――オレは、「正直に」答えた。

「なに? やはりどこかにいるのか、あの男は――」

ん? 変な誤解をさせたような気もする。

オレは白銀の顔を、ここ一週間見てない。

だって、「オレがオレの世界の学校に登校していない」からだ。

ここの世界じゃ、学校の代わりに軍事基地が建設されてたし?

でも、この世界にも白銀が居るのか。

「――もしかして、アイツはまた『夕呼先生の特務』とやらに出かけているのか? ――そうなんだな? 黒須」

「え? それは――」

「ああ、いい、もういいぞ、黒須。言わなくていい。Need to know.と言う奴だろう? キミには知る権利はあるが、私達にはその情報に触れる必要がない、そう副指令が判断されているんだろう。大方そんなことだろうと思っていたよ」

「やっぱりそんなトコですよね、宗像大尉」

「ああ。だろうな」

「あの、その白銀少尉って、桜花作戦の生き残り――」

「ああ。そう聞いている。そうなんだろ? 茜」

「はい、宗像大尉。白銀は戻ってきましたよ。ぅう、その、……社と二人で。私、見てました。いえ、とても見ちゃいられなかった。だって白銀、鑑の亡骸をあんな大事そうに腕に抱えて――まるで大切な宝物を守るように、そっと――」

――夕呼先生につれられて入った閉鎖区画内にあった青いシリンダーの中に浮かぶ鑑を思い出す。

でも、アレこそ夢で――?

あれ? あの出来事は夢なのか?

よく思い出せない。

だけど、白銀や鑑にかかわる一連の事は、皆の態度から考えても、なんだか重要なことであるかのように思われた。

――どういうことなんだろう――。

夕呼先生が皆に伏せていること。

それが重大な意味を持っているような気がしてならない。

◇◇◇

「白銀武、鑑純夏。――この世界にいるんですか?」

「いきなり何? 黒須。――白銀はともかく、鑑ならこの前会わせてあげたじゃない。なに、また会いたいの?」

夕呼先生はさも面倒そうに言った。

青いシリンダーの中の鑑。

――あれはやはり夢でなかった。

では、白銀は?

あいつはこの世界にいるのだろうか?

「いえ、そうではなくて。鑑はそうでしょうけど、白銀はいるんですか?」

「最近見てないわね。ね、社?」

「……はい」

社がぼそりとこぼす。

よくわからない返事だ。

――少なくとも、白銀武と言う名の存在はいるわけだ。

だが、今もいるかと問われれば、疑問だ。

「まあ、気にしても無駄だと思うけど? 一応、調べておくわ」

「はい、お願いします」

第五章

2002年 1月 21日 月曜日

ゆさゆさ……。

ゆさゆさ……。

ゆさゆさ……。

「……えい」

掛け布団が剥がされた。

オレは目を開ける。

――それは社だった。

「……おはようございます、黒須さん」

「社。――起こしてくれてありがとう」

「……(こくり)」

社が頷く。

「……黒須さん、格納庫で香月博士が呼んでます」

「夕呼先生が?」

◇◇◇

格納庫。

エレーナはオレに先駆けてこの場所に来ていたようだ。

オレの顔を見るなり、なにが楽しいのかいきなり噛み付いてくる。

「イサミちゃん、おーそーいー!!」

うるせぇよ、エレーナ。

ああ、寝起きに響く響く。

「黒須、来たわね?」

「はい」

「任務よ。あなたは今からエレーナと一緒にこのチェルミナートルに乗りなさい。帝都に行ってもらうわ」

帝都――ああ、東京の事だっけ。

「やったー! イサミちゃんと帝都観光だー!」

「残念ね、エレーナ。そんな時間はないから。それに、私の予想では、きっと面白いことになるわ」

「面白いこと?」

「データを送ったわ。確認してちょうだい」

オレはデータを解凍して確認する。

「ここ、これ斯衛軍の基地……。ですか? 斯衛軍ってたしか、親衛隊みたいな――」

「そうよ。将軍殿下の警護が主なお仕事ね。ここの装備と人員を接収するの。話はついているわ。他ならぬ征威大将軍、煌武院悠陽殿下のお墨付きよ」

「ところで、エレーナの機体、チェルミナートルですけど修理は終わってるのですか? 随分と早いですね」

「修理? そんなことするはずないじゃない。修理しようにも、あれは東側の機体だからここじゃ出来ないわよ」

「え!?」

「大丈夫よ。まだ、飛べるから。そのあたり西側の機体より頑丈よね」

――いい加減といいますか、適当といいますか。

オレは本気で家に帰りたくなった。

◇◇◇

斯衛軍の対応は、いたって事務的。

無理やりにでも事務的に事を運ぼうとも見て取れた。

目の前の年配の大尉もその一人だった。

「黒須中尉。この二人が今度からそちらで世話になる月環咲夜中尉と北條鋼中尉だ」

大尉はそう言って、オレに二人の衛士を紹介して――って、ええ? どういうことだ!?

腰まである見事な黒髪の、人形めいた怜悧な美貌。

間違うわけがない。咲夜だ。

それに、いまやごま塩となった白髪交じりの髪。

厳しい目線の男。鋼のおっちゃん。

「さ、咲夜……それに鋼のおっちゃん?」

大尉が意外な顔をする。

「クロス……イサミ!?」

咲夜の方も思い当たる節があるのか、衝撃を受けていたようだ。

「――黒須勇海? ――本当に? あのクロスイサミ!? これはなんと言う運命か。こんな偶然があってなるものか。ああ、イサミ! 私を覚えていないか! 私はサクヤだ。月環咲夜。幼少のみぎり、共に時間を過ごしたのを覚えてはいまいか」

「当然覚えているよ。咲夜」

この世界でどうだったのかはさっぱりだけどな、咲夜。

「この者を知っておいでなのですか? 咲夜様」

「知らぬもなにも、幼少の折よりかくも自由など許されぬ私の身の上にあって、ほぼ唯一ともいえる自由な時を過ごせたあの頃、そのようなときに知り合い、共に遊んだのがクロスイサミ、この者だ。それが、新たな門出たる今になって私の元に現れ、あまつさえこの私のことを覚えているという。これが運命でなくしてあろうものか。どうして運命で無いといえよう」

「咲夜様、しかしこの者は――。黒須中尉。貴殿に一つ確認する。貴殿は、国連軍所属のあの黒須勇海中尉なのだな!? 本人だ、とそう申されるのだな!?」

まあ、そういうことになってる。

そして、鋼のおっちゃんが何を言いたいか――黒須勇海は売国奴――そういうことだ。

「はい。北條中尉。オレはかつてソビエト連邦に帝国の財産を持って亡命し、こうして再び臆面も無く帝国の地に足をつけている――あなたが想像する通りの黒須勇海という人物に他なりません」

「貴様、よくも我々の前でそうも易々と囀ってくれる! この売国奴め!」

「北條中尉――!」

「失礼しました」

すかさず大尉が制し、素直に引き下がった鋼のおっちゃん。

咲夜も鋼のおっちゃんを咎めていた。

「い、今の話、誠ではあるまい。――いや、あの横浜の女狐のこと、額面どおり受け取るのがバカだということ。よもや、思い当たらぬのか? 鋼」

「事実は変わりませぬ。咲夜様」

「そうではあろうが、真実は一つであろう? 少なくとも私は、私の予想が真実であると信じているがな」

「お言葉ながら、それは咲夜様の思い違いにございます。事実から目を背けてはなりませぬ!」

鋼のおっちゃんは見かねたのだろう。

大尉が口を挟んだ。

「いい加減にしないか」

「「は!」」

「失礼しました、黒須中尉」

「いえ。全ては身から出た錆ですので」

「――では、そろそろ引渡し品のチェックに――」

大尉がオレに次を促した。

◇◇◇

(イサミ)「おまえ、バカだなー」

(サクヤ)「?」

(イサミ)「おまえ、どうしていつもひとりなんだー?」

(サクヤ)「わからない」

(イサミ)「おまえ、どうしていつもみんなとあそばないんだー?」

(サクヤ)「わからない」

(イサミ)「おまえ――」

(サクヤ)「――うるさい!」

(イサミ)「おまえ、やっぱりバカだなー」

(サクヤ)「――うるさいうるさい! うわぁああああああああああああん」

(イサミ)「なくな! おとこだろ! おとこはないちゃいけないんだぞ!」

(サクヤ)「うう、うう、うう、うう、おとこじゃないもん……」

(イサミ)「どっちでもいいから、なくな!」

(サクヤ)「うわーん」

(イサミ)「なくなってば! なくなよ! ……そうだ! いいことおもいつた!」

(サクヤ)「……うう、うう、……なに?」

(イサミ)「オレがおまえのともだちになってやるよ! これから、ずっとずっと、ずーーーと、いっしょだからな! これでおまえはもう、ひとりじゃないからな!? さびしくなんかないだろ!?」

(サクヤ)「……」

(イサミ)「うれしくないのかよ!」

(サクヤ)「……うう、うう、だって、いじめるもん」

(イサミ)「おまえ、やっぱりバカだなー」

(サクヤ)「……うう、いじめる」

(イサミ)「オレ、くろすいさみ。おまえは?」

(サクヤ)「うう、うう、うう、……」

(イサミ)「おまえ、なまえもいえないのかよ!?」

(サクヤ)「……サ……」

(イサミ)「サァ?!」

(サクヤ)「うう、うわーん! サクヤ! サクヤだよう!」

(イサミ)「サクヤ? じゃあサクヤ! きょうからオレとおまえはともだちだ。いいな!」

(サクヤ)「うわぁああああああああああああああああん、うわぁあああああああああん!」

(エレーナ)「せんせー! イサミちゃんがー! イサミちゃんがー! せんせー!!」

◇◇◇

オレの目の前に、凶悪な面構えの戦術機が二体並んでいた。

日本帝国斯衛軍が誇るTYPE-00、武御雷である。

カラーリングは山吹色と黒。

オレもよくは知らないが、譜代武家用の性能向上型であるF型と、一般兵士用のC型であるとのことだ。

「征威大将軍、煌武院悠陽殿下直々のお声がかりということもあり、多少……いや、かなりの無理はあったが武御雷を用意させてもらった」

大尉が経緯を説明してくれる。

――大尉の説明は今回の国連軍に対する斯衛軍の対応の全てが、征威大将軍のごり押しで決まった特例中の特例であることであり、例外に過ぎぬこと――それを強調しているに過ぎない。

壮大な嫌味なのかもな。

まぁ、オレにはそんな事はどうでもいいことだった。

第一、江戸時代じゃないんだ。

将軍様のご威光なんて想像しろと言うほうが無理。

ありえない。

「我が国の誇る最強の、いや、世界最強の戦術機だ。きっと人類の新たな剣となるだろう」

大尉の言葉はこの機体に対する誇りと自信に満ちていた。

「BETA。それが敵の名前でしたね――。この戦術機で、この武御雷とやらでBETAに勝てるのですか?」

「「「!?」」」

「貴様、黒須中尉! 貴様この武御雷、ひいては斯衛を愚弄する気か!!」

鋼のおっちゃんが大声を上げる。

――事情が飲み込めない。

どういうことだ?

「人類はBETAに勝たなければならない。ただ勝つだけじゃない。奴らとは話も通じない。だから、どちらかが全滅するまで戦いは終わらない――そうでしたよね?」

「ああ。その通りだ」

咲夜が何かい言いたそうな鋼のおっちゃんを制して答えた。

「だがな、イサミ。この武御雷は希望なのだ。ただの戦術機ではない。国土の半分をBETAに蹂躙され、あの忌々しいハイヴを二つも建設されながらも、われら帝国の民は西日本を奪回し、帝国に築かれた敵の橋頭堡である二つのハイヴを粉砕した。そして、かのオリジナルハイヴをも。その戦端の先頭には常にこの武御雷があったという。言わばこの武御雷は我ら帝国の民の希望であり象徴なのだ。我ら斯衛、将軍殿下の剣であると同時に帝国の民の守り手であると自負している。だから、イサミ。そなたのそのような言い方は皆の心の琴線に触れる。そなたも思うところはあろうが、自重して欲しい。頼む」

……。

オレは軽い気持ちで、戦力になるかどうかだけを考えていた。

そういう背景をまったく知らず、気にも留めようとはせず、不躾な態度を知らず知らずのうちに取っていたのだろう。

「申し訳ありませんでした。口が過ぎたようです」

だから、謝罪の言葉が素直に出てきたのだった。

「いえ、黒須中尉。――勝たねば意味がないのです。黒須中尉の言い分も至極全うなもの――だが、この基地を出るまでは、自重願いたい」

大尉が淡々と述べる。

「はい、大尉」

「備品の積み込みにかなり時間がかかる。どれだけ急がせても、15時を過ぎるだろう。――少尉は月環中尉と積もる話があるのではないか? せっかくの機会、二人で食事ついでにご歓談でも如何か? 基地前に民間の食堂がある。是非利用するといい」

――基地内をうろつくのは止めろ、責任が持てない――。

暗に表に、そう言っていた。

◇◇◇

生卵を乗せたうどんが出てきた。

月見うどん。

とはいっても、合成卵と合成麺からなる代物だ。

こればかりは食糧事情を考えればどうしようもないのだろう。

まぁ、うどんを食うのは久しぶりだ。

「私と同じものでよかったのか? イサミ」

「ああ、構わない」

「ああ、何から話せばよいものか。私は緊張しているようだ」

「そうなのか? 似合わない、というからしくないな、咲夜」

「? ――似合わない?」

そうか、この世界の黒須勇海は咲夜の事を深く知らないんだ――。

ちょっと、いや。

かなり馴れ馴れしすぎたか?

「いや、さっきの咲夜が話してたろ? そのイメージから見てそう思っただけ」

「そうか。しかし、そなたは物怖じしないな。私とそなたが会うのは十年ぶりくらいだと思うのだが、旧来の友人に対するものと代わらない。それはきっと、そなたの能力の一つなのであろうな」

「そうかな」

「ああ。少なくとも私には真似ができないものだ」

「なるほどな」

ついこの前まで顔を合わせていた相手に、厳密には別人とはいっても、早々割り切れるわけがない。

◇◇◇

「そろそろ時間だ、イサミ」

ああ、もう直ぐ約束の15時だ。

「十年来の溝は埋まったか?」

「わからない。時の長さではなく、密度であろう。想いの強さとは、そういうものだと信じたい」

咲夜が笑う。

「そうか」

本人がそういうのなら、きっとそういうことなんだ。

◇◇◇

オレと咲夜の目の前にはSu-37UB チェルミナートルが鎮座している。

傷だらけのチェルミナートル。

整備らしい整備はほとんど受けていないはずだ。

横浜基地に使える戦術機が存在しないため、この鹵獲品が仕方なく使われているに過ぎない。

エレーナは、この機体の中で丸一日お留守番だ。

不満の捌け口として、日本帝国のレーションやお菓子が多数提供されている。

今頃エレーナは操縦席でレーションに舌鼓を打っているはずだが、そろそろ味に飽きが来始めている頃だと思われた。

「イサミ、話は変わるが、私の帝国への奉公も今日で一区切りつく。帝国は、日本はBETAに勝てるであろうか?」

「勝てるさ。人類が皆で力を合わせれば」

本心からそう思う。

いや、そう思った。

このときはまだ、オレは真の絶望に包まれたこの世界の闇を知らなかったから言えた言葉に過ぎない。

「人類が、皆で?」

「ああ。日本もアメリカもソ連も、その他大勢も、みんなでだよ」

咲夜が目を見開く。

「そ、そのようなことが可能であるわけがない!!」

咲夜が大声を上げる。

基地内の人間が、ちらほらとこちらを見ていた。

「咲夜――」

いったいどうした? なぜ、そこで怒る?

「断じてありえぬ!」

「咲夜、どうした?」

「イサミ、忘れたのか? アメリカは、かの独善的な帝国主義は、私の父母を、育った街を、友を、もちろんそなたの家族も皆! あの呪わしい二つのG弾で生きながら焼き払ったのだぞ!! 私は、私は許せない、そのような外道と手を組むなど、絶対にありえない。そなたは許せるのか、友軍を見捨て、勝手に条約を破棄したばかりか、あまつさえ大量殺戮兵器を用いて友軍ごと敵を焼き尽くす外道を!!」

「咲夜……」

「どう思うのだ! そなたは!!」

『……そんな甘いこと言ってるから、人類はBETAに負けちゃうんだよ。咲夜ちゃん』

チェルミナートルの外部スピーカー。

音はそこから漏れていた。

咲夜は虚を突かれたのか、どことなく弱々しい。

「エレーナ……? あの、エレーナが衛士? この機体に乗ってるの?」

『咲夜ちゃん、私はね、桜花作戦の陽動に参加したよ? 知ってるよね、桜花作戦。咲夜ちゃんは行った?』

……。

『オリジナルハイヴ唯一つを攻撃するために実行された、全世界の戦力という戦力全てを投入して行われた作戦だよ。――あの作戦も地獄だったなー。でも、おかしいよね? BETAの戦力が分散して数が少ないことを期待していたけれど、全然いつもと変わらないの。いつもと同じように、増援も普通に来るし。知ってると思うけど、凄かったんだよ?』

初めて聞く、生々しい戦場の話。

『全人類が力を合わせてこれだよ? オリジナルハイヴに突入した連中の帰還者の数知ってる? スサノオって言う化け物じみた空中機動要塞も使ったんだよね? でも、たった二人しか帰ってこなかったんだよ?』

凄まじい、現実の話だった。

『そんな中で、自分の国だけ守って何か意味があるの? 変な反乱なんかして、全軍でそれを武力鎮圧しちゃったりして。そんな余裕あったの? ないよね? ないない。全然ないって』

「エレーナ! お前はソ連の軍人になったのだろう! そなたにこの帝国のなにがわかるというのだ! 国なくして民はない。国を守れず、異人の手下として働かねばならぬこの屈辱、そなたになにがわかる! 人類のため? そうやって戦った結果、漁夫の利を得るのはかの国だけだ! 己が己でなくなってまで、掴む勝利に意味はない。勝って生残ったとしても、われらに待っているのは奴隷の生活だけではないか!」

『咲夜ちゃん……まだそんなレベルの事で悩んでたの? このままの調子で本気でBETAに勝てると思ってるの?』

「なんだと!? エレーナ! いくら知己であるとはいえ、たとえそなたでも許さんぞ!!」

『咲夜ちゃん……BETAを地球から追い払ったらお仕舞いかな? 月から、火星からも追い払うよ? で、その次は? BETA、あの人食いの化け物どもはどこから来たの? 宇宙の全てがBETAのものかも知れないじゃないの。いいえ。むしろ、そう考えるのが軍人として自然だよ?』

常に最悪の状況を考えて――。

「う、宇宙の全てが……BETAで埋め尽くされ……」

『地球がBETAに残された最後の侵略目標でない可能性、あなたに否定できる? そして、今はその可能性を排除できる局面かな?』

エレーナの言葉は、咲夜のやり取りを聞いた全ての者の心に、ずっしりと重くのしかかる。

オレだって例外はない。

異邦人とはいえ、もうもとの世界に戻るすべは無いのだから。

エレーナは続ける。

『だから、国とか民の希望とか、そんなものじゃなくて――咲夜ちゃん。あなたの力で、人類の未来を切り開くため、最良の未来を掴み取る可能性を紡ぎ続ける仕事をして欲しい――そう、香月博士が言ってた。咲夜ちゃんにしか出来ない仕事があるんだって』

「エレーナ……」

『だから迷うことないよ。一緒に頑張ろう? 一緒にイサミちゃんたちとBETAをやっつけようよ』

――エレーナの言うとおりだと思う。

単純に考えて、宇宙人の侵略に対して単一国家でことに当たってどうする。

この世界には地球統合軍みたいなのはないのだろうか?

ん?

もしかして、それは国連軍なのかな?

おそらくそうだ。

「オレたちにできる事は政治じゃない。ただ、人類の剣となって、目の前の敵、BETAを討ち果たすことだけじゃないかな。君は剣で、この世界はまだBETAの重圧に喘いでいるんだよな? 今はまだBETAを地球上から、太陽系から、そしてこの宇宙から駆逐することを考えるべきときなんだと思う」

「イサミ……」

――そうだな、エレーナと話をあわせるなら、こう話してやったが咲夜は折れやすいかな?

「だから、咲夜――。何も迷う事はないんだ。君が国連軍でBETAと戦うことは、君の今までの生き方と矛盾しない。今はBETAと戦うことが、国を守ることと同じなんだよ」

開放音と共にチェルミナートルのハッチが開く。

「イサミちゃん、帰還命令がでたよ。帰ってきなさいって。茜ちゃんの輸送機はもう出発するって言ってるよ」

赤みを帯びた銀髪を輝かし、エレーナが操縦席から這い出てくる。

「エレーナ、そなた、本当にあの”泣き虫”エレーナか??」

咲夜が古いあだ名を口にした。

「そうだよ、咲夜ちゃん。ついこの間まで毎日泣いてたんだよ?」

「今はどうなんだ?」

「今は泣かないよ? ――だって、イサミちゃんがいるもの」

「今は? では、そなた、また泣き虫になるのか?」

「咲夜ちゃんがヤル気ださないのなら、また泣いちゃうかも?」

エレーナは笑う。

「――仕方がないな。古い友人たちにそうまで頼まれたとあっては仕方がない。斯衛の衛士として、信義に応えねばな」

「咲夜はいつも難しく考える癖があるよな? 素直になれよ」

こういう言い方をすると、咲夜はきっと慌てるはずだ。

「な、なななな、何言っておるのだ、そなたは! 私はそなた達がこうして真摯に頼んで来たからこそ、これからは国連軍の一員として心置きなく戦えると――」

――やっぱり、な。こっちの世界でも、多少話し言葉が違うだけ。

咲夜の本質は一緒なんだ。

「まぁ、そう照れることはないと思うんだ。そう思うだろ? エレーナも」

オレはチェルミナートルの副操縦席に乗り込んむ。

「うんうん! そう思う。じゃ、咲夜ちゃん、向こうで待ってるよ! またね!!」

「照れてなどおらぬ! 私も直ぐにそなたたちを追いかけるからな! そなたたちこそ滑走路を空けて待っておれ!」

咲夜の照れ隠しが聞こえた。

それは、空が夕陽で赤く染まる頃の話だった。

第六章

――夕食後。

オレはまた夕呼先生に呼ばれていた。

「社、ありがとう。今日も黒須を連れて来てもらって悪かったわね」

「……いいえ」

社は軽く首を振っていた。

オレは今日エレーナから聞いたこと、それを真っ先に聞いてみた。

「先生、宇宙の全てがBETAに、オレたちの敵で埋め尽くされている、って。――本当なのですか?」

「え? まあ、否定できる根拠は何もないわね」

「そんな」

「でも、肯定できる根拠も何もないわ。でもね、今はまだ、常に最悪の状況を予測して手を打つ時期だと思うけど。――それがどうかした?」

夕呼先生は、さも当然、と言った様子で平然とそれを口にした。

「今日、エレーナがそう言ってたんです」

先生はさも納得した、と言う表情になる。

「ああ、聞いたわよ? あなたたち、斯衛軍の基地で騒いだんだって? 抗議の声が凄いらしいわよ?」

ん? そうは言うけれど、先生、オレたちを責めないのか?

「不思議そうな顔をしてるわね。どうしたの? あなたたち、悪いことした?」

「そんなつもりはありません」

「そうよね。確かに時間と場所、立場も微妙だったけど、あなたたちは正しいことを言ったまでのことよ。いまだにBETAが下等生物だといってバカにしている無能どもに、いい薬になったんじゃないかしら。――別に気にするほどのことじゃないわ」

そういう先生は無表情だったが、その口調はどこか嬉しそうだった。

◇◇◇

「そうそう、黒須。今日もあなたの事について聞きたいんだけど。あなたに近しい知り合いとかいないの? この前はあなたの恋人と友人について聞いたから――ほら、そうね、あなた学生でしょ? なにかクラブに入ったりしてないの?」

「え、あ、はい。入ってますよ」

オレは軽く答えた。

「へぇ。意外ね。で、どんなクラブに?」

「文芸部です」

空気が凍った。

先生も、社も、目を見開いて口をだらしなくポカン、とあけている。

「あ、あははは、あはははははは! こりゃ傑作だわ!! あんたが文芸部!? どの面提げて言ってるのよ、冗談も休み休み言いなさいよね! あは、あははははは!!」

先生が大口開けて笑い始めた。

こうやって見ると、オレの世界の夕呼先生となんら変わる事は無いような。

「酷いですよ、先生、本当なんですから!」

「それなら尚、性質が悪いわ、あはは、ははははは!!」

まだ笑うつもりか!

「ごめんごめん、ごめんなさい、でも、ぷっ、あなたが文芸部ねぇ……――社、ちょっと水汲んできて。お願い。あーおかしい!」

頭にくるが、それを言うときっと100倍返しで来るよなぁ……。

◇◇◇

「で、その文芸部の中にあなたに親しい人はいないの?」

「親しい……かと言われると自信ないですけど、一人だけ変わった先輩に目を付けられていました」

「へぇ? 教えてちょうだい」

「はい。松浦七海って言って、オレの一個上の先輩で、ソビエト連邦のマニアなんです」

ななみ先輩の奇天烈な言動の数々がが思い浮かぶ。

「ソ連? なんでまた」

「ソ連はオレたちの世界ではとっくの昔に滅んでしまった歴史上の国になってるんです。で、その社会主義国家の辿った軌跡に極端な幻想を持った人々が面白おかしく脚色してるみたいで。――まあ、ありていに言えば、ななみ先輩は変人です」

「……博士」

「ええ、そうね、社。――黒須は少なくとも、その先輩を下の名前で呼ぶ程度には興味があった、と言うことか。なるほどねー」

……。

変な誤解をしているに違いない。

正しておかないと。

「違いますよ先生、オレとななみ先輩の間には何もありませんって!」

「はいはい。ま、いいわ」

◇◇◇

オレは社にお休みの挨拶をしようとした。

「……黒須さん。今日も、辛いこと、ありましたね。自分の力ではどうにもならないこと、ありましたね」

う。

大丈夫だ、大丈夫。

一瞬またぐらっと来たが、今日は大丈夫だった。

「……黒須さんは強い人です」

「ありがとう。社。……じゃあ、おやすみ」

オレは返事を待たずに部屋を出た。

「……はい、おやすみなさい。黒須さん」

◇◇◇

2002年 1月 22日 火曜日

「月環咲夜中尉、本日只今をもって国連太平洋方面第11軍、横浜基地所属、特殊任務部隊A-01連隊、第9中隊に着任する、若輩者故、色々と御教授願いたい。宜しく頼む!」

「同じく北條鋼中尉、同日同時刻をもって同隊に着任する、……宜しく頼む」

◇◇◇

昼時のPX。

今日は鯖の竜田揚げ定食だ。

「エレーナ、話は変わるが、一つ質問をしても良いか? そなたが乗ってきた、あのソ連製の戦術機なのだが――」

咲夜はそっちの話に興味があるらしい。

咲夜の知りたい事は、みんなも知りたいことであったようだ。

横に座る鋼のおっちゃんどころか、PX中の人間が聞き耳を立てているようだった。

「あ、あれ? Su―37UB チェルミナートル、って言って、複座の戦術機なんだよー。香月はか……あ。ごめん、これ以上は言っちゃいけないんだった。あはは、ごめんねー」

「すまぬ、軍機であったか。妙なことを聞いてすまなかった」

「いいよいいよ咲夜ちゃん!」

「あ、ああ……」

「咲夜様、この奇妙なロシア人――ストレリツォーヴァ少尉とも、お知り合いなのですか?」

鋼のおっちゃんは戦術機でなく、その衛士に興味を持ったらしい。

今、奇妙な、と言うところに変なアクセントを感じたぞ。

「ああ、言わなかったか? 幼少のころからしばらくの間、ずっと共に遊んでおったのだ。それは、イサミとも一緒だ」

おっちゃんの刺すような視線が怖かった。

「左様でしたか」

「ああ。あの頃は楽しかった。我ら三人で、何も考えずに走り回っていたような気がする。国家も、国境も、人種も、性別も、身分も――。それこそ何のしがらみもなくな。本当に、本当に楽しかった――」

咲夜が語る記憶はオレの知るものとは違うはず。

それでも、オレは元の世界のそれと重ね合わせることで、ある程度想像することが出来た。

「色々やって遊んだよね、咲夜ちゃん。楽しかったよね」

「そうだな」

咲夜は頷く。

「イサミも、そうは思わぬか?」

オレが何か答えようとしたとき、首を突っ込んだ奴がいる。

「へー。イサミ、ねぇ。――黒須、この二人、あんたの知り合いだったんだ」

「な、涼宮!」

「いや、君から人に話しかけてるのを見てさ。意外に思ったんだ」

「そうか? そんなだったか? オレ」

「そうだよ。だって、あんた多恵や高原とはめったに口もきかなかったじゃない」

涼宮。築地。高原。麻倉。3-D……夕呼先生のクラスの面々だったと思う。

「そうだったっけ?」

「そうだよ。それで、不思議に思っただけ」

「オレにもそんな一面はあるんだよ」

「あはは! そうなんだ。新たな新発見だったよ。じゃ、私、先に行ってるから。お先にー」

「先にシミュレーションルーム、行ってますね? 黒須中尉」

あの麻倉までもがオレの背中を叩いて涼宮の後を追っていった。

麻倉、涼宮が復帰してかなり変わったな――。

第七章

2002年 2月1日 金曜日

ゆさゆさ……。

ゆさゆさ……。

ゆさゆさ……。

「……えい」

掛け布団が剥がされた。

オレは目を開ける。

――それは社だった。

「……おはようございます、黒須さん」

「社。――起こしてくれてありがとう」

「……(こくり)」

社が頷く。

「……黒須さん、香月博士から伝言です」

「夕呼先生の?」

「……はい。格納庫に向かってください」

◇◇◇

輸送機か。

――帝国軍の輸送機?

戦術機を輸送してきたのか!!

ついにオレにも機体が!?

オレは足を自然と格納庫に向けていた。

◇◇◇

言われるままに格納庫に着てみると、そこには見慣れぬ濃紺の機体が二機、新たに搬入されていた。

ああ、先生はオレが戦術機に興味があるのを知って、教えてくれたのかな?

オレは先生の好意に感謝した。

――どれどれ?

オレはその機体に近づいていく――。

◇◇◇

「宗像大尉、この前は世話になりました」

宗像大尉と話している人物。

ん? この口調、どこかで――。

「そのような物言い、止めてください、松浦大尉」

松浦?

「いいえ。本日より貴官は私の上官ですので」

この声、――ななみ先輩?

「わかりました」

「宗像大尉、遠慮なく呼び捨ててもらって結構です」

「では、そのように」

「は! 松浦七海大尉、本日只今をもって国連太平洋方面第11軍、横浜基地所属、特殊任務部隊A-01連隊、第9中隊に着任します!」

「同じく六分儀最上中尉、同日同時刻をもって同隊に着任します!」

「貴官らの着任を承認する! 隊の者には追って紹介する。解散してよし!」

「「は!」」

ななみ先輩に、モガミさん……この人たちまでオレと同じ部隊に……偶然ではない。

間違いなく、絶対に間違いなく、香月先生はオレの知り合いばかりを集めている――。

何故? どうしてそんな必要がある。

嫌がらせ……いや、そんな暇な人じゃない。

先生は、自分の目的に必要だから、きっとそうしたんだ。

先生の目的って一体――?

「ほう――貴様、黒須ではないか。久しぶりだな」

「ナナミさん、お知り合いですか?」

「ああ、モガミ、こいつは我々の先任の黒須中尉と言う。見知りおくがいい。仲間思いで頼りがいのある好青年だ」

ナナミ先輩の目を見る。

う、この斜に構えた視線。

なんともいえない迫力が……。

「まぁ。――私はナナミさんと同じく、日本帝国軍第二独立戦術機甲連隊から来た六分儀最上中尉よ。よろしくね」

六分儀中尉がお辞儀すると、その肩で切りそろえられた髪が広がった。

「黒須勇海中尉です。宜しくお願いします」

「ああ、宜しく。同志中尉」

なっ……。

オレはそのナナミ先輩の一言に血の気が引いた。

きっと顔は引き攣っていただろう。

「ちょ、ちょっとナナミさん!」

六分儀中尉が慌てる。

「すまない、イサミ君。君があまりにも真面目なもので、ついからかってみたくなったのだ。出来心だ。許して欲しい」

ナナミ先輩が意地悪く笑う。

い、イサミ君!?

「ナナミさん、いい加減にしないと!」

「いいんです、そう扱われても仕方がない事をオレはやったんです。多くの人の信頼を裏切った。真実がどうであれ、事実はそうでならなきゃいけないんです。それが――」

「それが、黒須中尉が選んだ、より良い世界を掴み取る選択だからよ」

「夕呼先生!」

ななみ先輩とモガミさんが敬礼する。

先生はそれに軽く答礼で返し、こう言うのだった。

「黒須は特別なの。そんなつまらないことで潰されては困るわね。――松浦大尉?」

「以後、留意いたします、香月――副指令」

「ここでは行き過ぎた毒はいらないわ。――でもね、一風、変わった風が流れる事は期待しているの。あなたにはそれができると信じているわ。元帝国本土防衛軍帝都防衛第一師団所属の松浦七海大尉」

!!

二人の雰囲気が変わった。

なんだろう。

でも、この二人にとってそれは面白くない事実なのだろう。

「あの事件で、帝国軍にほとほと嫌気が差しました。惰性で任務を続けていたそんな折、出先であった都内の基地で、とある若者の放ったある言葉を耳にしたのです。

――オレたちにできる事は政治じゃない。ただ、人類の剣となって、目の前の敵、BETAを討ち果たすことだけじゃないかな。君は剣で、世界はまだBETAの重圧に喘いでいるよな? 今はまだBETAを地球上から、太陽系から、そしてこの宇宙から駆逐することを考えるべきときなんだと思う――。

――事もあろうに斯衛軍の衛士と言い争っていた彼は一歩も引かず、このように敢然と言い放ちました。この言葉を耳にしたとき、私は、それまでの私は何をしていたのかと。頭をハンマーで殴られたかの如き衝撃を受けたのです。目から鱗、頭の中に漂っていた靄が晴れる思いでした。彼のこの言葉。それこそが今、私がここにいる理由です」

ななみ先輩――。

――あの場所で、咲夜とエレーナ、そしてオレの話を聞いていたのか。

「だ、そうよ。黒須中尉?」

先生が笑みを湛えている。

心なし、機嫌が直ったようだ。

「黒須勇海中尉。私は君に出逢ったこと、そして君と同じ隊で、同じ戦場に立てることを心から誇りに思う。これからよろしく頼む。――その意味で、君は私の本当の同志だ」

「ななみ先輩――」

「ナナミさん――」

「私を先輩と呼ぶのだな。奇妙な響きだが、人生の先輩としてそう呼んでくれているのなら、嬉しい限りだ。礼を言う」

「改めて私も宜しく! 黒須中尉!」

「はい、宜しくお願いします、松浦大尉、六分儀中尉!」

オレたちはどちらからともなく。手を差し出し、握手した。

◇◇◇

「お話は済んだかしら」

あ。そうか。夕呼先生居たんだっけ。

でも、何をしに来たんだ? こんなところに。

「松浦大尉、これが不知火弐型?」

先生は普通の不知火との違いを言っているんだろうけど、どちらも――いや、戦術機の種類さえ詳しく知らないオレから言わせて貰えば、何を言っているのかさっぱりだ。

「はい。組み上がった二機のみ、かなり無理をして持って来ました。なので、副指令が要求されました不知火弐型を全12機と言うのは、正直無謀を通り越して実現の見込みが無いばかりか、現場や関係各所の怒りを買うだけです」

「そ。まぁ、それならそうで、やるしかないわね。残りの機体は?」

「新OS搭載の従来型の不知火を10機。来月、2月の中ごろには揃います」

「遅すぎるわ。2月の頭。そうしなさい。いいわね?」

「わかりました。なんとかするように伝えます」

「こちらの下準備はほぼ終了した。BETAに一月も休養を与えてしまったわ。この一ヶ月が吉と出るか凶と出るか――だれにも予測はつかないけど、私は必ず吉を引いてみせる。――だから、あなたたちも必ず吉を引きなさい。私についてくるのよ? いいわね!」
「「「了解!」」」

先生には急ぐ理由があるということか。

――その理由はなんだ?

◇◇◇

オレがその質問を先生にぶつけようとした時だ。

「そろそろブリーフィングの時間よ。こんなところで何をしてるの?」

――聞けなかった。

◇◇◇

ブリーフィングルームには、オレを除くほぼ全員が集合していた。

オレは慌てて中に入る。

「黒須、遅いじゃない!」

「そうだそうだー!」

「イサミ、時間ギリギリに来るなど、少し弛んでいるのではないか?」

涼宮以下二名がオレの顔を見るなり噛み付いてきた。

そして直ぐに通路へ通じるドアが開き、数名の人物が入ってくる。

「ほう。黒須。いい顔をしているな。これは――脈ありと言うことか? どう思う? ――祷子」

「中でも、茜の顔が特に赤いようです。いい傾向――そう思いますわ」

宗像大尉に続いて入出してきた女性仕官――風間祷子中尉が、オレと涼宮を見比べて口にする。

「な、やめてください! そんなんじゃ」

涼宮が噛み付くが、宗像大尉たちは一向に気にしていないようだった。

「さて、キミ達。私がこのA-01連隊、第9中隊イスミ・ヴァルキリーズを預かる宗像美冴大尉だ」

宗像大尉の敬礼――。

皆が応えた。

「――時間だ。連隊、整列して待て。しばらく後、副指令が視える。――が、まだ間があるようだ。お互い面識のない者も多いだろう。改めて各自紹介していこうと思う」

「祷子」

「はい!」

「まず、コイツは風間祷子中尉だ。私の副官を勤めてもらう。隊や基地についての不明点は、まずは祷子に尋ねてくれ。ああ、私に断らずに口説くのは禁止だ」

「あら、まぁ」

「まあ、その点に留意しつつ、よろしくしてやってくれ」

「風間祷子中尉です。みなさん、よろしくお願いします」

宗像大尉とは違った意味で、まるで人形のような――和の感じのする清楚な雰囲気の人だった。

でも、さっきのやり取りから想像すると、額面通りとはいかないようだ。

しかし、宗像大尉、――とんでもない紹介の仕方だな。

「黒須!」

「はい」

――次はオレかよ。

「黒須勇海中尉だ。つい最近まで特殊任務に従事してもらっていたため、物言いや行動に戸惑いを感じることもあると思う。。申し訳ないが、各自配慮を頼む。隊への忠誠、衛士としての覚悟、そして戦術機の機動。このどれをとっても規格外の男だ。マイナス点を引いて余りあるものを持っている」

「褒めすぎです、大尉」

「ほら、な。まあ、各自配慮してやってくれ」

「黒須勇海中尉です。よろしくお願いします」

「いやいや大尉コイツの場合、マイナス点が大きすぎますって!」

「こら、茜。だめだよ、ホントのこと言っちゃ」

茶々を入れる涼宮。

しかし、麻倉のもフォローに全然なってないし。

くそ、後で覚えてろよ!

「「「ハハハ」」」

「次だ。茜!」

「は!」

「麻倉!」

「はい!」

「涼宮茜少尉と麻倉舞少尉だ。キミたちはもう、約3ヶ月前の任官となるわけだが、最早新任とは扱わない。期待している」

「「は!」」

「涼宮茜少尉です! よろしくお願いします」

赤毛がお辞儀に揺れた。

「同じく麻倉舞少尉です。よろしくお願いします」

麻倉も控えめに頭を下げていた。

「ここまでが元A-01連隊出身の死に損ないの紹介だ。次は日本帝国軍出身の二名を紹介する」

ななみ先輩にモガミさんだな。

「日本帝国軍第二独立戦術機部隊より松浦七海大尉」

「は!」

「――同じく六分儀最上中尉」

「は!」

「松浦七海大尉だ。帝国ではなく、人類のためにこの命、皆に預けたい。人同士で争うなど、愚かもいいところだ」

「六分儀最上中尉です。私も松浦大尉と同じ考えよ。――先日の12・5事件で帝国や隊の連中に愛想が尽きたわ。だから、国連軍の誘いを受けたの。渡りに船だったわ」

「そうだ。我等は小官などに声をかけ、誘っていただいた大恩に感謝している。力の限りを尽くしたい」

「――と、言うことだ。こちらからもよろしくお願いします。大尉、少尉」

「は!」

「先ほども申し上げました通り、隊長は宗像大尉です。松浦とお呼び捨てください、宗像大尉」

「了解した。松浦大尉」

「以上二名が帝国軍から。次は帝国斯衛軍から来られた二名を紹介する」

「こちらが斯衛第一師団より月環咲夜中尉。そして北條鋼中尉だ」

「月環咲夜中尉だ。私も先ほどの松浦大尉と六分儀中尉の志に大いに賛同する。ともに力を合わせられること、この上ない喜に思う。――まだまだ未熟なこの身ではあるが、死力を尽くし任に当たる所存だ。よろしく頼む」

……咲夜、難しい言葉使いすぎだろ。

何を言っているのかわかんないぞ。

「北條鋼中尉と言う。よろしくお願いする」

鋼のおっちゃん……なんだか無愛想すぎるだろ。

「以上、二名が斯衛軍から。――では、最後に主賓の紹介だ――」

「――それは私からやってあげるわ。その方がみんな納得するでしょ」

「夕呼先生」

「――香月副指令に敬礼!」

全員が敬礼する。

「宗像ー。早速何してるの、ああ、お得意の嫌がらせ? ――みんな。敬礼はいいわ。私、格式ばった事は嫌いなの」

「は! 失礼しました、副指令」

宗像大尉。

顔は笑ってないが、目が笑っている。

「ま、いいわ」

「は!」

「でね、話を戻すとこの子が――」

「エレーナ・ストレリツォーヴァ少尉です! ソビエト社会主義共和国連邦、ロシア共和国から来ました! 出身はハバロフスクだけど、三歳の時に日本にやってきて、ここ、柊町に住んでました! で、しばらく日本で暮らしてたんだけど、数年前に突然、ソビエト科学アカデミーに呼ばれちゃって。ソビエト最高会議幹部会議直属の……」

「――そこまでよ、エレーナ。軍事機密って言葉や、国家機密って言葉、聴いた事はない? 怖いお兄さんやお姉さんが来るわよ?」

「あー、そうそう、そうだった、ありがとう香月博士。言っちゃいけないんだった……ごめんなさい」

……。

みんなの目が点になっていた。

鋼のおっちゃんなんか顔が引きつっている。

あの宗像大尉でさえ、信じられないものを見るような――そんな顔だった。

オレにしてみれば、エレーナそのものなんで安心するけどな。

咲夜なんて、もう慣れたとはいえ言葉遣いが違和感ありまくりだったし。

「エレーナは亡命してきたの。帝国もそれを受け入れたわ。エレーナはね、まあ、こんな感じで『かなりオバカ』な子だけど、みんな仲良くしてやってちょうだい。――戦術機を扱う腕前は私が保証する。ああ見えても、世界でも屈指の腕前だと思うわ」

「バカじゃないです!」

「はいはい。バカはみんな自分の事をそういうのよ? 知ってた?」

「知ってました!」

「じゃあ、エレーナ、あなたはバカでいいのよね?」

「……う」

――やっぱりエレーナはエレーナだった。

香月先生が宗像大尉に目配せする。

「続いて香月副指令より訓示がある。各員、傾注!」

「見ての通り、A‐01連隊に補充が来たわ。とはいっても、中隊規模止まりだけどね。

もうわかってると思うから、皆にはぶっちゃけて言うけど、各方面から引き抜いたの。

どこの組織も、「ありがたく」人員と装備を提供してくれたわ。

まぁ当たり前よねー。なんたって、人類の脅威に対抗するためだもの。

お互い不安はあるでしょうけど、各々の技量に問題はないはずよ?

さて、改めまして。

国連太平洋方面第11軍、横浜基地へようこそ。

私はここの副指令の香月夕呼。

特殊任務部隊A-01連隊はあなた達を歓迎するわ。

私の直属として、一日でも長く生き残ってちょうだい

細かい事は宗像、あなたにお願いするわ。

一日も早く使い物になるようにして。今いえるのはそうね? それだけよ。

じゃ、後は任せたわ」

先生は副官のピアティフとともにドアの向こうに消えた。

かわりに宗像大尉が進み出る。

「では、改めて名乗る。A-01部隊、イスミ・ヴァルキリーズを預かる宗像美冴大尉だ。我々の掲げる目標はただ一つ、人類の敵BETAの殲滅だ。そのためにはキミらに肝に銘じてほしいことがある。――全員、私の後に続き、復唱せよ!」

「死力を尽くして任務にあたれ」

「「「「死力を尽くして任務にあたれ」」」」

「生ある限り最善を尽くせ」

「「「「生ある限り最善を尽くせ」」」」

「決して犬死にするな」

「「「「決して犬死にするな」」」」

「以上だ! 午後はシミュレーターにて訓練を行う! 昼食後、各自強化装備に着替えてシミュレータールームへ集合せよ! では、解散!」

◇◇◇

シミュレータールーム。

宗像大尉が整列したオレたちの前で熱弁をふるっていた。

「キミ達が今から行うデータは、全人類が総力を挙げて行った桜花作戦のデータだ。キミ達も知っての通り、この作戦において人類はオリジナルハイヴを攻略した。その担い手たる名も無き英雄の名は、一般には知られていない! だが、イスミ・ヴァルキリーズの一員となったキミ達にはこれを知る権利と義務がある! 良いか、今から我々人類にこのデータをもたらし、人類の敵に正義の鉄槌を下した偉大なる英雄の名を告げる。心に刻め!」

「人類に希望をもたらした、我等がイスミ・ヴァルキリーズの英雄、白銀武、社霞の名を称えよ!」

「彼らを支えて散った榊千鶴、御剣冥夜、彩峰慧、珠瀬壬姫、鎧衣美琴、そして鑑純夏の名を刻め!」

「彼らの遺志を無駄にするな! 我ら新生イスミ・ヴァルキリーズは彼らの遺志を継がねばならんのだ!」

白銀? 委員長? 御剣……? どういうことだ? こちらにもあいつらがいて、あいつらはここでは既に死んでいる?

全て、白銀の取り巻きじゃないか。あまりにも話が出来すぎてやしないか……?

「黒須、どうした?」

「白銀……ですか?」

「そうだ。今も特別任務中のはずだ。もう、かなりの長期になるが、詳しくは知らん」

「白銀は生きて?」

「当然だ。――そういうことになっている」

――そういうことに、なって、いる?

「じゃあ、他の連中は……」

「立派に勤めを果たした。かの者達は偉大なる魁であり、稀代の英雄だ」

「じゃぁ、じゃぁ、あいつら死んだって、死んだって、そんな、そんあ馬鹿なことが……」

あれ? オレは泣いているのか……?

「そんなことがあって……だってあいつら……」

教室でバカ騒ぎしてて……。

「あんなに白銀のことが好きで好きで……誰が白銀の一番かって……それなのに、あいつら……本当に……」

そんなのありかよ。

毎日毎日、それこそ四六時中、白銀白銀ってうるさかった鑑まで……死んでいるんだろ?

冗談きついって……。

「おい、黒須! 仕方ない、キミは訓練からはずす――」

「いや、オレはやるよ。そのBETAってのにやられたんだろ? 委員長や冥夜たちは。やってやるよ、あいつらの仇はオレが取る、いや、取らせてくれ――」

オレの世界のあいつらじゃないとわかっていても、できることなら仇ぐらいはとってやろうじゃないか。

「黒須?」

「お願いです、オレにやらせてください」

本心からの言葉だった。

「いいだろう。ただし、容赦はせんぞ!?」

「望むところです」

「良い返事だ」

◇◇◇

「なんなんだよ、この敵の数は。ボムぐらい寄越せってんだ! ま、まだ弾を吐いてこないだけマシなのか? すげえ数だけどよ! だがな、動きが単純なんだよ! んって――あ、ミスった」

周囲が赤い警告とともに暗くなった。

『こちらCP、バルキリー・マム。バルキリー09、胸部被弾、戦闘続行不可。撃墜と認定。――お疲れ様、黒須中尉』

「あーあ、しくったぜ」

『まだ任務中です! 気を抜かないで! 黒須中尉!』

「はいはい」

◇◇◇

「黒須中尉、キミは腕を上げたか? 凄まじい上達振りだ」

声をかけてきたのは宗像大尉だった。

「そうですか? 宗像大尉」

「うん、キミが今立っている場所がわかった。もっと精進したまえ。
それがキミのため――皆のためになる」

「はい」

「ところで、訓練中、キミは意味不明な言葉を口走っていたな。あれはどこの国の言葉なんだ?」

「へ?」

「ボムだとか弾だとか、他にもいろいろと。何かの符牒なのか?」

「いえ、そんなんじゃないんですけど」

「そうか。なら良い。気にするな。――黒須中尉、調子が悪かったら、早めに申告しろよ? 処置は早いに越した事はないからな」

――オレはどう思われてるんだろう。

第八章

2002年 2月2日 土曜日

澄みきった青空。夏の入道雲が遠くに見える。

白い白稜柊の制服姿のエレーナと、だれかが石段に座っている。

「黒須くんが好きなんでしょ? エレーナは」

だれの声だろう。

「うんうん! うんうん!! あー。……でも、どうしてわかったの?」

エレーナ、嬉しそうだな……。

いつ見ても、笑っているよな……。

「え? それ本気? もうバレバレだよー。みんな知ってるって!!」

「えーーーー! なんでーーー! どうして?! わたし誰にも言ったことないのに!!」

「あはは。だって、見たまんまじゃん! わからない人なんか居ないって! あれで違ったら、詐欺だよ!」

「そ、そうなんだ」

「エレーナばかりじゃ悪いから、わたしも好きな人言うね?」

「白銀くん」

白銀?

「え?」

「あはは、あはははは。そ、そうだよね、わたしもバレバレだよね。全然人の事言えないって! あはははは!」

「「あはははは!!」」

「じゃあ、二人だけの秘密だよ?」

「全然秘密になってないから!! ……これっぽっちも!」

「あはは!」

「あはは。わたし、黒須君とのこと、応援するよ!!」

「うんうん! わたしも白銀くんとのこと、応援するね!!」

「「お互い、がんばろうね」」

「「あ」」

「あはは! あはははは!」

ああ、コイツは白銀が好きなんだ。だったら、こう、あからさまに白銀に好意を寄せていたやつといえば……だれだっけ?

◇◇◇

ゆさゆさ。

「起きろー」

ゆさゆさ。

「朝ダゾー」

ゆさゆさ。

「起きないなぁ。あ、そうだ。霞ちゃん、やってみる?」

「……はい」

ゆさゆさ。

「……」

ゆさゆさ。

「……?」

「「あ」」

ん? ……ああ、オレは本当に寝てしまっていたのか。

「お、おぅわ?!」

目を開けると、二つの顔が覗き込んでいた。

「あはは!! 黒須君、おっはよー。もう朝だよ?」

「……おはようございます、黒須さん」

オレは信じられないものを見た。

社。は、まだわかる。だけどコイツは……鑑。鑑じゃないか。

鑑………どうしてここに……そういえば、以前、オレは鑑の夢を見なかったか?

!! そうだ。鑑は青いシリンダーの中にいて、先生は鑑はもう死んでいるって……!?

それに、昨日だって、宗像大尉が鑑は死んだって!

「……どうかしましたか? 黒須さん。大丈夫です。心配は要りません。純夏さんは、純夏さんです」

オレは鑑の顔をまじまじと見つめた。

「う……」

「――鑑、なのか? 本当に?」

「そうだよ、黒須君。やだなぁ」

よくわからない。

わかりたくもないような気がする。

――おそらく、これも先生のたくらみの一つ。

考えるとややこしい事なのだろう。

まぁ、いいか。

「そうそう。香月先生の言いつけで黒須君、あなたを迎えに来たの」

「先生が呼んでるんって?」

「……はい」

「そうだよ! 行こう!」

◇◇◇

しまった、涼宮……。

ばったりと出くわしてしまった。

「!? ……鑑……少尉……!?」

「あの、あの……茜、これは?」

あからさまに驚いている。そのうろたえよう、オレの比ではない。

隣の麻倉も、状況が飲み込めたようでかなり混乱しているようだった。

「あ、これはな……」

オレはなんとか声を絞り出しては見たものの、肝心の言い訳を思いつかないのだが。

「あー、涼宮さん、麻倉さん、ごめん、黙ってて! お願い!! 私急がないと。香月先生に呼ばれてるの!」

鑑がすかさず割り込んだ。

「鑑?」

オレは鑑を見る。

演技……いや、地だろ。もとからコイツはこんなやつだ。

かなり適当なやつだったと思う。

「……純夏さん……」

「あ、副指令が……そういうこと……なの?」

「ごめん! 今は何もいえないの! じゃ、そういうことだから!」

よくわからないが、涼宮は納得してくれたらしい。

「じゃ、私達、香月先生に呼ばれてるから! ほんっとゴメン! ね!」

◇◇◇

「遅いわよ、黒須! アンタ、いつまで寝てんのよ!!」

今日はお怒りらしい。

平謝りしておくか。

「ごめんなさい、先生。気づいたら二度寝してまして……」

「アンタの世界じゃどうだったか知らないけど、時間は貴重なのよ?! わかってる? まったく、人が徹夜で忙しいときに……!」

「すみませんでした」

「まあいいわ。で、鑑。思い出せた?」

「はい先生、彼は黒須勇海君です。タケルちゃんのクラスメイトで、バルジャーノン仲間です」

「バルジャーノン? ああ、白銀が得意だったとかいう、あのゲームの事ね? へぇ。あなたもそうなの。――で、腕前のほうはどうなの?」

「白銀には一度も勝った事がありません。あいつはゲームに人生掛け過ぎです」

って、バルジャーノン? どうして鑑がそれを知っている?

「ふーん。でもね、黒須。白銀が上手くやれたのは、そのゲームが得意だったから、って事も関係していると思うわ」

なんだって?

「? 上手くやれた? 白銀のやつ、こっちに来ている――いや、来ていたのですか?」

「!? 黒須~! あなた、冴えてるわね。と言うか、白銀の数倍、頭が切れるわね? そうでしょ」

――そうか。白銀はこちらの世界にやってきて、そして帰ることができた――そういうことなんだな――。

「先生、タケルちゃんは考えること、全然苦手ですよ。……私よりお勉強できますけど……。それに比べたら、黒須君は……黒須君は……。あれ? あはは! そういえば、黒須君の成績、私と似たり寄ったりだったかも」

「ちょ、鑑!」

「あはは、ごめんごめん」

あ。夕呼先生が鼻で笑った。

「まぁ、どうでもいいわ。それより、鑑をA-01に合流させるから、あなたが面倒見なさい。宗像には話しておくから。いいわね?」

「は?」

「それと、朝食を取ったら格納庫に向かいなさい。――きっと面白いものが見れるわよ? 私も後で格納庫に向かうわ」

「はい」

「わかったら、黒須、アンタはさっさと出て行きなさい。朝は忙しいのよ」

「鑑、社! ついていかないの! あなた達にはまだ話があるわ」

そう。どうでもいいことだ。とにかく、帰れるんだ。元の世界に。――方法は謎だけどな!!

まぁ、白銀はこちらの世界では英雄らしい。

白銀にできてオレにできないはずは……どうだろうな。

ま、とりあえずやってみようか。

できる範囲で。

◇◇◇

「宗像大尉、遅いな」

「そうだねぇ。まだかなぁ。暇だよう」

エレーナの、まさに能天気な台詞。

「エレーナ、疲れるから何も言うな」

とりあえず突っ込んでおいた。

「ひーどーいー!」

「はいはい、うるさいから黙ってね」

「ごめんなさい、涼宮少尉」

「……まったく、ソ連の軍人はこの程度か」

鋼のおっちゃんまでもがエレーナを詰り始める。

「例外中の例外だと思いますけど。アメリカ軍のヤンキーどもでもここまでの逸材はそう居ないかと」

涼宮が酷い言葉を返していた。

「私もそう思う。が、鋼。エレーナは特別だ。――そして、戦術機の操縦においても、その経歴においても、一流の衛視だ。お前にもそれはわかるだろう?」

「しかし……」

「鋼。くどい男は嫌われるらしいぞ? 昨晩、宗像大尉の部屋を訪れた際、中尉がおっしゃったありがたい言葉だ」

この咲夜の台詞には、中隊全員が噴出した。

なんだかんだいっても、咲夜も部隊の雰囲気を良くしようと、なにかと気を使っているようだった。

なにより寄り合い所帯だ。こういう人物がいる事は好ましいといえるだろう。

もっともこの場合、咲夜本人には自覚がなく、キョトンとしていた。

「まぁ。月環中尉は美冴の部屋に?」

「はい。呼ばれましたので、お伺いを」

涼宮と麻倉が色めき立つ。

「うわぁ」

「そ、そうなんだ」

お互いに目を合わせる涼宮と麻倉の両名。

咲夜は目を細めていた。

自体が飲み込めていないのだ。

「風間中尉、なにか……?」

「いえ、その様子では大丈夫だったようですね。てっきり美冴の毒牙に――」

通路側のドアが開く。

「面白い話をしているな。後で聞かせてくれないか?」

と、宗像大尉のお出ましだ。

「あーら、お邪魔だったかしら――だから、敬礼はいいって」

「「「は!」」」

風間中尉は軽く流しているが、咲夜は雰囲気について行けずにいるようだった。

副指令につれられて入ってきたのは――。

「副指令より話があるそうだ。――副指令、お願いします」

「追加補充よ。これで、中隊をらしくなってきたわね。――鑑少尉」

「「「「鑑?」」」

ざわついた声が上がる。

そう。副指令の後ろから現れたのは鑑だった。

「鑑純夏少尉です。ただいま特別任務より帰還いたしました。本日只今を持って原隊に復帰いたします」

「まあ、そういうわけだから。任務の都合上、経歴を偽っていたのは謝るわ。ま、上手くやってちょうだい。鑑の面倒は、そうね――黒須、あなたに任せるわ」

充分予想できたとはいえ、なんだかなぁ。

「返事!!」

「は、了解!」

「まったく。頼んだわよ?」

言うだけ言うと、夕呼先生は部屋を出て行った。

「本日はこれより直ぐに、鑑少尉を交えてのシミュレーターでの模擬戦になる。奮闘を期待する。各員、直ちに行動に移れ!」

「「「「了解」」」」

「黒須中尉、ちょっといいか?」

ああ、今日もまた、宗像大尉に呼ばれるのか。

宗像大尉が顔を寄せてきた。

「鑑のことだが。キミにしか扱えないと聞いている。上手くやれ。いいな。話はそれだけだ」

「……」

「何か困ることがあったら早めに相談に来い。わかったな?」

……またそんな適当な命令を……。

わかりません、わかりませんよ、宗像大尉……。

夕呼先生、あんた何考えてるんだよ……。

◇◇◇

シミュレータールームに、珍しい人影があった。

「社?」

「はい。エレーナさんと、ご一緒しています。 何もできませんが、今は見学させてもらっています」

「そうなのか」

「はい。今日は香月博士がそうしろと」

オレはこのとき、深くは考えなかった。

「なるほど」

何を考えているかはわからないが、そういうこともあるんだろうな。

「……大丈夫です。エレーナさんも、いい人です」

「ああ、それは保障するよ」

「……はい」

「アルファー小隊、月環、北條、黒須、ストレリツォーヴァ少尉だ。月環中尉が指揮を取れ。ブラボー小隊、松浦、涼宮、麻倉、そして私。最後にチャーリー小隊。風間、六分儀、鑑だ。チャーリー小隊の指揮は祷子、キミが取れ。アルファ、ブラボー、チャーリーの順に前衛、中衛、後衛となる。以上だ」

青白い燐光を放つ壁。

それはある種の美しさを持っていた。

だが、ここは地獄の一丁目なのだ。

――本当の地獄とは、美しいものかもしれない。

美しいもの、尊いもの、素晴らしいもの、大切なもの――。

それらが手に届く距離に置かれているにもかかわらず、一切手に入れることのできない世界。

――あるいは、それらが次々と失われていく世界。

地獄とは、そういう場所のことなのではないだろうか――。

「それがハイヴか……ここが、地獄……」

『――何を呆けている、黒須中尉。何か言ったか?』

そうだ、オレは歴戦の衛士、という役回りだっけ。いちいち驚いてちゃいけないな。

「いえ、失礼しました宗像大尉」

『――あははー。イサミちゃん怒られてる怒られてる!』

「何だとエレーナ!」

『――えー? わたし日本語よくわからなーい』

ぐぬぬ、エレーナのやつ! ずいぶんと流暢な日本語じゃねぇか!

『――イサミ、訓練で緊張していてどうするのだ。ああ、そなたの場合は武者震いか?』

咲夜……! しおらしくなったかと思えば、急に強がりを……コイツこそ緊張してるんじゃないのか!?

「訓練だからこそ本気で望むんだよ、訓練できるうちは幸せだ」

こら咲夜、なんだその顔は。

『――なるほど、そなたに教えられるとは……やはり凄いな、イサミは』

『――そうだよー。黒須君の言う通り! 訓練、私は好きだなー』

鑑、意外だな。結構好戦的……いや、違うな。白銀の仇うちに燃えてるのだろう。

無理もない。

『――訓練で100%完遂しても、実戦では失敗するかもしれない。だが、訓練で100%成功しなければ、実践で失敗する可能性は高くなる。黒須中尉の言う事は正しい。キミたちは忘れてはならない。覚えておくことだ』

へ? 宗像大尉? どういう風の吹き回しだよ。

オレの肩を持つなんて。

『――全員、復唱!』

ん? 風間中尉?

『死力を尽くして任務にあたれ』

『『『「死力を尽くして任務にあたれ」』』』

『生ある限り最善を尽くせ』

『『『「生ある限り最善を尽くせ」』』』

『決して犬死にするな』

『『『「決して犬死にするな」』』』

ああ、最善を尽くせ、ということか。

最善を尽くしてこそ、最良の可能性を引き寄せることができるから――。

『――では、訓練を開始する!』

『『『『「了解」』』』』

傘壱型陣形で横坑内を長距離跳躍――計器によると、その時速は700km/hを超えていた。

『――ヴァルキリー00より中隊各機に告ぐ。進行方向にBETA群の存在を確認。距離約7000!』

『――CP、ヴァルキリー01了解。――全ヴァルキリーズ、聞いての通りだ。殴り込みをかけるぞ。跳躍中止せよ。隊列変更、楔弐型だ! 急げ!』

『『『『「了解」』』』』

『――くっーーー! この逆噴射の感覚、たまらないわ!』

『――モガミ、トイレは済ませてきたのだろう?』

『――当たり前ですよ! ナナミさん』

見事に矢印型に並ぶ。

なんだかんだで、場数を踏んでいるのだろう。

昨日初めて組んだ面々だというのに、一部の隙もない。

――オレ以外は。

『――黒須中尉!! これで何度目だ!! ……言わずともわかっているな。キミはダミープログラムで居残り演習だ』

「え?」

『――なんだ、不満があるのか。なんなら、……美人で麗しい監督官をつけてもいいぞ?』

「いえ、謹んで遠慮します! 黒須中尉、単独で居残り演習を行います!」

『――残念だな、キミとのひと時はさぞ楽しいものになりそうだったのだが』

『――まぁ、美冴さんったら。でも……黒須中尉? 私もお供しましたのに』

「お手を煩わせるほどではありません! 単独演習の件、了解いたしました!」

なんだかんだで、オレは連携の練度が低い。

このままでは皆の足を引っ張ってしまうだろう。

――本気で練習しておくか。

『――こちらヴァルキリー05、12時方向、距離2000にBETAだ。――数は――測定限界を超えている。

程なく、網膜に詳細情報が反映された。

――なんだよ、真っ赤じゃねぇか。

『――イサミ、良かったな。より取り見取りだ』

「咲夜、うるせ。嬉しくねえよ」

『――敵、敵、敵――』

低い、押し殺した怨嗟の声が聞こえた。

『――……エレーナさん、まだです。もうちょっと待ってください』

『――あ、うん、霞ちゃん』

え? 今の恐ろしい声、エレーナだったのか!?

どういうことだ!?

――!? 秘匿回線!?

『――……黒須さん、エレーナさんを気にしてあげてください、話しかけてあげてください』

「は? ……どういうことだ? 社」

『――……エレーナさんには、やっぱりあなたが必要です』

「よくわからないけど、話しかけないとダメなんだな? ――夕呼先生の指示か?」

『――……そう考えてもらっても構いません』

「わかった」

『――……ありがとうございます』

……。

『――全ヴァルキリーズ! 狩の時間だ! ヴァルハラが門を開いて待ってるぞ! 前衛各機、突撃せよ!! 後衛は支援攻撃開始!! BETAどもを血祭りにあげるんだ! 各員の奮闘を期待する。以上だ!』

『『『『「了解」』』』』

オレは敵前衛に飛び掛りつつ叫ぶ。

「行くぞ咲夜、エレーナ!」

『――バカ! イサミ、それは私が言うべき台詞だ!! アルファー小隊、全機突貫せよ! 黒須中尉に遅れるな!!』

『『――了解!』』

踊り来るBETAを36mmが次々と屠っていく。

だが、倒しても倒しても、BETAは仲間の躯を乗り越えて襲い来る。

――きりがない。

個々の戦闘能力ははっきり言って弱い。

だが、この数。度が過ぎている。

疲れから来るミス。

――それが致命傷になるだろう。

オレは体力がない。

自分でもわかっている。

あの走り込みには意味があったのだ。

自主トレ――やっておかないと、オレは死ぬ。

間違いない、確定した未来に思える――。

エレーナのSu-37UBが舞う。咲夜の武御雷の剣舞に合わせて舞踊る。

決してそのような事はないのだろうけれど、血の舞踏とも取れる剣舞が繰り広げられていた。

――あいつら、凄い……。

素直にオレは感心したよ。

――いや、オレも負けてられないな。

疲れた、なんていってる場合じゃない。

弾が尽き、刃が折れてもBETAの奔流は止まらない。

あるものは恐怖だ。

数千、数万のBETAを倒しても、それでは終わらない。

戦いは終わらないのだ。

――どちらかが全滅するまで――。

「積もる話もあるだろうが、反省会はここまでだ。では、――解散!」

「中隊、敬礼!」

風間中尉の号令。

――なんだか、妙に疲れたな。

結局、反応炉まで辿り付けなかった。

皆の腕が悪いわけでもない。

道に迷ったわけでもない。

皆の連携が上手く取れていなかった。

もとより寄り合い所帯、予想はしていたものの。

――それに尽きる。

PXはいつも騒がしい。

「鑑少尉! 鑑少尉じゃないか! あんた、あんた、無事だったんだねぇ……わたしはてっきり……」

「おばちゃん……」

「ううん、何も言わなくていいんだよ。あんたの気持ちは痛いほど、痛いほどわかるつもりだよ。でもね、ここに来た以上は食べていってもらうよ!! サービスしておくからね!!」

「おばちゃーん」

「なんだい、ああ、エレーナかい」

「わたしも、あたしも大盛りがいいなー!」

「はいはい。よそってやるから、そこに並びな!」

「はーい」

秋刀魚の蒲焼定食だった。

まあ、今日も茶色かな。

「美味しいねぇ」

「エレーナはいつでも美味しそうだな。まあ、おばちゃんも、そういってくれる人がいると嬉しいと思うぞ」

「うんうん」

「ホントそうだね!」

「鑑はこんなに食べれるのか?」

「わたし? わたしは食べるよ! 任せてよ!」

よくわからない自信だが、エレーナと同じくガツガツと掻き込んでいるようだ。

オレはと言えば……。

「どうしたイサミ、食が進まないのか? 無理にでも食べておいたほうがいいぞ?」

「ああ、わかってるんだがな……」

合成食……不味いよなぁ。

あのおばちゃんが調理してこれだろ?

もし、そうでなかったら、食えるのかこれ?

「イサミ、しかしそなた、戦術機には相当慣れているようだな。今朝の動き、昨日の数倍は凄かったぞ。あんな動きが戦術機で可能なのか?」

「ああ、あれか。いや、白銀があのOSを作った、って聞いたからさ……」

「白銀?」

「ああ、だったら、バルジャーノンで操作可能な事は全て再現できるんじゃないかと思って試してみたんだ。そうしたら、案の定……」

「バルジャーノン? なんだそれは。アメリカの新型か何かか?」

――あ、まずい。

まずすぎる。

ごまかさないとな。

「あ、いや、まあ、そんなもんだ」

「そうか。――」

「? なんだ? 咲夜」

「イサミ。良かったら、わたしもそなたの操縦法を教えてくれないか。なにか掴む事ができるかも知れん。頼む! 私は少しでも早く、貴様に追いつきたいのだ」

「ああ、それは構わないけど」

咲夜の顔が綻ぶ。

「ありがとう。そなたに感謝を」

「イィサァミィーちゃん、わぁたぁすぃにぃも――」

「おいこらエレーナ、飲み込んでから話せ。まあ、言いたい事はわかったけどよ」

「黒須君、わたしにもお願い――」

「鑑……」

鑑は遠くを見つめながら、なにか決心したような顔をしていた。

珍しいよな。見た事は――ないかな。

「でも、我流だからな? 構わないか?」

オレは一応、みんなに念を押しておいた。

第九章

「先生、鑑は、あれはどういうことですか? あの日、鑑はもう死んでるって先生自身がおっしゃったじゃないですか」

「ああ、そのこと。言ってなかったかしら」

「生物学的には死んでいる、って」

「そうよ」

「じゃあ、あの鑑はなんなんです?」

先生がオレに正面から向き直る。

「そうね、そろそろ教えておこうかしら。黒須、鑑の正体は、――オルタネイティヴⅣ計画の成果であり、人類の敵BETAに対する我々人類の切り札――生体反応ゼロ。生物的根拠ゼロ。すなわち00ユニットよ」

「00ユニット?」

「炭素系生命体を生命体として認識しないBETAとコミュニケーションを図るために生み出された非炭素系擬似生命。それが00ユニット。この00ユニットに搭載される量子伝導脳に移植された稀有な人格こそ、『鑑純夏』よ。ODLの劣化による行動時間の制限こそ今だ存在するけれども、私はつい最近、これについての根本的な問題を克服した。BETA由来の技術に頼らなくとも、00ユニットの反復運用が可能になったのよ。――つまり、この運用技術の目処がついたのであの日のあなたの出番になったの」

「――とはいえ」

「え?」

「鑑があそこで目覚める確率は殆どなかったわ。鑑はまたも奇跡を起したのよ。驚いた――というのが正直なところね」

「00ユニットは鑑純夏の人格をただ持っている、と言うことではないの。あれこそが真の鑑純夏といても過言ではないわ。だから、人間として接しなさい。――でもその反面、機械だと言うことも必ず頭に入れておくのよ? わかった?」

◇◇◇

夕呼先生の話。

何を言っているのか、殆どわからなかったけれども、一度死んだ鑑が機械の体で生まれ変わった、と言うことだけは認識できたと思う。

難しい話だ。

◇◇◇

「黒須中尉。こんな時間にどうした? まぁ、寝る前に喉でも乾いたのか?」

自販機の横のあの二人、ななみ先輩と、モガミさんだった。

二人して運動でもしてきたかのようにタオルで汗を拭いている。

「まぁ、そんなところです」

まさか、香月先生のところの帰りなどと下手に口を滑らせて、変に勘ぐられてもかなわない。

オレは話をあわせることにした。

「松浦大尉は――もしかして走り込みでもされていたのですか?」

軽く上気した肌の上をタオルで拭いている。もしかしてとは思ったが、本当にそうだったようだ

「ああ。グラウンドを走ってきた。そこのモガミと、こうするのが日課でな……こうして、体を常に緊張させて置かないと、不安でたまらない。――はは、おかしいだろ? 笑ってくれても良い――バナナジュースで良いか?」

黄色の紙パックを投げてよこす。

――よりによってそれを選びますか、ななみ先輩。

ストロー越しに一口含んだそれは、予想に違わず珍妙な味だった。

「松浦大尉――」

「ああ、ほら、この前キミが言っていた、――ななみ先輩で良い。――それとも、ナナミ、とだけ呼んでみるか? 黒須中尉」

「ちょっと、ナナミさんったら。――調子に乗って。黒須中尉がびっくりしてるじゃない!」

ななみ先輩の突然の大胆な発言に、それまでポーカーフェイスを決め込んでいたモガミさんが突っ込みを入れる。

「いいじゃないか、モガミ。我々も周囲と打ち解けていかねばと考えていたところだ。――滑り出しとしては、イサミ君はちょうどい」

イサミ君?!

ドクン――オレの心臓が跳ねる。――いきなり何を言い出すんだこの人は!

「ちょっと、ナナミさん。またまた何を言ってるのよ!」

「いや、いいですよ、六分儀中尉。オレは気にしませんから」

――本当はとっても驚いたよ。

「ん? モガミはそう思わないのか? 何せ、一番の難物であろう、あのロシア人や横浜の女狐とタメ口なのだぞ?」

「そ、そうだけど……」

モガミさんの声が弱々しくなってきた。

力関係は明らかにななみ先輩のほうが上とみた。

「エレーナと夕呼先生のことですか? 松浦大尉」

「ナナミだ。――それより、その言い方だよ、イサミ君。君はやけに親しげに二人を呼んでいる。そういえば、斯衛軍出身の二人も名前で呼び捨てているな。――たいした度胸、というか、私にはとても恐ろしくて出来やしない」

「じゃあ、ななみ先輩」

「またそれか。ま、いいだろう。君も面白いな」

「あはは! ナナミさんの負けだって」

「うるさいな、モガミ」

「あー、ふてくされてる。――ナナミさんね、あなた――イサミくんが「ナナミ」って呼び捨てで呼んでくれないのを拗ねているの 可愛いトコあると思わない? ね、イサミくん?」

な、ついにモガミさんまで感化されてるじゃないか!!

「ふん、好きに言ってろモガミ。で、イサミ君。話を戻そう。そう、君が度胸がある、そういう言う話だった」

「よしてください、ナナミさん。オレが皆をそう呼ぶのは、ただの偶然で――」

「偶然でも、そうできる事はたいしたことだ。――それは才能だぞ? 一種の」

「そんなものですかね?」

「ああ。誇っていい」

「こらこらナナミさん。イサミくんが信じちゃうじゃないの!」

「六分儀中尉、大丈夫ですよ。オレも適当に話しているだけですから」

「あはは! イサミくん、君って、本当に面白いんだ。あ、わたしのこともモガミで良いよ?」

「ありがとうございます、モガミさん」

「イサミ君。君は本当に凄いな。君は何のためにここに居るんだ?」

「え?」

「ああ、言い方が悪かったな。君は元々日本人だろう? どうして帝国軍ではなくて、国連軍を選んだのか、と聞いたんだ」

――そうはいわれてもな。まさか、夕呼先生に強制された、とは――あ、別にそれでもいいのか。

「はぁ、実は夕呼先生に強制的に――」

「え?!」

「――その話、本当なの?! いや、本当だとしたら、私達、それ聞いてもよかったの?!」

何故そこでうろたえる?!

この二人、なにか壮大な勘違いをしてやしないか?!

「――違うのか?」

ななみ先輩がなおも食い下がる。

「違いませんけど……」

正直に白状した。でも、これがまずかったのか、二人は困惑して互いの顔を見合わせていた。

――しまった。ますます想像力を働かせる結果に……。

ななみ先輩はオレの考えなど知らず、真剣な表情でオレに向き直って……。

「イサミ君、君は何のため戦っているのだ? 私は、あの12・5事件で思い知ったんだ。人類同士で血を流す馬鹿馬鹿しさに。そして、帝国軍にほとほと愛想が尽きた。今、この世界は滅亡の危機にある。一寸の疑いもなく、人類に余計な血を流す余裕などない。なのに、なのにだ。東京の馬鹿どもと来たら……! あの唾棄すべき人食いの化け物が、今現在も家族を、友人を、――愛するものを食い殺しているんだぞ!? なのに!! なのに――」

え?! ななみ先輩の目から、涙が――。

オレはただ、圧倒されていた。

これが、ななみ先輩の語ることこそが、今オレが置かれている世界の紛れもない真実の姿――。

「ちょ、ちょっと――ナナミさん?!」

「私はBETAを許さない。私はBETAと戦うために――国連軍への移籍に同意したよ。同じ考えだったモガミを誘ってな。渡りに船だと思った。どうせ戦って死ぬのなら、人殺しではなく、一匹でも多くのBETAと戦って死にたい。人間として死んでいきたいんだ」

「……ナナミさん。ごめん。早く気づいてあげれなくて。思いつめすぎだよ。体に悪いよ? 今日はもう、――部屋に戻ろう?」

「ああ。――イサミ君、悪かったな、こんな話につき合せて。イサミ君、君ならなんとなく話を聞いてくれる、そんな気がしたのだ。――許してくれ」

……。

「ななみ先輩。――オレは――オレは世界を救うんです。あいつらが必死に守ろうとした、この世界を――オレは必ず救います」

そうさ。

この世界の委員長達が救おうとした世界。

オレが何とかしてみせる――。

「そう、絶対に――」

「「!?」」

「黒須……中尉?!」

「イサミでいいです」

ななみ先輩が、オレに右手を差し出してきた。

そして、オレの右手を掴む。

――握手?

「イサミ君。君に話せて良かった。今日は良く眠れそうだ」

「オレもです、ナナミ先輩」

ななみ先輩は笑顔を向ける。どこか、晴れ晴れとしていた。

「では、おやすみ」

「おやすみなさい、ななみ先輩。今日はありがとうございました」

「またね。また明日、イサミくん!」

「モガミさんも」

オレは軽く手を振った。

第十章

2002年 2月4日 月曜日

「へー。新品の不知火か。奮発したみたいね。まーた、香月副指令が無理言って調達したんじゃないの?」

「いえてる。いえてるよ、茜」

青の国連カラーに塗装された人型兵器――帝国軍が開発した第三世代戦術機、不知火――。

戦闘のために生み出された兵器は、こんな形をしているものなのだろうか。

「ごめんねー。本当は弐型を調達したかったんだけど、さすがに12機はねぇ。生産も間に合ってない、なんていうものだから」

先生だ。

香月先生がいつの間にかハンガーにやってきていた。

弾かれたように敬礼する涼宮と麻倉が哀れに見える。

「わーい、新型新型ー」

構わず飛び跳ねているバカがいる。

エレーナだ。

エレーナには先生は目に入っていないらしい。

「ああ、エレーナ。あなた、今日から日本人になったから」

「へ?」

「あなたの亡命、正式に認められたわよ? だからあなたは今日から日本人なの」

「おおおおお、やったー。イサミちゃんと一緒だよ!」

「あー、残念だけど、エレーナ、それは違うわ。黒須は無国籍。書類上は存在しない人だから」

……え?

「どこの国も黒須の身柄の引取りを渋ってるのよ。そうね、黒須、アフリカかカリブの何処かなら国籍取れるかもしれないけど、どうする?」

「……結構です」

とほほ、無意味に悲しくなったような。

「イサミちゃん、かわいそう」

お前に言われたくはない!

「と、言うわけでエレーナ。チェルミナートルは没収よ。帝国軍経由でソ連に返却するわ。もう、データは取ったし」

「ええーーーーそんな!? あ、でも先生、じゃ、じゃあ、わたし、新型がもらえたりは……するのかな?」

「残念ね、エレーナ。でも、あなたは日本人にしか使うことが許されていない特別な戦術機、量産型の不知火を与えるわ。しかも、その不知火は新OSであるXM3に換装してあるから、びっくりするほど高機能よ? チェルミナートルなんてポンコツとは段違いなんだから」

「おおお!」

「それにね、その不知火はあなたの専用機なの。かっこいいのよ。戦場の主役よ? しかも青いのよ?」

「え?」

「カラーリングもね、工場出荷時に塗ってあった錆止め用の下塗りの赤だけだったから、あなたのパーソナルカラーである青に機体全体をワザワザ塗り替えさせたのよ! 感謝なさい!!」

マテ。

ちょ、あんた、夕呼先生。

パーソナルカラーって。

エレーナに何を言ってるんだ。

それって皆と一緒じゃねーか。

しかも、普通それを塗り替えって言わないだろ!?

「「「それって皆と一緒……」」」

オレの意見は複数人の賛同を得ることに成功したようだ。

まぁ、エレーナにはそんな事は聞こえなかったらしい。

目を輝かせて、すっかりその気になっているようだ。

「うんうん! わたし、がんばる!」

「期待しているわ」

「やるぞーーー!」

……。

「黒須。いま、馬鹿と鋏は……なんて思ってたでしょう?」

「め、滅相もない!」

そうかしら、とその貌が言っていた。

「と、言うことで、月環中尉、北條中尉。――あなた達も武御雷だから。乗りなれてるでしょうから、それでいいわよね? ああ、あの青いのがそうよ」

見れば、指差す先に見慣れぬ青い色の武御雷が鎮座している。

咲夜と鋼のおっさんが目を丸くしていた。

「あ、あの色は……」

「馬鹿ねぇ。私たちは国連軍よ? 国連色に塗り替えさせたに決まってるじゃない」

「……承知……しました、副指令」

「……」

咲夜がうめく。

鋼のおっさんに至っては、声も出ないようだった。

「それと、不知火弐型は松浦大尉、六分儀中尉が使ってちょうだい。今、名前を呼ばれなかった者にはエレーナ専用機に準じた性能の不知火を与えるわ」

「では、各人、機体を受領し各機の調整に移れ――」

「待ちなさい、宗像!」

「は?」

「各自が機体を受領するのは、私がシートのビニールを破いてからよ」

「はぁ?」

「なに? 私の楽しみの邪魔をする気?」

「いいえ、そのような事は」

「いいか、聞いての通りだ。各員、引渡し準備の済んだ機体から、順番に受領せよ!」

「「「「了解!」」」」

◇◇◇

2002年 2月 7日 金曜日

それは、PXでの出来事だった。

モガミさんが発したその一言が全ての始まりだったのだ。

「あたし、思うんだけど、私達の部隊、イマイチ仲間意識が足りてないって言うか、みんなの間に距離感があると思うんだよね? どう思う? イサミくん」

モガミさんが妙なことを言い出したのだ。

「へ? お、オレですか? モガミさん」

「おっかしいなぁ。イサミくんなら、上手いこと考え付きそうだと思ったんだけど」

「そうですねぇ……」

「熱く熱く燃え上がるなら! 衛士が根性試すなら! あれしかない!」

そう叫んだのはエレーナだった。

瞳を赤く燃え上がらせ、拳を握って一人熱くなっている。

――大丈夫か? コイツ。

「おいおい、エレーナ……」

「お? エレーナちゃん? なにか面白いこと考えたんだ?」

「ええ、モガミちゃん。これだよ、コレ」

エレーナは右肘の下を右の手のひらで掬い、右拳を机に叩きつける動作を繰り返した。

モガミさんにも通じていないらしく、彼女はかわいらしい小首を捻っていた。

「何してるんだ? エレーナ」

「わかんないかなー コレだよ、コレ!  イサミちゃん、わたしの手を握ってよ、右の掌」

オレは、よく考えないままにエレーナの右掌を、自身の右拳で掴む――その瞬間!

「――でえぇええええええええええい!」

裂帛の気合ともに、エレーナがその右掌をテーブルに叩きつける!

ガーーーン!

「おぅわ!!」

――痛てぇぇええ!

オレは右手の甲をテーブルに力任せに叩きつけられたばかりか、あろうことか体ごと宙を舞っていた。

椅子がひっくり返る轟音と共に、オレの体は隣の椅子の残骸に沈む。

「いきなり何しやがる、エレーナ!!」

「「「「「「おおーーーーーーーーーーーー!」」」」」

「「「す、すげぇーーーーーーーーーーーーーー!!!」」」

誰もオレの抗議なんか聞いちゃいないな。

「Ураーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

エレーナの勝負の雄たけびが、天にも届けといわんばかりに響きわたった。

だが、オレは知っている。

破壊音と騒動に驚き、慌てて厨房を飛び出してきた京塚軍曹の目が怒りに燃えていたことを。

◇◇◇

かくして開かれた腕相撲大会という名のレクリエーション。

――どうしてこうなった。

「黒須、負けてもいいぞ。ただし、キミは明日の朝食を諦める事になる――ああ、次回の嗜好品の配給も届かないと思ってくれて構わない」

くそ、どうしてこのオレが!!

机の向こうには、悪魔の手先がいた。

「はじめるぞ? 『ゴー!!』」

来る、鋼のおっさんの号令が来る!!

「……黒須さんは、いつも優しいですよね?」

え!?

――そんな目でオレを見るな!!

「……黒須さんは、辛いこと、悲しいこと、いっぱい、いっぱいありましたよね?」

な!?

――は、反則だろ、コレは!? 夕呼先生、あんたは悪魔か!!

しかしだ、ここは負けるわけにはいかない! ここは心を鬼にして!!

「……黒須さん、私、幸せになれますよね?」

っく!?

――っく、っう、卑怯すぎるだろ?!

「……私、忘れません。黒須さんのこと。なにがあっても、絶対、絶対、――忘れません」

――なんだと!?

「……えい」

ペチ。

――あ。

そんなのありかよ!

「ウィナー! 社!!」

「「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」

「やったわね、社。後でご褒美あげちゃおうかしら――あらー。残念ねー、黒須?」

……。

オレは、オレは……。いったい何のために戦っているんだ――。

◇◇◇

――どうしてこうなった。

「黒須、まさか、同じ相手に二度も負けるわけがないよな? 負けてもいいぞ。ただし、キミは本日の食事を私と取る事になる――ああ、もちろん、私の私室でだ」

負けるわけにはいかねー。

くそ、どうしてこのオレが!!

机の向こうには、白兎がいた。

「エレーナ」

「イサミちゃん……負けないんだから」

「エレーナ。男なら、危険を顧みず、死ぬと分かっていても行動しなければならない時がある。負けるとわかっていても戦わなければならないときがあるんだ」

「意味わかんない」

「うるせぇよ!」

「両者いいか? では、『ゴー!!』」

「うぉおおおお!」

「同志スターリン、万歳!!」

エレーナのそれは、ものすごい力だった。

ありえない。

ダーーーン!

オレの右手の甲が机を叩く!

――じょ、冗談だろ!?

気がつけば、オレは前回同様、宙を舞っていた。

何故だーーーー!!

「ウィナー! ストレリツォーヴァ!!」

「「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」

「Ураーーーーーーーーーーーーーーーーー! 本場ロシアの力、思い知ったか!」

エレーナの勝負の雄たけびが、またしても天にも届けといわんばかりに響きわたるのだった。

◇◇◇

――どうしてこうなった。

「黒須、まさか、か弱い女相手に一勝も出来ないことはないよな? ああ、負けてもいいぞ。ただし、キミは明日も運動場を貸しきる権利を与えられるだろう。――ああ、もちろん、美しく麗しい監督官に監視されながらだが」

負けるわけにはいかねー。

くそ、どうしてこのオレが!!

机の向こうには、鬼がいた。

勝負の鬼が。

「イサミ、我ら、こうして相対した以上、かくなるうえは仕方がない。正々堂々と勝負だ」

「ああ」

「ここで雌雄を決しようぞ」

「わかってる」

「では、咲夜様、参ります。『ゴー!』」

「うおおおお!!」

オレは腕も千切れよと、渾身の力を込めた!

咲夜も負けるものかと押し返してくるが、オレのほうが断然、分が良い!

――勝てる! 勝てるぞこの勝負!!

「あっ! く、イサミ!? 後ろだ! 兵士級だ!!」

ドクン――咲夜の言葉に、オレの心臓が跳ねた。

――え!? なんだと!?

オレはすばやく後ろを振り返った。

――両手で拳銃を握って。

……。

いない。

兵士級など、どこにもいない。

「BETAはどこだ!?」

……。

……。

……。

鋼のおっさんが、オレの肩に優しく手を置いてくれた。

「ファール。黒須中尉、ファールだ」

おっさんが、とても優しい顔をして首を横に振っている。

――ま、マジですか?

反則?

オレは、振り返って咲夜をまじまじと見つめた。

……こ、こいつは!!

何事もなかったかのように、涼しい顔をしてやがる……!?

「イサミ、仕切りなおしだ」

「当然だ。よくもやってくれたな、咲夜」

「では、参ります、咲夜様。『ゴー!!』

オレは右腕が千切れよと、渾身の力を込めた!

「うおおおお!!」

――勝てる! 勝てるぞこの勝負!!

もらったぁ!

「イサミィ!!!!」

その手には乗るかっての!

プシュッ。

変な音がした。

ボトッ……ボトトッ……。

!?

机に赤い液体がポトポトと……。

ドクン――あってはならない悲劇の可能性に、オレの心臓が跳ねた。

……え? う、嘘だろ……、こ、コレは……。

オレは顔を上げて、恐る恐る咲夜の顔があるであろう位置まで視線を上げて……。

ダン!

――あ。

「ウィナー、咲夜様!!」

「「「「おおおおおおおおおおおお!」」」」

咲夜の口の周りが、真っ赤に染まっていた。

「イサミ、貴様は最高の衛士だ。貴様なら、必ずBETAに勝利できる。――だが、この勝負、私がもらうぞ? いいな?」

「汚ねーんだよ、お前は! なーにが正々堂々だ! 聞いて呆れるわ!」

咲夜は赤く染まった口をハンカチで拭いつつ、オレの言葉を軽く受け流してくれた。

「謀多きは勝ち、少なきは負ける。戦国大名であり稀代の謀将、毛利元就が残したと伝えられる言葉だ。そう――これが真の兵法というものだ」

「なんだと!?」

「まあ、やりすぎたのは認める。すまなかったな。イサミ。許してくれ。この通りだ」

「ぐぬぬぬぬ!?」

さ、咲夜……。

血も涙もない、まさに修羅。

勝負のために鬼となるか……。

くそ、悔しすぎる!!

「なんだ黒須。本当に負けてしまったのか。――よくも期待を裏切ってくれたな。キミはそうだな――。腕立て200回。そう、200回だ。――直ちに開始するんだ。健闘を祈っている」

そう。オレの戦績は0勝3敗。

オレは予選Aブロックで全敗という大敗北を決したのだった。

オレには異論が多々あったものの、レクリエーションは大成功のうちに終わったらしい。

第十一章

2002年 2月8日 金曜日

「この作戦の目的はね、北部九州に進出しようとする、鉄原ハイヴ起源と推測される師団規模のBETAの撃滅と、それによる極東アジアの戦況好転よ。作戦自体は日本帝国軍の全面支援を得つつ、国連軍主導で展開されるわ。繰り返すけど、今回の作戦の目的はハイヴの奪還ではなくて、あくまでBETAの殲滅よ。――表向きは、ね。あなたたちの目的は違うわ」

――表向き?

「あなた達A-01部隊の目的は新兵器の試験よ」

――新兵器って……なんだ?

「2700mm電磁投射砲。もう、勘のいい人は気づいているみたいだけど、これは甲21号作戦でも使用した凄乃皇に搭載するための要塞砲よ」

――な、なんだこの大きさ?! バケモノか?!

だ、だけど……凄乃皇という兵器はこれを装備するほど大きいのか!?

どんな怪物なんだよ。

「今回、凄乃皇は出せないから、電源車を用意するわ。聞いての通り、私の開発した新型電磁投射砲の試験を行ってもらうわ。当然、試作兵器の試験と回収を第一優先とするけれど、この程度のヌルイ作戦であなた達に命を落としてもらっても困るわけ。いいわね?」

「「「「「了解!」」」」」

◇◇◇

2002年 2月 9日 土曜日

戦術機母艦 大隅級戦術機揚陸艦 能登 甲板上

見渡す限りの海。

水平線から朝日の輝きが生まれようとしている。

夜が終わり、朝が来る。

この星には朝が約束されている。

だが、我々人類に朝は約束されていないのだ。

それを思うと――畜生、なんて世界だ――。

「おはよう。もう起きていたのか、イサミ」

興奮して寝付けなかったんだよ。

オレに声をかけた早起きさんがいるようだ。

この声――聞かずともわかる。

近づいてきた雰囲気だけで感じ取れた。

咲夜に決まっていた。

オレは咲夜を振り返る。

「――おはよう、咲夜――」

咲夜がいた。

海風が彼女の長い黒髪を弄っている。

「ああ、おはよう。イサミ。――雅なものだな。朝日をこのような形で拝むのは初めてだ。心が洗われるようだ――」

「そうか。オレは逆の事を考えてた。――人類が消えたとしても、地球には変わらす朝が来るんだと」

「弱気なことを申すでない。第一、そなたが人類を救うのではなかったのか?」

咲夜が笑っている。

「――そんなことも言ったっけ? ははは、かなわないな」

「そうだぞ、イサミ。しっかりしろ! 戦場はすぐそこだぞ」

「ああ。昼過ぎには佐世保に着くんだろ?」

「そうだ。そしてわれらは戦場の人となる」

「ああ」

オレの気のない返事に、咲夜はため息をついた。

「どうしたのだイサミ。そなたがそのようなままでは、皆の士気にかかわる」

「皆の?」

「そうだ。そなたは人気者のようだからな」

「ははは。――元気がないのは心配性の誰かさんが余計なことを考えないように仕向けてるだけ、と言ったらどうする?」

……。

咲夜は何か思い当たる節があったのか。

「な、ななななな、そんな事はしなくて良いのだ! そなたは、そなたは己の心配のみしておれば良い! そうとも、そうだとも!」

顔を赤くして取り乱し始めた。

――忙しい奴。

「あははははは!」

「なにがおかしい! イサミ!」

「どのような姿をしていても、どのような言葉を話していても、咲夜は咲夜なんだな、って改めて思っただけだよ」

「そ、そなた、私をからかって!!」

「あはははは!」

「っ!?」

「朝から騒々しいと思えば君たちか。せっかく人が海から出でる太陽の神々しさに感動し、今まさに私の魂が帝国と共にあることを自覚しつつ、わが生涯の全てを神州の行く末に重ね、より一層の覚悟を持って粉骨砕身せんと誓いを新たにしておったのに。それをそのような色恋じみたやり取りでぶち壊しおって。それでも君たちはこの大八島の未来を継ごうとする若人か!」

目が据わっている――いや、ただ単に目つきの悪い、女性仕官が割って入ってきた。

「ななみ先輩……!!」

「ま、松浦……大尉!?」

「だが、君たちも私と同じ気持ちなのだと信ずる。あの朝日の神々しさを見れば、おのずと我々の心は一つにまとまるはずだ。いかに巨大な困難が待ち受けていようと、我々が手を取り合えば、それを易々と乗り越えられるだろう。今当に紀元節を二日後に控えた今日という日の始まりに、未来溢れる君たちとこのような考えに至れたことこそ喜ばしい!」

マジ……ですか?

ななみ先輩、この世界でもネジ飛んでいらっしゃるんですね……。

は!?

パチ……パチ……パチ……。

拍手が聞こえる。

オレはその音の源、咲夜を見た。

なんと言うことだ、なにがあった。

咲夜が涙を流して、ななみ先輩を見ているじゃないか。

「松浦大尉……! ――こ、この月環咲夜、九條の一門に連なるものとして、誠、感服いたしました。今この場において、そのようなお話をお聞かせ願えたこと、当に身に余る光栄。今までそのような考えに至れなかったこの身の不徳、痛感して余りあるものがございます。願わくはこの月環咲夜、今一層の精進を持って松浦大尉のご期待に答えたく存じます!」

咲夜!? ――お、お前もか……。

この世界の人間はなんだか、こう――違う。

オレとは違う。

根本的な何か――。

いや、そんな単純なものじゃない。

なにか、こう。

オレの生きてきた世界では掴めない何か。

大切な何かを、彼等は知っている。

いや、より身近にあるに違いない。

彼等はそれを感じ取っているのだ。

だからこそ、真摯な言葉が自然と出てくるのだろう。

オレはそう思った――。

朝日が昇る。

――夜が、明ける。

今まさに、朝の光がオレたち三人を包み込もうとしていた。

ななみ先輩が一歩前に出て言葉を紡ぐ。

「我ら、他を生かすために全てをなさん」

それを咲夜が引き継いだ。

「我ら、かけがえなき命を救い守るため」

何かの決まり文句であったのだろう。

二人の声が唱和した。

「「我ら、他を生かすために生を捧げ続ける。――全ては、明日なき我らの希望を繋ぐため」」

「「今ここに、希望へと繋ぐ勝利を誓う」」

◇◇◇

2002年 2月10日 日曜日

艦砲射撃から漏れでた、敵の渦。

地鳴りとともに押し寄せ来る、BETAの大群だ。

見ると聞くじゃ大違いもいいところだよな。まったく。

なるほど。

これが、人類の『敵』って奴か。

白銀がこれに勝ったって?

自然と笑みが浮かんだ。

面白い。

オレがそのハイスコア、塗り替えてやるよ。

オレは深呼吸した。

――でも、ま、そのうちな!

がむしゃらに張り合う気なんて、さらさらない。

生きて元の世界に帰る。

社はその方法はない、と言っていたけれど、実際、白銀はそれをやってのけているんだ。

方法がないはずがない。

何とかして見せるさ。

それまでは、死ねないね!


CP/コマンドポスト
ヴァルキリー00 バルキリーマム(不詳)

A/アルファー
ヴァルキリー01 宗像美冴大尉
ヴァルキリー02 風間祷子中尉
ヴァルキリー03 涼宮茜少尉
ヴァルキリー04 麻倉舞少尉

B/ブラボー
ヴァルキリー05 松浦七海大尉
ヴァルキリー06 月環咲夜中尉
ヴァルキリー07 北條鋼中尉
ヴァルキリー08 六分儀最上中尉

C/チャーリー
ヴァルキリー09 黒須勇海中尉
ヴァルキリー10 欠番(白銀武少尉)
ヴァルキリー11 エレーナ・ストレリツォーヴァ少尉
ヴァルキリー12 鑑純夏少尉


不毛の大地が続いていた。

重金属雲の支配する、BETAの蹂躙を許した不毛の大地。

『――こちらヴァルキリー01、前線が喰いそびれたBETAを排除しつつを狙撃地点に向かう! 全ヴァルキリーズ! チャーリー小隊を守る形で楔参型陣形! 最前線でキミ達の想い人が待っているぞ。各自、遅刻の言い訳を考えておけ! 心打つ台詞を考えたものには、私が手取り足取り添削指導してやってもいい。行くぞ! 私について来い!!』

『『『『「了解!」』』』』

『――ヴァルキリー00よりヴァルキリー01、突撃級を含む中隊規模のBETA群が正面より接近中。前線が突破された模様、留意せよ』

『――こちらヴァルキリー01、了解。各機、聞いたな? チャーリー小隊は進路このまま! 120mmで突撃級の足を狙撃せよ! タイミングは黒須に任せる! アルファ、ブラボー小隊は側面に回り込め! 行くぞ、跳躍開始!』

『『『『「了解」』』』』

なんだって?

突撃級の突進を正面から受け止める?

オレたちたった三機で!?

「宗像大尉、突撃級の集団を正面から迎え撃つなんて事ができるわけが――」

『――なにを言っている。どのみち電磁投射砲を装備しているキミの小隊に避ける場所はない。良いからさっさと迎撃準備だ! 先頭集団の足を狙え。それで進軍は止まる!』

滅茶苦茶な……。

だが、やるしかない!

――シミュレーターでの訓練通り、やるしかない!!

「聞いての通りだ、エレーナ、鑑! 進路はこのまま。正面から突撃級を迎え撃つ。小隊各機、砲撃戦用意! 弾は120mm徹甲弾だ!」

『『――了解』』

突撃級が地響きを立てて迫ってくるのがわかる。

――戦闘集団の足を狙うんだ――。

理屈ではわかっていても、押しつぶされる恐怖だけがただただ募る。

――本当にやれるのか?!

――大丈夫だ、これは数々の戦場で実証済みの戦法のはずなんだ! 落ち着け! オレ!!

まだか、まだなのか?! もうじき射程に入るはずだ――!

「いくぞ、小隊各機! 敵突撃級の足を狙え! 射撃開始!!」

轟音と共に放たれる弾丸は突撃級の足元に吸い込まれてゆく。

「来るんじゃねぇ! この化け物ども!!」

オレは恐怖に駆られて弾が尽きるまで連射した。

一発、二発と灼熱の劣化ウラン弾がBETAの表面に吸い込まれてゆく!

突撃級に着弾し光と轟音を発するも、なおも突進は止まらない。

「う、おぅわ!!」

オレは無意識のうちに悲鳴を上げていた。

――これが、実戦――。

砕け散る肉片に、さらに突き刺さる弾丸。

そして至近距離で着弾したそれは突撃級の足を根こそぎ弾き飛ばす。

――しめた!

バランスを崩し、転倒を始めた先頭突撃級集団に次々に後続が激突してゆく。

側面からも砲撃された突撃級集団は、今や矢尻のように突出した形で停止していた。

「と、止まった? ――助かった――」

オレは胸をなでおろした。

『――大丈夫!? 大丈夫!? イサミちゃん、イサミちゃん!!』

気がつけば、エレーナが必死の形相で叫んでいた。

「大丈夫だエレーナ。問題ない」

『――良かったぁ』

エレーナの安堵の声が聞こえる。

『――何をぼやぼやしている! 黒須! キミはウオッカの飲みすぎで頭をやられてるんじゃないだろうな!? ――後続が来る前に突撃級を殲滅するぞ! 全機、敵突撃級に対し突貫せよ!!』

『『『『「了解!」』』』』

◇◇◇

BETA群を抜けたオレたちの前に展開して布陣する帝国軍が見える。

海岸線に90式戦車がは列を成して防衛線を構築していた。

海という海を埋め尽くすBETAを相手に奮闘し、海を真紅に染め上げている。

『――こちらヴァルキリー01、電磁投射砲発射準備だ。各機、当初の手はず通り電磁投射砲の周囲に布陣せよ。何があろうと絶対にBETAを近づけるな!』

『『『『「了解」』』』』

「鑑、頼む」

『――ヴァルキリー12、了解しました。2700mm電磁投射砲充電開始』

オレはチャーリー小隊の面々を確認した。

エレーナ。

鑑。

鑑機は電磁投射砲にかかりきりだから、鑑機や電磁投射砲に接近するBETAをエレーナと二人で倒す、って感じだ。

なにせ、護衛対象は戦術機搬送用トレーラーを二台連結して砲身を載せた急造品と、心もとない電源車である。

危なっかしいにも程があるというものだ。

まぁ、オレたちの両翼はアルファー、ブラボーの各小隊が頑張ってくれているから、そこから漏れ出た敵だけを相手にしていれば良いのだが。

『――少年、どうした。顔色が悪いぞ』

――!?

「北條中尉……いえ、大丈夫です、行けます」

『――ああ、貴様の言葉、信じよう』

――おっさんまでオレの事を気にかけてくれていた。

皆もうすうすは感じているのかもしれない。

オレが額面通りの存在ではなく、色々と『特別』だと言うことに――。

◇◇◇

敵の影が濃くなる。

そろそろ、頃合か?

「ヴァルキリー12、エネルギー充填まだか!」

『まって、黒須君! もうちょっと! あと60!』

鑑が叫ぶ。

「ヴァルキリー11!! 一分耐えろ!」

オレはエレーナに防御を命じる。

『――ヴァルキリー11了解、イサミちゃん、援護して! 正面の要撃級を足止めする』

「ヴァルキリー09了解! よけろエレーナ!!」

オレはエレーナの不知火に側面から突っ込もうとしていた要撃級に120mm突撃砲を見舞ってやった。

続いて後続にも叩き込んでゆく。

鑑の守る電磁投射砲の左右には、アルファ及びブラボーの二個小隊がVの字状になって前面に押し出す形で展開している。

『――貴様等、なんだその腑抜けた戦いぶりは!? それでも元帝国軍人か! アルファー小隊の連中に大和魂の真髄を見せてやれ!!』

ブラボー小隊小隊長である、ななみ先輩の似合いすぎた台詞が耳を流れてゆく。

『――祷子。私は常々思うんだ。戦いはもっとエレガントに行うべきじゃないか、ってね――』

『――ごめんなさい、美冴さん。でも私、正直思いますの。――美冴さん、あなたの戦い方が他の誰よりも凄惨ですわ――』

宗像大尉と風間中尉はこんなときにも軽口を言い合っている。

『――こちらヴァルキリー12、電磁投射砲、機関安定、エネルギー充填率120%! ヴァルキリー01、砲撃可能です!』

『――こちらヴァルキリー01、お待ち兼ねのショータイムだ。中隊各機に告ぐ。直ちに電磁投射砲の射線より離脱せよ。ヴァルキリー12、砲撃のタイミングは私がとる!』

鑑の報告に答えて宗像大尉は指示を飛ばす。

『――離脱しろ! 射線から離れるんだ!!』

!? エレーナ?

エレーナ機を示す光点が動かない。

――何をしてるんだよ!

「離脱だヴァルキリー11!! 急げ! 何してる!! エレーナ!」

『――敵、敵、敵はまだいる、殺さなきゃ――。こちらヴァルキリー11、離脱は認められない――』

な?!

モニター上のエレーナの様子がおかしい。

目が据わっている。心なし、目が赤く光って――。

「何を言っているんだ、エレーナ!?」

『――殺す、殺す、敵は殺す!! イサミちゃんはわたしが守る!!』

モニターに移るエレーナのはさながら鬼の形相になっている。

いったい、なんだってんだ、エレーナ!

『――こちらヴァルキリー01、ヴァルキリー11、エレーナ少尉! 『イサミの敵はもう居ない!!』 遊びの時間は終わりだ!! 『イサミの敵はもう居ない!!』 さっさと引き上げろ!!』

宗像大尉の罵声が飛ぶ。

『――!?』

エレーナが弾かれたようにおとなしくなった。

その目に、正気の色が戻っている。

『――……了解。ヴァルキリー11、これより離脱します』

……。

『――こちらヴァルキリー01、ヴァルキリー12、電磁投射砲目標、正面敵要撃級集団! 撃てぇ!』

『――当たって!!』

鑑の裂帛の気合と共に、2700mm電磁投射砲が唸りを上げる。

大地に閃光が走った。

長大な砲身から射出される巨大な弾丸がBETAを次々に肉片に変えてゆく。

砲弾が命中しなくても、周囲を巻き込み切り刻み、潰し合っていた。

――そして。

砲撃が止んだ後の射線上に、動く影すらほぼ存在しなかった。

「すげぇ……なんて威力だ。MAP兵器なんてもんじゃねぇ……」

『――これが、これが本当に人類の力なのか? これがあれば我々人類は……』

ななみ先輩の目が驚愕に見開かれていた。

『――横浜の女狐にだれも手を出さないわけだ――納得した――』

咲夜の呟き――。

思うところがあったのか、鋼のおっちゃんすら涙を浮かべていた。

◇◇◇

戦車隊に命令が下ったのであろう。

戦車砲の一斉射撃が残敵の駆逐に入っていた。

120mm滑空砲から放たれる砲弾の数々が生き残りのBETAに叩き込まれてゆく。

オレは、ただただその戦場の風景に見入っていた。

『――こちらヴァルキリー01、作戦は成功だ。残敵の掃討は帝国軍に任せろ! A-01各員、撤収準備!! 帝国の衛士様と交代だ。引き上げるぞ!』

『――ヴァルキリー09、黒須中尉以下チャーリー小隊二名は電磁投射砲の回収に移れ』

『『「了解」』』

エレーナの機体が視界に入る。

かつて青かった機体は、BETAの赤い血と肉片で真紅に染まっていた。

コイツは――!!

どれだけ数のBETAとやりあったって言うんだ。

それにさっきのアレは何なんだ!

いったい何なんだよ……。

◇◇◇

!?

秘匿回線!?

――宗像大尉!?

『黒須!! キミは何をやっている! 撤収後、私の所に来い!!』

取り付く島さえない宗像大尉の罵声。

それがオレに冷静さを取り戻してくれていた――。

第十二章

戦術機母艦 大隅級戦術機揚陸艦 能登 士官個室

オレはドアを二度ノックした。

「黒須中尉です」

「――入れ」

「失礼します」

中には、不機嫌さを隠そうともしない宗像大尉がいた。

「キミは何故ここに呼ばれたかわかっているか?」

「――エレーナのことですね?」

「そうだ。ロシア人はキミの管轄だ。わかっているじゃないか」

「……」

「わかっているなら、何も言う事はない。キミが行うべき事は、キミが一番理解しているはずだ。そして、その事はキミにしかできない。――キミにはその権利があるし、その資格がある。そう、香月副指令はおっしゃっていた」

「夕呼先生が?」

「そうだ。――そして、これは私見だが――彼女はキミにそうされる事を望んでいる。違うか? 黒須中尉」

「それは――」

「そういうことだ。話はこれで終わりだ。帰っていいぞ」

そうだ、この際だ。

宗像大尉はオレの内情を薄々感づいているはずだ。

本人がとぼけているだけで、何か思うところもあるはず。

オレ自身の事について、聞いてみるのも良いかもしれない。

「……なんだ、どうした?」

「宗像大尉、大尉は――オレをどう見ますか? オレはそんな大層な人間でしょうか」

部屋を沈黙が支配した。

「何を言い出すかと思えば。

――今から私が言う事は、独り言だ。私の夢想癖は有名だからな――。

この世界の住人ではないキミは、キミの元居た世界に返ろうとしないばかりか、むしろこの世界での生活を第一に考えているようだ。

私が君の立場であれば、真っ先に元の世界へ帰ろうとするだろう。

しかし、キミにはそれが、ない。

その理由を私は知らないが、キミはこの世界に多大なる興味というか、この世界で生きる意味を見何出しているように思える。

そして、その目的を追うことに自分を満足させているようだ。

もちろん、私達この世界の住人はBETAという強大な敵と戦っている以上、多少の問題はあるとはいえキミのように有望な衛士が仲間である事はとても喜ばしい事実だ。

私としてはキミを失いたくない。

キミにこの世界から立ち去って欲しくないんだ。

――だが。キミ自身にとって、この世界に留まり続ける、という事実はどういう意味を持っているのだろうか。

このことを考えたとき、私はとてもキミに興味がある。

なぜ、キミはここにいるのか。その答えが、キミを次の段階へと導くだろう」

「――オレは――オレがこの世界を気に入っている? そういうことなのですか?」

「キミがこの世界にこだわる理由だよ」

かつてこの世界を訪れただろう白銀の雄姿が垣間見えた気がした。

英雄だというアイツ。

バルジャーノンで、一度も勝利を掴ませてくれないアイツ。

オレは、オレはアイツにだけは――!

「――白銀。オレは、白銀にだけは負けたくない」

「――白銀? 白銀をキミは知っているのか? 面識があったとは意外だな」

「オレとアイツ、白銀は同じ学校で、同じ教室で、同じ学級で学ぶクラスメイトです」

「ああ、キミの世界の話なのだな」

「? ――待て。――そうか、そうだったのか……それならあの奇妙な白銀の行動や言動にも納得がいく――」

「ええ、白銀は――」

「待て黒須。その先を言うな。――この前話しただろう? 私は小心者なのだと。私に独り言を言わせてくれ。

――キミは、黒須勇海は白銀武という男に対抗心を持っているのだろう?

そうだ、それなら納得がいく。キミを見る鑑の態度も頷ける。

白銀がキミのことを意識していたかどうかはわからない。

だが、キミは白銀にいかなる理由からか、常日頃から対抗心を燃やしていた。

そんなある日、白銀が英雄となっている世界に足を踏み入れる。当然キミは――!?

き、キミは――そ、そうなのか!? キミは――それを望んでいるのか!?」

「オレは一度たりともアイツに勝ったことがない。オレは、白銀に勝ちたい。オレはアイツにオレを認めさせたい!」

宗像大尉は、その透き通るような目でオレの目を覗き込みつつ、厳かに告げた。

「――黒須、キミの歩むべき道は、修羅の道だ。

BETAと同胞の血でキミの体は真っ赤に染まるだろう。

キミは仲間の、友人の、恋人の、そして私の心と命すらも! ――道具として使いこなす必要があるのだ。

黒須、キミにそれが耐えられるのか? その覚悟があるのか!? ――いや、あるのだろうな。普段のキミを見ていればおのずとわかる」

「オレは――」

「キミの望みは理解できる。そしてキミがそれを叶えるであろうことも。

――人類の勝利のため、キミとともに歩めることを誇りに思う。これからも、よろしく頼む」

「宗像大尉……」

「――ふふふ、なにも言わずに早く部屋から出て行け。惚れてしまいそうだ。キミの望みが叶うこと、私も祈ることにしよう」

◇◇◇

宗像大尉の言う覚悟とやらが自分にあるとは到底思えない。

それに、元の世界に帰れるのであれば帰りたい。

だけど――。

え!?

『だけど』って、どういうことだ――?

◇◇◇

2002年 2月12日火曜日

夕食後、オレは夕呼先生の部屋を訪ねていた。

「夕呼先生、エレーナ、あれはどういうことです?」

「黒須。彼女から目を離さないようにって言ったでしょ?」

「あるじゃまるで殺戮機械じゃないですか!!」

「そうよ?」

「そうよ……って……」

「彼女、エレーナ少尉はね、ありていに言えばソビエト連邦の科学者達が作り上げた、戦闘用の人造人間なの。だからあれが彼女の正常な姿よ? それがどうかした?」

「な!?」

「彼女はね、彼女にとって大切なものを守るために戦っているの。そう、刷り込みを受けているのよ」

「刷り込みって……」

「記憶を操作されてるのよ」

なんだよ、そんなフィクションみたいな話……。

嫌な予感が過ぎる。

「……も、もしかして、その対象と言うのは……」

「全部言わせるつもり? あなた、バカじゃなかったのよね?」

エレーナの保護対象、それは……オレのこと、かよ……。

「オレ、……ですよね」

「そ。そ・う・言・う・こ・と」

夕呼先生はあっさりと認めた。

「これで、あなたは死ねなくなったわね。彼女、あなたが死ねば間違いなく死のうとするわよ? エレーナの大切なあなたが、ね」

心臓の鼓動が一段と高鳴ったのを聞いた。

なんだと?

そうか、だんだん読めてきた。

エレーナを廻る一連の出来事のカラクリが。

戦闘機械がいくら優秀でも、廃人となった戦闘機械は用済み、って言うことかよ。

以前の「エレーナの大切な人」は、きっと命を落としたんだ。

ソ連から、そんな廃人状態のエレーナをこの人はせしめて。

……始めからこの人はオレをそのつもりで!

……エレーナに、オレが認識対象物として刷り込まれている事を知ってて――!

どれだけ外道なんだよ! 先生!

「黒須、あなたは『エレーナから目を離さないで』。わかったわね!?」

「……了解」

畜生め。

◇◇◇

「……黒須さん……」

「社、お前も知っていたんだな?」

「……ごめんなさい……」

「社、お前は!」

「……ごめんなさい……ごめんなさい……」

クソ、なんなんだよ!

これじゃあまるで、オレの方が悪者じゃないか!

◇◇◇

2002年 2月13日 水曜日

「おきろー! 朝ダゾー!」

ゆさゆさ

「……」

「はい! 霞ちゃん、やってみる!」

「おきろー……あさだぞー……」

ゆさゆさ

「……」

「あはは……霞ちゃん、優しすぎだよ。うん、もっと元気よくやらないと」

「おきろー……あさだぞー……」

ゆさゆさ

「……」

「あはは……」

「あー。ダメダメ。こうするんだー。霞ちゃん、ちゃんと見ててね?」

「はい……」

「イサミちゃん! 朝だってば!」

ゆさゆさ

「……」

「……う……マリー……ナ……?」

「あ。起きちゃった。おはよ! イサミちゃん」

「う、う、おはよう、エレーナ。珍しいな」

「へっへーん! 二人が入っていくのを見たんだよ」

二人? ああ、社と鑑か。

「うしし、起きた起きた! おっはよー! 黒須君」

「う、おはよう、鑑」

「おはようございます……黒須さん」

「社。お前もか。おはよう。そうか、みんなで起しに来てくれたんだな」

こいつら……なんなんだ、朝から……じゃない、これはこれで幸せなのかもしれないな。

この破滅しか残されていない世界では。

何があっても普通に振舞えるこいつらの存在はありがたいと思う。

――その裏にどんな暗い事情があろうとも――。

しかし、エレーナのやつ。

見たところ、今朝は普通だな。

「さ、ご飯いこいこ!!」

エレーナが走ってPXに向かおうとしていた。

鑑もそれに習おうとしていたのをちょっと捕まえる。

「なあ、鑑?」

「わ!? な、なになに! 黒須君」

「あのさ、あれから、エレーナあんな調子で普通なのか?」

「あ……うん、いつもと同じだよ。……黒須君……心配だよね」

「ああ――。ま、悪い、朝からへんなこと聞いたな」

「ううん? いいよ。全然」

「ごーはーんー!」

通路の向こうからエレーナが叫んでいる。

あいつは子供か?!

「行こう、黒須君、霞ちゃん」」

「ああ、そうしよう。社、行くぞ」

「……はい……!」

◇◇◇

エレーナは訓練中、特におかしな様子は見せなかった。

いつもどうりの、ただのバカ。

オレの知るところのエレーナだった。

――でも、それはそれで心配だ。

第十三章

2002年 2月 14日 木曜日

変だな。

今日はだれも起しに来なかった。

――いや、それが普通だって!

◇◇◇

「黒須君、黒須君」

呼び止める声にオレは立ち止まる。

それは鑑だった。

「鑑?」

「手を出して?」

なんだ?

「はい。これあげる」

オレの掌に、何か硬いものが押し付けられた。

「義理だからね、義・理!」

義理?

なんのことだ?

オレは視線を下げて、、掌の中のものを見る。

黄金色の、黄金飴……。

久しぶりに見たような気がする。

「チョコレートなんて、こっちの世界じゃ、とてもじゃないけど手に入らないから! 黒須君のいた世界では、二月十四日はこうやって女の子が男の子に贈り物をする日なんでしょ?」

ああ、二月十四日。

今日はバレンタインデーか。

そんな日もあったな。

すっかり忘れてたよ。

「あ、ああ。もらえない男子のほうが圧倒的に多いけどな」

「あはは!」

「ありがとう、鑑。ありがとな!」

「どういたしまして。明日からもまた頑張ろうね!」

「ああ。おやすみ」

「おやすみー!」

元の、世界、か――。

今頃みんな、何をしてるのかな。

◇◇◇

くい、くい。

くい、くい。

「ん?」

「……」

社だった。

「社、お前もか」

コクリ。

肯定の仕草だ。

「……バレンタインはプレゼントの日です」

「くれるのか?」

「……はい」

「ありがとな」

「……本命です」

「!?」

なんだと!?

「……本命です」

意味がわかって言っているのだろうか?

「……私、負けません」

「え!?」

社は返事も聞かずトトト、と立ち去ってゆく。

……。

袋の中を開けてみた。

――黄金色の黄金飴だった。

◇◇◇

エレーナがやってきた。

――なんだか朝から忙しい日だな――。

「イサミちゃん、ヴァレンタインデーおめでとう」

エレーナは一枚のカードをくれた。

「恥ずかしいから、後で見て!」

「カード?」

「日本じゃどうか知らないけれど、ロシアでは贈り物をする日なんだよ? メッセージカードなんか、人気だよ!」

そうなのか。

オレがその場で見ようとすると……。

「ダメ! 後で見て!」

と。

釘を刺されてしまった。

◇◇◇

この横浜基地は近傍のハイヴから遠く、まさか奇襲もないだろうとオレはタカをくくっていて。

991警報がいきなり発令されて。

今日はなんでもない、対人模擬訓練だったはずなのだ。

鑑が参加しない他は、いつもと一緒。

そのはずだった。

「あれ? エレーナ、鑑知らないか?」

「え? 純夏ちゃんなら香月博士に用があるんだって」

「先生が? ――そうなんだ」

「うん」

特に何があるとも思わなかった。

◇◇◇

その日はエレーナと組んだ。相手は咲夜と鋼のおっちゃん。

「少年! もらったぁあああああ!」

と、ややお約束気味の台詞を聞きながら相手をした。

鋼のおっちゃんは強かった。

エレーナと二人掛かりでやっつけた。

そして咲夜だ。

咲夜の執拗な斬撃を切り抜け、懐に飛び込んでの36mm連射。

『――月環機、胸部被弾、被害甚大、大破。撃墜と認定――状況終了』

はー、咲夜のやつ、やけに粘りやがって。

今のはかなり焦った。

『――状況終了、全機基地に帰投せ――!?』

突如、サイレンが鳴り響いた。なんだ?

『――991警報発令! 991警報発令! これは訓練ではない、繰り返す、これは訓練ではない。全戦術機部隊は出撃準備に掛かれ』

BETAだと?! どうして! ありえないだろ!?

『――ヴァルキリー01より中隊各機へ。こちら宗像だ! 各機ローカルリンクを繋げ! また、直ちに横浜基地に撤退し推進剤の補給と実弾の装備を行うんだ! 急げ!』

『『『『「了解」』』』』

って!

オレの目の前に――――要撃級!!

BETAだと!?

もうこんなところに!!

そして、奴は腕を振りかぶる。

避けないと!

『――イサミちゃん!!』

エレーナの声。

この声と共に、視界が赤黒く染まった。

エレーナの駆る不知火が短刀を握っている。

それを、かの要撃級に切り下ろしたのだ。

その半ばめり込んだ短刀は、要撃級の分厚い皮膚組織を内部組織ごと切り裂いている。

要撃級が地に落ちた。

『――イサミちゃん、イサミちゃん、イサミちゃん!!』

「落ち着け、エレーナ、オレは大丈夫だ――」

『――本当? 本当かな? 本当だよね!?』

「ああ、だから落ち着け――」

『――エレーナ! 悪いが手伝え! そなたの機体と我らの武御雷で殿を務めるぞ! 聞いていたな! 鋼!?』

『――は! 咲夜様!!』

『――わかった、咲夜ちゃん!』

「だけど――お前ら」

『――なにを言っている! イサミ、早く我らのために武器を取って来るのだ!』

『――殿は慣れている! なんの問題もない! いつものことだ!!』

『――そういうことだ、少年。我ら斯衛、このような時のためにおるのだ! ここは任せ往け』

『――イサミちゃん、また後でねー!』

そういいつつ、咲夜を先頭に三機はBETAに格闘戦を挑んでいった。

「わかった、待ってろよ!?」

オレは跳躍ユニットに点火し、匍匐飛行を開始しようと――。

BETAの数は多くはない。

多くはない。

『――991警報発令! 991警報発令! 新たなBETA群を確認! 新たな――』

――!?

増援!?

『――バカな! いったいどこから!? イサミ!! 4時方向!?』

咲夜の叫ぶ声が聞こえた。

『――ダメ! イサミちゃん、――避けて!!!』

エレーナの悲痛な祈りの声も。

そして、振り向いたオレの目の前に、突撃級が肉薄していて――。

オレはしくじった。

轟音。

横殴りの衝撃。

そして沈黙。

真っ暗な空間で、かすかに通信だけが聞こえてくる。

『――こちらヴァルキリー01、宗像だ!! ヴァルキリー09! 黒須! 黒須中尉、応答しろ!』

『――バイタルモニター切断されています!』

『――祷子、黒須の機体のコントロールを奪え!!』

『――美冴さん、ダメです、全て受け付けません!!』

『――せ、戦車級が次々に……黒須……』

『――強制射出させろ!』

『――ダメです、同じくコード受け付けません!!』

『――繰り返せ!!』

『――さっきからやってます!!』

死が、迫っていた。

コントロールは死んでいる。

脱出?

だめだめ。

きっとフレームが歪んでるって。

『――……あれでは……もう……』

『――い、嫌、イサミ、イ、…サ…ミ…ちゃ……いやぁあああああああああ! 嫌! 嫌!!』

エレーナの絶叫が耳を打つ。

エレーナ、それほどまでにオレのことを。

いや、お前の偽の記憶がそうさせるのか?

お前のオレへの想いも、この世界では作り物なのにな。

――この世界でも、オレはお前に――。

『――止めろ、エレーナ! 行くな!! 行ってくれるな、頼む!!』

聞いたこともないような咲夜の叫び声。

咲夜。

――お前、どんな気持ちでそれを言ってるんだろうな。

『嫌、いあぁ、わたしからイサミちゃんを取るなぁ!!』

!?

……エレーナ……。

そして聞こえる租借音と金属を打つ打撃音。

ああ、形ある赤い死が、迎えに来るのか。

――この世界で、結局なにもできないまま――終わるらしい。

――白銀、笑えよ。

体の痛みと、薄れゆく意識の中、さまざまな声が聞こえてきて――。

やがて、それも、オレの意識とともに途切れた――。

◇◇◇

♪おおきな ふくろを かたにかけ だいこくさまが きかかると
ここに いなばの しろうさぎ かわを むかれて あかはだか

♪だいこくさまは あわれがり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれと よくよく おしえてやりました

♪だいこくさまの いうとおり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれば うさぎは もとの しろうさぎ

♪だいこくさまは だれだろう おおくにぬしの みこととて
くにをひらきて よのひとを たすけなされた かみさまよ

(大黒様 作詞 石原和三郎 著作権の切れた作品)

(イサミ)「あー、エレーナ、なんだよそれ!」

(エレーナ)「ウサギだよ。シロウサギなんだー」

(イサミ)「それ、そんな大きなウサギ、売ってあったのか? どうしたんだ?」

(エレーナ)「おとうさんとお母さんが交代で作ってくれたんだって!」

(イサミ)「おまえのおとうさんとおかあさん、とっても忙しいんだよな?」

(エレーナ)「うん……。だから、とっても大切にするんだー」

(イサミ)「よかったなー」

(エレーナ)「うんうん!」

(イサミ)「でも、そんな大切なもの、どうしてこんなところに持ってきたんだ?」

(エレーナ)「イサミちゃんに真っ先に見てもらおうと思ったんだよぅ」

(イサミ)「そうなのかー」

(エレーナ)「うん。だって、だいこくさまはシロウサギを助けてくれるんだよね?」

(イサミ)「えー? それ、どういう意味だよ?」

(エレーナ)「わかんない」

(イサミ)「わかんないー? エレーナ、お前が言ったんだぞ?」

(エレーナ)「うん。でも、わかんない。おとうさんとおかあさんに、だいこくさまのおうたと、イサミちゃんのはなしをしたら、ウサギ作ってくれたんだよぅ」

(イサミ)「そうなのか! よくわからないけどよかったな!」

(エレーナ)「うん! よくわからないけど、本当によかったー!」

◇◇◇

光だ。なんだろう。明るい光――。

懐かしい、とても懐かしい夢を見ていたような気がする――。

!?

突如として眩しい光に包まれた。

「起きなさい!! 早く!! あんた、死ぬなって言ったでしょ?!」

――だれだ?

「……ここは……」

「黒須! どう責任とってくれるのよ!?」

「……夕呼先生……?」

――何をそんなに慌てているんだよ?

◇◇◇

「あんたのせいよ!?」

夕呼先生の悲痛な表情。

こんな顔は見た事がない。

――いったい、なにが――。

◇◇◇

大破した戦術機の中に彼女はいた。

「?!」

なにか、場違いな……そう、それでいて懐かしい響きの唄が聞こえる――。

「……大黒様が……きかかると……ここに……因幡の……白兎……皮を剥かれて……赤裸……」

――な!?

「ま、エレーナ!!」

「……大黒さ……殺す……殺してやる……絶対に殺す……許さない……返して……わたしの、わたしのイサミちゃんを……返して……」

――エレーナが、エレーナが、エレーナが!!

オレの頭は事実を認識することを拒否していた。

「エレーナ!!」

「黒須。あなたに任せるわ」

手に重いものが押し付けられた。

ズシリと重いもの。鋼の、塊。人を殺すための――道具。

――オレを冷静に一気に引き戻した理由。

「!? ――これは?!」

「彼女を見て。黒須!! しっかり見なさい!!」

血に赤々と染まった、真紅の肌のエレーナ。

小刻みに震えているエレーナ。

両の目は虚空を泳ぎ。

血の泡を吹きながら。

呪詛を吐き続ける――エレーナ。

その四肢は、あらぬ方向に曲がっていて――。

――嘘、だ。

――こんなことがあって良いはずがない。

――そうだ、これは――夢?

「なにボヤボヤしてるの! 早く楽にしてあげなさい」

!?

オレは現実に引き戻される。

エレーナ。

そんな――先生、あんたはいったい何を言って――オレは――できないって!

例えこんな姿になっていても、エレーナを撃つことなんてできるものか!

オレに、撃てるわけがない!!

……。

「落ち着きなさい!!」

先生の罵声が飛んだ。

……。

「黒須、覚悟はある?」

冷え切った声だった。

「?」

「私と一緒に、地獄に落ちる覚悟よ」

とても冷たい声だった。

「……」

「彼女、救いたいんでしょ? もう一度、笑顔を見たくはない?」

とてもとても冷え切っていて、それでいて甘い言葉。

先生が恐ろしくて、とても振り向くことなどできない。

でも、僅かな希望を見出したような気がして――。

オレはその言葉を噛み締めた。

――エレーナが、もう一度笑ってくれるなら。

「……救えるんですか?」

そして、期待を込めて聞き返す。

その結果が意味するものを知っているくせに。

先生が、笑った気がした。

「止めて!」

?!

――鑑だ。

なんだ、鑑もここにいたのか。

黙っていた鑑が大声を張り上げていた。

「止めて! 先生止めて! こんなの、こんなの私だけで充分!! わたし、わたしもっと頑張るから! 頑張るから、――彼女を、エレーナちゃんを、楽に死なせてあげて!!」

「鑑! アンタは黙ってなさい!! ――どうなの、黒須」

鑑の懇願が、オレの頭をより冷静にする。

「エレーナは、もう一度笑えますか?」

「……二度目だもの。可能性は高いわね」

「オレはエレーナを救いたい――でも、」

「アンタがエレーナを救うわ。そしてアンタとエレーナは人類を救える――」

「みんなを救うために――このふざけた世界を終わらせるために! 本当に必要なことですよね!?」

オレは、嘘をつこうとしている。

「――当然よ。当たり前じゃない」

先生の目に嘘はない。

オレは、オレの僅かの欺瞞のために、愛するものを、オレの大切なものを貶めようとしている。

「ダメ、……黒須君、それだけは絶対にダメ……」

「鑑、お前もわかるはずだ。白銀も間違いなくそれを望むだろう」

「そんな……」

「オレたちは例え自分自身が、大切なものが、愛するものがどうなっても、BETAを滅ぼす礎とならなきゃいけない。犠牲は、オレたちだけで充分だ。そうだろ?!」

嘘で塗り固めた、嘘。

この世界の黒須なら、言ったかもしれない、嘘。

「ちがう、ちがうの……黒須君……そうじゃない……そうじゃないの!!」

鑑、呪ってくれていい。

「大丈夫だ。オレたちは、オレもお前も、エレーナも、行き着くところは同じだ。――そうだろ? 先生」

鑑、罵ってくれていい。

「……黒須君……」

「ああ、オレたちだけで、こんな事はもう充分だ」

オレは銃を先生に返した。

そうさ。これで良い。

これで、きっと先生は――。

これはそのための儀式。

悪魔に魂を売る、オレのための儀式なのだから。

「待たせてごめんなさい、先生。手遅れにならないうちに、――全てを――頼みます」

先生は悪くない。

オレに、断る理由なんて。

本当はないんだ。

それをオレのためだけに、この場を。

そして、この時間を作ってくれた。

「……わかったわ。――いつか、地獄で会いましょう」

先生のその顔は――この世界で見る、初めての本気の顔だった。

……。

これで、みんなが自分自身の事を気に病む事はない。

よし、大丈夫だ。

ああ。

そうさ。

エレーナ。

――オレは――オレは――。

もう一度、お前の笑顔が見たいよ。

それが、たとえ作り物であったとしても。

啜り泣きが聞こえる。

誰も居なくなった格納庫で、……鑑が、声を殺して泣いていた――。

オレには、そんな鑑に声をかける資格なんて、これっぽっちも、ない。

「……の、……のせいなの、だってBETAは……」

◇◇◇

オレは、自室で泣き崩れていた。

オレは――弱い。

この世界で生きる資格もない。

なのに、生かされ続ける。

この世界の、おそらく強かったであろうオレは、とっくの昔に死んでいて。

この世界のエレーナに向こうの世界のエレーナを重ねて。

この世界でもエレーナを追い込んで。

白銀を失った鑑に八つ当たりして。

白銀、お前は本当に、この地獄を生き残ったって言うのか? お前は、凄いやつだよ――。

オレは、最低だ。

――そうだ、今朝エレーナから貰ったメッセージカード。

机の上に無造作に投げ置いていたそれに目を通す。

……。

――畜生!

オレは! オレは!

『好き好き大好き』

――!?

オレは、あいつに、エレーナに何をしてやれたと言うんだ!

たった七文字の、それでいてエレーナの心からの言葉。

――オレは、それに応えることができなかった。

第十四章

2002年 2月 15日 金曜日

「黒須さんは、強い人です……」

「黒須さんは、優しい人です……」

「黒須さんは、いい人です。ね……」

……社、か?

◇◇◇

ゆさゆさ

「……」

ゆさゆさ

「……」

ゆさゆさ

「……」

ゆさゆ……

「や……し……ろ……?」

社の顔があった。

「おはようございます……」

扉の前に、鑑の姿があった。

「おはよう、黒須君」

「……おはよう、鑑」

「眠れた? 黒須君」

「……いいや」

「黒須君は頑張ったよ。タケルちゃんもね、精一杯頑張ったんだよ。頑張って頑張って――とにかく精一杯だったんだよ!」

社が大声に驚いている。

「あ……」

「だから、気にしないで。大丈夫だよ。黒須君。――そして――ごめんね」

不安がる社を抱きかかえながら、鑑はそうオレに言うんだ。

良くわかんねぇよ、鑑。

わかんねぇ、って。

ああ、白銀、お前の気持ちが少しわかった気がする。

オレたち、似てるのかもな。

ある意味。

◇◇◇

「つれてきてくれたようね、鑑」

「はい、先生」

……。

言われなくてもわかる。

成功、したのだ。――二号機の製作が。

「黒須」

「はい」

「もう一つの、00ユニットも、あなたに任せるわ。いいわね?」

「はい」

「社、二号機を持ってきて」

「はい……」

「無事、完成したのですね――」

「そうよ? 黒須。――私の読みは当たったわ。エレーナはね、またも世界にとって最良の未来を選択したのよ」

◇◇◇

「あはは、あはは、イサミちゃん、イサミちゃん、…………どこ? どこ? どこーーーーー!?」

――とても見ては居られない。

エレーナの姿をしていた。

エレーナの声だった。

――だから、なんだ? なんだというんだ。

「なんなんですか、これ」

「落ち着かないのよねー。かなり混乱しちゃってるみたいでさ」

「こんなので、どうしようと言うのです」

オレはイラついていた。

理由はよくわからない。

「手はあるわ。そしてそれは、あなたにしか実行できないことなの」

「オレに?」

オレは苛立ちが顔に出ていたのかも知れない。

夕呼先生が少し優しかった。

「まぁまぁ、いいから。黒須。特別任務よ。エレーナを救うために、あなたに一肌脱いでもらうわ――いいわね?」

イライラだけが募っていいく――。

第十五章

◇◇◇ 黄河沙を数えるもの ◇◇◇

「な、なんですかこの機械――!?」

「時空転移装置――とでも呼べばいいのかしら」

オレはこのとき、すでに正常な判断はできなくなっていたのかもしれない。

オレはバカだった。

そう。バカ過ぎた。

◇◇◇

「オレの世界の夕呼先生と話すんですか?」

「そうよ? これを渡してね、返事をもらってきて。そのお遣いがあなたの任務」

「向こうの世界での行動に制限はないから、好き勝手やってもらっていいわよ?」

――冷静に考えれば、これほどおかしな命令はなかった。

そんなことにも疑問を持たず。

かくして、オレは時空の旅人となる。

◇◇◇

――ここは、どこだ?

オレの、オレの部屋?!

――本当に戻ってきたというのか!?

軽快な足音が近づいてきた。

「イサミちゃーん! 朝だ……よ? あれ? 起きてる」

「え? エレーナ、イサミったら起きてるんだ。珍しいわね」

エレーナ……。良かった。良かった。エレーナ、生きて……。

オレは寝台から飛び起きると、ドアを開けて入ってきたエレーナを力の限り抱きしめた。

「きゃっ」

「え? イサミ……」

咲夜が呆然としている。

エレーナの方もいきなりの事に声も出ないようだ。

「イサミ、ちゃん、嬉しいけど、時間あんまりないよ?」

「イサミ!そうよ、遅刻するわよ?!」

◇◇◇

「まーったく、朝からいきなり泣いてエレーナに抱きつくんだもの。びっくりしちゃった」

「イサミちゃん、本当に大丈夫?」

「まったく、イサミってエレーナのこと、そんなに好きなんだ、そうなんだ!?」

「あはは。咲夜ちゃん、ごめんね」

「どうしてエレーナが謝るのよ。まったく、これだからイサミ……イ…サ……?」

「「?」」

「どうした? 咲夜」

「え!?」

咲夜は急に、驚いたような目でオレを見る。

「どうしたの? 咲夜ちゃん」

「エレーナ、あの、その、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」

エレーナの袖を引いて何事か囁く咲夜。

怪しすぎる。

「おいおい咲夜、お前また妙なこと企んでないだろうな?!」

咲夜がオレとエレーナを交互に見る……。

「幼な、馴染み……? エレーナと私と……え?!」

咲夜の顔が曇る。

「私が、イサミ……君を……好き? ……イサ……ミ?」

見たこともないような不安そうな顔。

そしてエレーナとまたヒソヒソ話。

「おい、いい加減にしろ、咲夜!!」

咲夜が遂に怯えたように、口を開く。

「すみません、あなた、誰ですか? 初対面、ですよね……? イサミって、あなたのお名前ですか?」

……は?

「おいおい、咲夜。今度はなんの遊びだよ」

オレが詰め寄ると、咲夜がじりじりと下がる。

「い、嫌、怖い、怖い、あなた、誰!? ――助けて! エレーナ! 助けて!!」

「咲夜ちゃん! しっかり!」

「咲夜!」

「嫌ぁ! あなた誰、どうして私を知ってるの、嫌、嫌、嫌!!!」

「咲夜ちゃん、落ち着いて、イサミちゃんは、私たちの幼馴染で、幼稚園も、小学校も、中学校も、ずっとずっと一緒で、なんでも一緒やってきたじゃない。例えば――。例えば――。あ、あれ? 思い出せな……い……?」

「エレーナ? 冗談よせよ、お前まで……咲夜やエレーナだからって、いくらなんでも今朝はちょっとふざけ過ぎだろ? いつも悪ふざけしてるけどさ、あんまりだろ? な?」

エレーナが、オレを見ている。

ただ、ぽかん、と口を開けて見ている。

「……」

「エレーナ? おい、何の冗談だよ、止めろよ」

「……?」

「エレーナ?」

エレーナは咲夜に向き直ると、手を引いて足早にその場を去ろうとする。

「おい、エレーナ! って、咲夜!?」

オレが手を伸ばすと、エレーナが脱兎のごとく駆け出した。

なんだと!?

「咲夜ちゃんも早く!!」

「待ってエレーナ、置いていかないで!!」

「おい、お前ら!!」

「早く! 走って! 咲夜ちゃん!!」

エレーナの咲夜を呼ぶ声は本物で。

刺すような視線はオレに向けられていて。

そんな目、オレに向けられたのは初めてだった。

――なんだって言うんだよ――。

◇◇◇

「おはよう、黒須君」

「あ、まりもちゃん」

「まりもちゃん、じゃないでしょう? 神宮司先生!!」

「あ、そうだ。あのさ、オレ、エレーナや咲夜に酷いことしたのかな? 先生、何か心当たりある?」

「え? ……そうねぇ。あなた達は特に仲がいいみたいだから。気にする事はないんじゃない? 多少の山や谷があっても、どうって事もないでしょ? 先生はそう思うわ」

「そんなものかな。オレ、鈍いって自覚はある。だから、気づいてないだけなんじゃないかって」

「わかったわ。私が、一言、それとなく話をしておく。だから、しっかりしなさい!男でしょ?」

「わかったよ、まりもちゃん」

「もう、神宮司先生でしょ!?」

◇◇◇

夕呼先生はやっぱり夕呼先生だった。

オレがこんな話をしても、まったく動じた素振りもない。

「へ? 黒須。あんた、たまには面白いこと言うじゃない」

「たまにはって、先生」

「まぁまぁ、でも、わたしの因果律量子論を実証するなんてねぇ。さすがあたし。天才よねぇ――いいわ。ちょっと時間もらえる? そうね、明後日……いえ、明日にはお返事返せると思うわ」

「え? 信用してくれるんですか?」

「あったりまえじゃない。私は天才なんだから。そのくらいわかるわよ。――じゃ、ここから出て行ってね」

「え?」

「さー、俄然やる気が出てきたわ――仕事仕事!」

◇◇◇

「あはは、イサミ……ちゃん、今朝はゴメンね」

「エレーナ。やっぱり冗談だったんだ、今朝のこと」

「え? ……今朝? ……ああ、うんうん、ごめんなさい」

「エレーナ、帰ろうぜ?」

「え? ……うん、あ、黒須君もわたしの家と同じ方向だっけ?」

「は? エレーナ? ……また、どうかしたのか?」

「え? また? ……」

「エレーナ?」

「帰ろう?」

「……え? わたしと、帰るの?」

「おい、おい、エレーナ!?」

「……ご、ゴメン! ごめんなさい!!」

脱兎のごとく駆け出したエレーナ。

って、いったいなんなんだよ、あいつ!!

咲夜を探したけど、あいつも居なかった。

榊の話では、咲夜はとっくに帰ったそうだ。

◇◇◇

オレは呆然として、ベッドに横たわっていた。

時刻は20時。

階段を上ってくる音がする。

ノックが二つ。

「イサミちゃん……?」

エレーナか。

なんだよ、こんな時間に。

「なんだよ?」

「イサミちゃん……」

「どうした?」

「え……?」

おかしい。またしてもエレーナの様子がおかしい。

エレーナは、握り締めていた封筒から紙と写真の束を取り出し、なにやらその紙に書かれた文字を読んでいるようだ。

そして時々、オレの顔と写真の束を比べる……。

「イサミ……ちゃん」

「エレーナ?」

「イサミちゃん、わたし、わたし……おかしいの! イサミちゃんのこと、何にも覚えてないの! イサミちゃんのこと好きなのに、好きって思わないときがあるの! ごめん、ごめん、本当にごめんなさい! わたし、何がなんだかわからないの! でも、でも、わたし――」

「?」

「イサミ――ちゃん――という人を――そう、――たぶん――あなたを――好き――らしい――の――ねぇ、教えて? それは、本当のことなのかな……?」

「……エレーナ、お前……」

「本当……なんだ……わたし、わたしに嘘をついてないんだよね? ――そうだよ、ね」

エレーナは、オレの目の前に写真と紙を置いた。

オレとエレーナが笑顔で写ってる写真が数枚。――それに、エレーナ直筆のメモ。

『この写真の人は、黒須勇海といって、わたしの幼馴染で、わたしが世界で一番好きな人です。何があっても、どんな辛いことがあっても、この世界が滅んでも、わたしはイサミちゃんが好きです! 絶対絶対、一緒に居るんだ!! なにがあっても、絶対絶対離さないんだ! イサミちゃんはわたしの大事なひと。とっても大事な人。絶対、忘れちゃいけない人なんだから!! だから、だから、忘れちゃダメ! 頑張れ、わたし!!」

「……ああ。エレーナは、嘘なんか一言もついてない。オレが保障するよ……」

「イサミ、ちゃん……わたし、こうあなたのことを、呼んでいたの、かな?」

「……ああ……」

「……?」

「……エレーナ?」

エレーナがまた写真と手紙に目を落とし、写真とオレの顔を交互に、何度も、何度も見る。

いつの間にか、床が濡れていた。

なんだ、オレ、泣いていたのか。

「エレーナ?」

「イサミ……ちゃん、わたし、もう……ううん。わたしはイサミちゃんを信じる。だって、この手紙を書いたわたしの字、とっても必死なんだもん。嘘なんか、書いてるとは思えないもん。だから、だから、イサミちゃん、って、呼んでもいいですか?」

「エレーナ……」

「黒、須、……君?」

「マリー……ナ」

「お前……」

「どうして、どうして? わたし、誰かを、とっても好きなの。でも、それが誰だか、思い出せないの。でも、どんなに好きだったのかも、わからないの。ねえ、知ってる?」

「……なんなんだよ、なんだって言うんだよ、エレーナ……」

「え? 黒須君?」

オレは、エレーナを強く抱き寄せた。

「思い出せない、のか?」

「え? え? どういうこと? 黒須君……?」

「エレーナ!」

「黒須……? 誰……?」

◇◇◇

――。

オレの中で、何かが壊れた。

気がついたらオレは、夜の街に飛び出していたのだ。

抱きしめた、強く抱きしめた感触だけが残る。

でも、胸が締め付けられる。

いまにも、どうかなってしまいそうだ。

頭がしびれて良く考えることができない。

エレーナが、なんだって?

黒須君――、だと!?

◇◇◇

いつの間にか朝。

いつの間にかオレはいつものように登校していた。

もう、授業は始まっている。

とっくの昔に始まっている。

――そして。

――時すでに、事態は始まっていた。

キィィィィイイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーン

ん? なんだ? この音は。

気になりながらも、オレは白稜の地獄坂を登る。

キィィィィイイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーン

太陽が、雲で隠れた。ずいぶん暗くなったな。

それにしても、さっきからなんだ? この金きり音は。

――そのとき、地響きと共に、目の前で何かが砕け散る轟音と、沢山の悲鳴、を――聞いた。

……。

なんだ、あれは。

それに今の音。

なんなんだよ!?

いったい何事だって言うんだ。

――あれは――。

戦術機の音に酷似して。

何が。

もしかして。

その――その――飛行機が――!?

「―――――っ――――!?」

声にならない悲鳴と、続く爆発音。

オレは走った。

走った。

校門を抜ける。

そこでオレは目にした。

ああ、やっぱり……飛行機が。

足がすくんで、動かない。

あまりのことに、オレは膝を突いていた。

校舎の壁が砕け、燃えていた。

沢山の人が倒れている。

それに、人だったモノも、たくさん転がっていた――。

絶え間ない悲鳴が聞こえる。

嗚咽が聞こえる。

助けを呼ぶ声が、溢れていた――。

どれほどの時間がたっただろう。

気がつけば、救急車やパトカーの音。

それに加えて――。

これは? この音は――ローター音!?

ヘリが降りて来る。

何機も何機も降りてきた。

在日米軍!?

オレは制止を振り切り、教室に向けて走っていた。

――行ってはいけない。

絶対に行ってはいけない。

――――見たら、何かが終わる。

確実に、終わる。

終わりの始まりを予感させるに充分な何かを、オレは見つけるために走っていた。

階段を上る。

階段を上る。

廊下を抜けて。

その先がオレの――。

無かった。

教室なんて無かった。

3-B。

そんなものは無かった。

もとより、三年生といわず、教室なんて根こそぎ持っていかれていたのだ。

「――アハハ、嘘、だよな」

オレは何かにつまずいた。

足元を見る。

――それは、人の腕の形をしていて。

でも、腕というのは普通、根元に胴体があるわけで。

散発的に銃声が聞こえる。

――戦場でもないのに。

人が死んで、その上、銃声が聞こえる?

ああ、そういうことか。

――楽に、してくれているんだな、彼らが、オレの仲間達を。

嫌な役目を押し付けて、すまない。

本当は、仲間で、友人であるオレが率先して行うべきなんだ。

オレは――何をしているんだろうな。

――こんな平和な世界で。

◇◇◇

グランウンドは臨時の救護所となっていた。

担架に載って運ばれてくる人が居た。

銀の髪が零れていた。

――ああ、エレーナか。

そうか、エレーナ、巻き込まれたんだ。

担架の運ばれる先についてゆく。

テントに一緒に入って、寝台に下ろされ、――それっきり。

――手当ても何も無い。

それっきり。

――そっか、エレーナ、運がなかったな。

きっと、もうエレーナは。

ならばせめて、オレが。

オレはエレーナの髪を救い、血に濡れた頬に手を触れた。

「――エレーナ」

「イ、サミ――ちゃん」

――!?

エレーナの口から漏れる、オレの名を呼ぶ、やさしい響きが耳を打つ。

「あは……優しい、んだ。――わたし、見る目、あった、んだぁ――最期に――よかっ――」

エレーナの、何も写していない目から、力が抜けて――。

「マリー……ナ?」

……。

それっきりだった。

どう……して? どうしてこんなことに。

オレの心は、冷めていた。

動かぬエレーナの小さな唇に口づけを重ねた。

どのくらいそうしていただろう。

静かに、瞼を閉じてやった。

「お別れは済んだ?」

聞きなれた声がする。

少し、優しい響きだった。

――背後の気配が動く。

振り向けば、予想通り。

夕呼先生が立っていた――。

「黒須。やっとあなたを見つけたわ。――来なさい。いえ、必ず来てもらうわ」

◇◇◇

ストラトスのエンジンが、馬力の限界など無いかのように、生まれてきた意義を示していた。

「――どこまで行くんですか? 先生」

「もう、どこに行っても同じよ」

先生がラジオをつけた。

『――本日未明、中国人民解放軍は、ロシア共和国と全面交戦状態にはいったとの声明を発表、これを受けてアメリカ合衆国政府は中国に向けて即時停戦・台湾開放を求めて原子力空母ジョージワシントンおよびジョン・C・ステニスを含む打撃艦隊を東シナ海に派遣することを決定――インド・ベトナム軍は中国に対し宣戦を布告――』

『――た、只今入りました情報によりますと、中国軍による核攻撃が行われた模様、ロシア側は直ちに報復攻撃を……ザ……ザ……只今、音声が乱れております。復旧まで、今しばらくお待ちいただけるよう――』

「な、なんです? これ――」

「現実よ。平和って、脆いわね」

「う、嘘ですよね? 何かのドラマなんでしょ?」

「こんなバカな……」

「――そうね。おおむね同意するわ」

「終わりの始まりね」

「核の応酬って、――そんな」

「あなた、自分が関係ないとでも思ってるの?」

「え?」

「あなたは因果導体なのよ」

「え?」

「この惨状はね、あなたの存在が引き起こしたのよ。向こうの世界では戦争してるのよね? すっごく多くの人が死んでるんでしょ? どうなのよ? 思い当たる節があった? そう――あなたが、世界を橋渡しして、破滅をこの世界に引き込んでいるのよ。――それも、ものすごい勢いでね」

「そんな」

「そう、黒須、あなた何も知らないのね――」

「……」

――そう、おそらくオレは、何も知らない――。

でも、先生はオレの沈黙をそうは取ってくれなかった。

「どうして何も言わないの?」

「……え?」

「――まさか、あんた、知ってたんじゃないでしょうね?!」

「……」

「やってくれたわね!! あたしが、たしかにあたしの立場でも何でもするわよ! でもね、許せるわけないでしょ?! 許さない! 絶対に許さないわ。――あんたには、そしてあたしにも、地獄を見せてあげるんだから、――覚悟しなさい」

「……」

「あんた、わたしが送ってあげるから、元の世界に返りなさい。いえ、帰ってもらうわ!」

「でも、どうやって」

「あたしにできて、あたしが出来ない分けないのよ。あたしは、天才なんだから」

先生がアクセルを踏み込むと、ストラトスはそのエンジンを震わせて主人の怒りに応えていた。

◇◇◇

山の中にある、異様に巨大な建築物。

物々しい、などというレベルじゃない。

四角い、ただただ四角く聳え立つ窓一つ無い建物。

なんだここは。

対爆構造の建物……。

「核融合発電所よ――実験段階だけどね」

――核融合発電実験施設? だと?

◇◇◇

さすが平和な日本。

警備がザル過ぎる。

でも、それで助かった。

難なく潜入に成功することが出来たのだから。

◇◇◇

先生はいくつかの計器と、プレスタ2を弄っていた。

――どうしてプレスタ2?

まあ、いいけど。

――そんな状況じゃないのに、そういうつまらないことがオレの気持ちをほぐしてくれた。

「さ、準備できたわ」

「?」

「――いい? 黒須!? 必ずあなたはあの女にこれを見せなさい。そして、一分一秒でも早くあの女の世界を救うのよ。悔しいけれど、それしか方法はないの! そして、全てを終わらせた上で、あなたはあなたをその忌々しい世界に縛り付けている特異点を破壊しなさい!」

「先生――」

「さっきはあんなこと言ったけれど――わたしはあんたを信じているわ。あんたは、それでもわたしの教え子だもの」

「先生――」

「さぁ、黒須! 行きなさい。――行って救世主になるのよ! あなたなら必ずなれる。――信じてるわ!!」

夕呼先生の必死な眼差し。

代償の大きすぎた課外授業。

その教えてくれたもの、学び取ったもの。

――オレはそれを忘れない。

第十六章

2002年 2月 16日 土曜日

――う、ここは――

「大丈夫ですか、黒須さん」

「……」

「大丈夫、ですか? 辛かったですね。いっぱい、いっぱい、悲しいこと、辛いこと、ありましたね」

「……社」

「黒須さん」

「……大丈夫だ。社。――それより、先生、夕呼先生は?」

――そう。

オレはもう大丈夫。

申し合わせたようにハッチが開く。

「――ここよ。黒須。――あら。一段と男前の顔になってきたわね」

「先生」

「なによ」

「オレは――あなたを許さない。でも、あなたの気持ちや考え方を理解できる。だから、オレはあなたに協力するよ――これが、預かってきたもの。確認してくれ」

オレは夕呼先生に、預かってきた紙束を投げた。

ざっとそれに目を通す先生。

「素晴らしい――素晴らしいわ。さすが私。そう、こう考えたらよかったのね。こういう考え方もあったんだ。……へぇ。さすが私よね」

「――黒須。上出来よ。感謝するわ。――今日はゆっくり休みなさい。ああ、二号機に会ってやってちょうだい」

二号機……エレーナの。

――偽者か。

◇◇◇

そして、オレは目にした。

エレーナと寸分の狂いもなくそっくりな、エレーナの偽物を。

それでも、オレはこう、声をかけたんだ。

「エレーナ。寂しい思いをさせてすまなかった。オレは、お前の傍にいる。オレは大丈夫だ。どこにも行かない」

二号機は、その視覚端末を大きく見開いた。

「イ……サ……ミ……ちゃん……」

「オレは、もうお前を二度と離さない」

「イサミちゃん……」

「来い、エレーナ。今まで、気づいてやれなくてすまない。悪かった」

「イサミちゃん!!」

二号機は、オレの胸で泣き崩れた。

その仕草、その体温。その全てが、作り物の偽物であるはずなのに――。

◇◇◇

それが、何だと言うのか。

多少の違いがなんだ。

生きている、死んでいる。

そんなことに意味があるのか?

こいつは、エレーナは、こうして――ここにいる。

00ユニットとしてではない。

エレーナとして、ここにいる。

――オレを好きでいてくれるエレーナとして、確かな存在として、ここにいるんだ。

なんだか、泣けてきた。

オレはエレーナを抱きしめる。

そしてオレは、エレーナの自慢の銀髪を撫でた。

何度も撫でてやる。

何度も何度も。

そして安心したらしい。

エレーナである物は、幸せそうに微笑すら浮かべ。

オレの腕の中でエレーナその人として静かに寝息を立てていた。

◇◇◇

「――完璧よ、黒須」

「ありがとうございます」

「素晴らしいの一言よ。あなたを選んで、正解だったわ――あなたは私の予想以上に、事を上手く運んでくれた。感謝するわ」

!!

――なんだって!?

「先生、それって!」

「いまさら隠すことでもないし? あなたも薄々感じていたんでしょう?」

そうか。何もかもが出来過ぎだと思ったよ。

すべてはこの人が仕組んだことなんだな。

やっぱり、夕呼先生はどの世界でも夕呼先生だって事だ。

まいったよ。

「……違うと言えば、嘘になります」

完敗だ。

「正直ね」

「ははは」

乾いた笑いだと、自分で思う。

「彼女、エレーナを隣の部屋で休ませてあげて。それから、今までと同じように、女性として大切に扱ってあげるの。わかった?」

……どういうことだ?

他意は……ないの……か?

まあ、いい。今は良しとしよう。

「わかりました」

「疲れていると思うから、あなたも今日一日休みなさい。宗像には伝えておくから」

◇◇◇

「イサミ! そなた、無事だったのか。意識を失っていたと聞いたが」

「なんとかな。大きな怪我はなかったよ。心配してくれてありがとう、咲夜」

「イサミ……エレーナのこと……立派な、衛士だった。最期まで、そなたのことを……」

そうか、こいつ、エレーナが死んだと思ってるんだ。

「大丈夫だ咲夜。エレーナは助かったよ。一命を取り留めた」

「!?」

「ま、まさか――そ、そうか! 香月博士の治療が間に合ったのか! 良かった――。良かった。本当に――ああ、エレーナ――本当に良かった――」

咲夜の目が潤んでいた。

……治療、か。

「復帰まで暫くかかると思う」

「当たり前だ! いつ命を落としてもおかしくない状態だったからな! 香月博士がそなたや鑑とともに別のハンガーに収容させたとき、もしや、とは思ったが……良かった……あのあと、そなたも鑑も連絡が取れなくて……私は……」

咲夜が目に涙を湛えている。

そして、雫が零れ落ちると、止め処もなく流れ始めた。

オレは、指でそっと拭いてやる。

「……あ……」

「もう、大丈夫だ。咲夜」

「ああ!」

「オレは今日、一日休めと厳命されているんだ。咲夜は訓練だろ? 頑張ってくれ」

「ああ! そうだとも! では、行って参る! イサミ、またな!」

咲夜は涙もそのままに、通路の向こうに走り去っていった。

◇◇◇

地下19層。

オレは二号機、いや。

これは――。

いや。

彼女はエレーナだ。

オレはエレーナの寝台の横に来ていた。

「イサミ……ちゃん……夢を……見ていたんだよ?」

「どんな?」

「怖い夢」

「イサミちゃんがいなくなるの。死んじゃうの……」

「オレはここにいる」

「……うん」

「なんだかね、まだ眠いの」

「寝ると良いよ。手を握っておいてやる」

「……いいの?」

「もちろんだ」

「……うん」

……。

◇◇◇

……。

「本当に安定してるわね。前回、鑑のときは――もう、酷かったんだから」

「先生……」

「ま、黒須。あんたはよくやってくれたわ」

「教えてください――」

「なに?」

「先生は――夕呼先生は、いつまでこんなことを続けるつもりなんですか」

「なによ。つまらないことを聞くのね。――でも、いいわ。教えてあげる」

「……」

「人類がBETAに勝利し、人類に対するBETAの脅威がなくなるまでに決まってるじゃない――こんな月並みな返事でよかったかしら」

「充分です。――先生が本気であることがわかったから」

「そ」

「オレが先生のお役に立てるのは、いったい、いつまでですか?」

「もう、知ってるんじゃないの?」

「そうですよね」

――その先を知っても仕方がない。

オレはそう思うことにした。

◇◇◇

先生は、こんなことも言っていた。

「凄乃皇が組みあがったら、起動試験を行うわ。一応、一週間後を予定しているから。それまでにエレーナを使えるようにしてちょうだい。頼んだわよ、黒須」

「わかりました」

「あ、そうだ。凄乃皇の起動はBETAを引き寄せるから、そのつもりでいなさい」

◇◇◇

鑑と一言話しておきたかった。

「社、鑑は?」

「……お休み中です」

「そうか」

仕方がない。

また後日にするか。

白銀の話を少し聞いておきたかった。

「……はい」

「また来るよ」

「……おやすみなさい、黒須さん……」

第十七章

2002年 2月 18日 月曜日

「本日10:00を持って、国連軍主導による対BETA反抗作戦、甲20号作戦が発動された。A-01部隊の諸君にはこれに参加して頂く。本作戦は日本帝国軍と統一中華戦線、及び我が国連軍の合同によって行われる。本作戦の目的は甲20号目標、通称鉄原ハイヴの制圧または破壊である。本作戦の成果は日本帝国の悲願である本土に対するBETAの脅威の排除に繋がる。よって、事前情報によると、日本帝国は国の威信をかけ、ほぼ全軍を持ってこれに当る。本作戦における諸君等の任務だが、試作兵器『凄乃皇四型二号機』の護衛及びハイヴの制圧である。大変困難な任務だが諸君等の健闘を祈る」

「ピアティフ、いいわ。下がってちょうだい。ここからはあたしが説明するから」

――夕呼先生、ついにこの時が――。

「はい」

「今、ピアティフが説明した内容、あれ、いつもどうり飾りだから。これを本気で信じてる能天気な国家や地域もあるようだけど、あなたたちには関係ないから注意してちょうだい」

――は?

「ピアティフ、凄乃皇の資料出して」

「はい」

オレは正直、また大砲か何かだと思っていた。

ところが――。

「そう、佐渡島で、そしてオリジナルハイヴで大活躍し、今回もあなたたちが護衛する人類の希望。主砲に荷電粒子砲を二門搭載し、その防御力の高さは重レーザー級の照射ですら捻じ曲げ、重力制御で大空を自由に飛行する戦略航空機動要塞。それが、この凄乃皇よ!」

――で、デカイ! なんだ、このラスボス級の化け物は!

超巨大スーパーロボットじゃないか!!

それに荷電粒子砲?

重力制御!?

さすが、夕呼先生。――ありえなさすぎる。

「今回使用する凄乃皇四型の二号機は、桜花作戦で投入した一号機と違って、当初開発陣が予定していた武装を全て組み込んでいるわ。そしてさらに、脚部にS11を満載したコンテナを装着してるから、これで自爆の時もより安心ね。より美しく華々しく散れるわ。で、主武装だけど、まずは主砲。これは従来型の荷電粒子砲だけど、主機が段違いの性能向上を果たしたために、佐渡島の1.5~2.0倍の破壊力が見込めるわ。そして、遠距離制圧兵器として、2700mm電磁投射砲を二門。これはこの前の作戦であなた達が試験したやつよ。そして近距離専用に120mm電磁投射砲を機体各所に計8門搭載した。また、これは戦術機の武装の流用だけど、36mmチェーンガンをこれまた機体各所に12門。あと、多目的VLSを無数に搭載しておいた。まあ、詳しくはこれから送るデータを各自、後で目を通しておいてちょうだい」

「以上よ。わかった?」

――新たに入った隊員はもちろん、元A-01の隊員たちすら興奮を抑えきれないようだ。

「鑑少尉。そしてストレリツォーヴァ少尉。あなたたち二人にこの凄乃皇を任せるわ」

◇◇◇

「作戦は2月22日、8:00を持ってハイヴ攻撃を開始する。なお、天候の影響による作戦の変更はない。以上、各員、解散!」

「中隊、敬礼!」

宗像大尉の号令。

オレは敬礼をしつつ思う。

――どうしてこうなった――。

◇◇◇

2002年 2月 22日 金曜日

「エレーナ、鑑! 本番だ! 準備はいいか?」

『――問題ないよ、黒須君』

『――イサミちゃん、大丈夫。大丈夫だって』

◇◇◇

『――じゃ、いっくよー! エレーナちゃん!』

『――うんうん、純夏ちゃん!』

エレーナに以前見受けられた戦闘状態における荒々しさは微塵も感じ取ることができなくなっている。

00ユニットとして再構成されて、そんな刷り込みなど露と消えたのかもしれない。

まぁ、その方が都合がいいような気もする。

あえて薮をつつくこともないのかな。

そう思う。

ん? こ、これは――。

『――レーザー警報!』

「?!」

レーザー照射、大丈夫だとはわかっていても、緊張するな。

『――ちょっと、いきなり?!』

エレーナのうろたえる声が聞こえた。

『――だいじょーぶ! きっと楽勝だよ!』

『――そ、そうかな?』

『――だって、今回はエレーナちゃんがいて、私一人じゃないもの』

『――うんうん』

「レーザー照射くるぞ!!」

『――あ……れ……なんともないよ?』

『――あ……ほんとだ』

ラザフォード場によりレーザーが歪曲され後ろに流されていった。

『――うんうん。ぜんっぜん平気。ちょっとドキドキだったけど、やっぱり、二人だと違うんだね』

『――そうなの?』

『――うんうん! ……それに、寂しくないし』

『――え?』

『――あ、あはは』

『――あはははは』

『――でも、どうしてこうまで違うんだろう?』

『――純夏ちゃん、わたしたち、きっと並列処理してるからだよ』

『――?』

『――二つの量子電導脳がが同時に別々の計算をして、全体の処理速度を上げちゃってるんだと思う。だから、全体に掛かる負荷も少ないんだと思うな』

『――??』

『――こちらCP。A-02、主砲準備どうか?』

『――胸部荷電粒子砲、エネルギー充填まで25、24、23……』

『――了解、座標を送る。軸線を合わせろ!』

『『――了解』』

『――安定してるわねー。良い感じよ、二人とも!』

夕呼先生が口を挟む。

上機嫌のようだ。

『――12、11、10……』

『――軸線固定、ターゲットロックオン!』

『――狙って狙ってー!』

『――3、2、1』

『――主砲、撃てぇ!』

『『――主砲、発射ーーー!!』』

高出力の荷電粒子は一点に収束し――。

それは狙いたがわず――。

世界を白に染める――。

そしてそれは、鉄原ハイヴから地表を埋め尽くさんと湧き出ていたBETAの集団を文字通り一瞬で消し飛ばしていた。

◇◇◇

その場に展開していた多くの将兵が目撃したのは、人類に対する敵に対する神の雷そのものと言えた。

「馬鹿な……たかが一月足らずのうちに……この威力、佐渡島の比ではない!!」

あるものは戦艦信濃の艦橋で――。

「見たか、あの光……」

あるものは弾薬運搬船の甲板で――。

「あれだけいたBETAどもが跡形もなく……」

あるものは網膜に映る敵性光点を探しながら――。

「我々は、我々人類は本当に勝利を……」

――それは、皆の純粋な思いであった。

◇◇◇

『――胸部荷電粒子砲、エネルギー再充填まで212、211、210……』

『――機体各部異常なし』

「エレーナ、鑑、大丈夫か?」

『――イサミちゃんが直援で傍にいてくれたから、大丈夫だったよ』

『――あはは。エレーナちゃん、そうだったんだ』

「そうか。元気そうで何よりだ」

――全てはうまく行っている。

◇◇◇

『――こちらCP、A-02は後退しつつ、主砲発射の再準備を行え』

『『――了解』』

『――A―01はA-02を護衛しつつ、BETAの地中からの出現に備えよ』

『『『「了解」』』』

「見ろ、帝国軍が軌道上からハイヴに突入するぞ――」

「綺麗……」

「たくさんの流れ星……」

◇◇◇

『――こちらヴァルキリー01。ヴァルキリーズ! キミ達には嬉しい知らせだ。作戦の変更がある。我々はの部隊はハイヴ攻略を行わない。これより我々は突入部隊のハイヴ攻略が完了するまでの時間、この場所に留まり遅延戦闘を行う! ここが正念場だ! 凄乃皇を守りきれ!!』

『『『『「了解!」』』』』

――な、なんだ……と!?

皆の間に衝撃が走る。

時間無制限の消耗戦――生残れるのか――!?

『――補給コンテナをこの場に集めろ。BETAが来る前に各自補給を済ませるんだ』

『『『『「了解」』』』』

◇◇◇

『――CP、どうなっている! 友軍はどうした!』

『――こちらCP、ヴァルキリー・マム。現在、突入部隊との連絡途絶。A-01部隊は引き続きこの場所に留まり、遅延戦闘を継続せよ」

『――なんだと?』

『――CP、こちらヴァルキリー01。部隊の残弾が3割を切っている。補給もままならない。このままでは作戦はおぼつかない。被害がでる前に撤退を進言する』

『――こちらCP、撤退は認められない。戦略目標を確保までその場所を死守せよ。次の作戦に差し支える、との香月副指令からの仰せだ、宗像大尉』

『――こちらヴァルキリー01、了解。支援砲撃の継続と補給物資の手配を頼む』

『――こちらCP、了解。幸運を祈る』

『――こちらヴァルキリー01、感謝する』

『――聞いたかキミたち。ヴァルハラが口をあけて待っているそうだ。なんとしてもこの場を死守しろ! あと少しで我々の勝利だ! なに、たいした時間じゃない。無駄玉さえ撃たなければどうにでもなる。今回も、楽勝だ! ――中隊、凄乃皇を中心に円壱型陣形! 間違っても荷電粒子砲に呑まれるなよ!?』

『『『『「了解」』』』』

◇◇◇

『――きやぁああああああ!』

突如、麻倉の悲鳴が聞こえた。

「麻倉?」

『――舞!』

『――麻倉、どうした!? 状況を報告しろ!』

『――麻倉機、跳躍ユニットと右腕が損壊、中破と推定』

『――戦車級が! 嫌、 こないでぇええええ!!』

『――麻倉、しっかりしろ!』

『――宗像大尉、麻倉少尉の救出の許可を! まだ間に合います!』

『――北條中尉、麻倉少尉の救出作業を許可する。急いでくれ――松浦大尉、抜けた穴のフォローを頼む!』

『――了解した』

『――ひ、ひぃぃぃいいいい! い、い、嫌、た、たすけてえええええええ!!』

――いったいどうなっている?

全く状況が掴めない。

『――もう大丈夫だ、麻倉少尉』

『――は、は、はい……。ありが……とう、ございます……』

――あ、麻倉助かったのか。

鋼のおっちゃん、さすがだな。

よくやってくれたよ――。

『――聞いているな! 麻倉! キミの機体はもう無理だ。 それにその怪我でははっきり言ってキミはは足手まといだ! 後方に引け! 友軍と合流しろ!』

『――わ、私はまだ――』

『――甘ったれるな! 寝言も大概にしろ! 口煩くわめき散らしたと思ったら、今度は意地っ張りか! 万が一にもそんな事はありえないだろうが、今後、キミが次のイスミ・ヴァルキリーズを率いるかもしれんのだ! 無駄死になど許さん! ――わかったらさっさと行け!』

――そうさ。

下がることができるなら、下がるべきなんだ。

『――了解』

麻倉の声は沈んでいた。

でも、これで良い。

――先に帰っていてくれ、麻倉。

『――北條中尉。素早い対応感謝します。あなたがいなければ、麻倉は今頃喰われていた』

『――麻倉少尉は本当に運が良い。状況が許す限り助ける。常にかくありたいもだ。だが――より若いものから死んでゆく――おかしい世の中とは思わないか? 宗像大尉』

『――全くの同感です。――そうだ。帰ったら、一杯どうですか? 不躾ながら、私が酌を致しましょう。京都より持ち帰った、秘蔵の品があるのです。北條中尉ほどの男なら、味がわかるはずだ――あの酒も喜びます』

『――それは! 楽しみですなぁ――宗像大尉ほどの美女の酌で銘酒をいただけるなど、この北條鋼、ここまで生き延びてきた甲斐があろうというもの――男冥利に尽き申す』

『――喜んでいただけたようで光栄だ』

『――ははは』

『――鋼? 後で――後で話がある』

『――あ、これは――』

『――北條殿、姫君の逆鱗に触れてしまったようだ。ここいらで退散するとしよう』

『――美冴さん、いつもいつも、火遊びがお好きですね』

『――ふふふ、色恋と情欲こそ、人の生きた証とは思わないか? 祷子』

『――あなたって人は。どこまで本気なんだか』

『―― 一時方向に異常震源、来ます!』

『――遊びの時間は終わりだ! BETAを足止めしろ!』

『――荷電粒子砲、準備できているか!!』

『――主砲、いつでもいけます――』

◇◇◇

『――敵、要塞級、数8! こちらに向かって来ます、11時方向!』

『――月環中尉! 奴等を止めろ!!』

『――やっている!!』

「咲夜、退いてろ!」

オレは二発三発と、たて続けに要塞級の顔面に120mmをお見舞いした。

弾を撃ちつくすころには崩れ落ちる要塞級。

だが、直ぐに次が来る。

――切りがない――

『――イサミちゃん、引いて!』

『――荷電粒子砲、11時方向来るぞ!! 中隊各機、凄乃皇から離れろ!!』

――次の瞬間。

血みどろの戦場が数度目の白き光輝に包まれ、目の前の要塞級を、そして大地からBETAというBETAを一掃してゆく。

――いつになったら終わるんだ――

終わりのない戦いに、オレは気持ちのほうが逃げ始めていた――。

ふと、視界に影が差し込む。

あの影は要塞級!?

まだ残っていたのか!?

え!? 武御雷?

それは完全に逃げ遅れ――て――。

『――危ない!』

咲夜――!?

『――いけません、咲夜様!!』

『――あ、要塞級……う、嘘!?』

「バカ! 避けろ咲夜!!」

どれほどの恐怖だと言うのか。

咲夜の武御雷は動けずにいた。

「咲夜――!」

『――咲夜様!』

!? 間に割り込んできたのは――。

「おっさん! 鋼のおっちゃん!! やめろ!」

『――あっ――鋼!? 鋼――!!』

要塞級の衝角は、北條中尉の機体の胸部を打ち抜いていた。

『――は……がね?』

「おっちゃん……」

『――イサミ! 120mmを要塞級に!!』

「言われなくったって!! おっちゃんの仇!」

砲弾を撃ち込む。咲夜も涙を流しながら叩き込んでいる――!

『――私が、私のせいだ――』

「ああ、咲夜! お前のせいだ!! ――だからお前は責任とって死ぬんじゃねぇ!」

『――わかった、わかったイサミ……!』

『――さ……く』

え? 鋼のおっちゃん!

おっちゃん生きてる!!

『――鋼……! あなた生き……て!! よかった、生きて!!』

咲夜がまた涙をボロボロと――でも、よかった。

『――咲……夜……様、いき……ろ』

『――え? 鋼? 鋼!!』

――え?

『……』

おっちゃん――。

『――鋼――――!!』

――咲夜の慟哭はいつまでも続いた。

◇◇◇

『――美冴さん、もう無理です』

『――祷子、何を言っている。まだ撤退命令は出ていない。――それにまだ弾薬には先ほどの補給で余裕が――!?』

『――美冴さん、私が、もう無理、なんです。――ごめんな、さい』

『――祷子? 祷子! おい! 祷子!!』

『――美冴――さ――』

『――?! 祷子! どうした! なにがあった!?』

――風間中尉まで!?

『――風間中尉のバイタルが不安定です。まさか、怪我をされてるんじゃ……?』

『――こちらCP、イスミ・ヴァルキリー中隊に告ぐ。帝国軍が反応路の破壊に成功した。帝国軍が反応路の破壊に成功した』

『――こちらヴァルキリー01、負傷者が三名発生。緊急を要する。直ちに脱出の許可を!』

『――こちらCP、ヴァルキリー01、戦域の離脱を許可する。離脱後、直ちに負傷者の様子を報告せよ』

『――こちらヴァルキリー01、了解!』

離脱する背後で、閃光が地を走った。

残存するBETAともども、エレーナたちの凄乃皇が、最後の駄賃とばかりに地表構造物を消し飛ばしたのだ。

轟音と共に崩れ去るBETAの支配の象徴。

オレはハイヴの攻略よりも、仲間の喪失よりも。

なによりエレーナの無事を知って安堵した。

麻倉。

鋼のおっちゃん。

風間中尉。

すまない。

こんなこと思っちまって――許せとは言わない。

オレの、オレたちの戦いを見ていてくれよ。

それだけでいい。

そして――この号砲をもって、長い一日が終わりを告げる。

――この日、甲20号目標、鉄原ハイヴは日本帝国軍所属の突入部隊によって、攻略された。

第十八章

後日。

「イスミ・ヴァルキリー中隊、北條鋼中尉の英霊に――敬礼!」

冬の夜空に空砲が響く――。

変わらぬ桜並木を、今だ冷たい風が吹き抜けて行った。

◇◇◇

「なぁ、モガミ。私たちもここに眠ることができると思うか?」

「ナナミさん、死んじゃうんです?」

「まさか。この私が? ――死んでもありえん」

「あはは、確かに」

「――私たちは、ここの連中に許されていると思うか?」

「それは――大丈夫ですよ。ここの皆さんも、それぞれに国を思い、家族を思い、そして人類全体の事を思われていかれたのですから――」

「そうだな」

「そして私たちと、皆さんは――」

「大切な仲間です。迷うこと無いですよ、ななみ先輩、そしてモガミさん」

――オレは口を挟んだ。

「イサミ君。まさかキミが立ち聞きとはな」

ななみ先輩が眉を潜める。

「みんな聞いてましたよ。今のやり取り。いい感じでした」

そう、見渡せば、皆がこちらを見て微笑んでいた。

「なっ!」

「ナナミさん、良いではありませんか。肩の力、抜いていきましょうよ、ね?」

モガミさんの笑顔は、それこそ花のようだった。

◇◇◇

「イサミちゃん――」

「ん?」

「イサミちゃん、わたし達――どうなるのかな? わたし、こんな体になっちゃったし」

「エレーナはエレーナだ。それ以上でもそれ以下でもないさ」

「あのね、イサミちゃん。この桜が咲いたら――ね? イサミちゃんに言いたいことがあったんだ――」」

「エレーナ?」

「あのね、その時、わたし思ったんだ――人はね、いつ死ぬかわからないから、永遠を信じることができる形がほしいんだ、って」

「……」

「でも、わたし、こんな体になちゃったし――無理だよね。ううん? 無理だよ」

「言ってみろよ。――それとも言わないで終わるのか?」

「――え?」

エレーナが大きく目を見開いた。

「わたし、弱いから。そんなこと言っちゃうんだよ? 言おうとしたんだよ? イサミちゃん、また迷っちゃうよ!」

「オレは、お前が迷って苦しんでいる姿なんて見たくないからな。早く言ってしまえよ。聞いてやるから」

「で、……でも」

「なんだよ、エレーナらしくないな」

「う、うん。あのね――実は――」

「ああ」

「イサミちゃん、好きだよ? 大好き」

――いつもと一緒――じゃないよな。

今の大好き、ってのは、エレーナのMAXに違いないんだ。

オレは、それに答える資格があるのだろうか――。

「イサミちゃんは、わたしのこと、その――。好きかな――?」

ここで答えないのは、ただの卑怯者だよな。

「バーカ。いまさら何を言ってるんだお前は。好きに決まってるだろ? でなきゃ、こんな世界に来るものか!」

そうだよな、――夕呼先生。

オレのたどり着いた答え、合ってるか採点してくれよ――。

――オレをこの世界に呼んだのは、こいつなんだろ?

考えてみりゃ、簡単な話だったよ。

で?

事が終わったら、オレがエレーナを手にかける?

――バカすぎる。

そんなこと、出来るわけないじゃないか。

この後、延々とエレーナは泣いていた。

ただただ、涙枯れるまで。

「イサミちゃん、この桜の花が咲いたらさ――結婚しようね?」

!?

――なんだ、エレーナ。

泣きながら笑えるなんて、器用な奴だよ。

――お前は。

◇◇◇

「宗像大尉――」

「ああ、黒須。何か用か? 少し待て。北條中尉との約束を果たさねばならん」

墓標――突き立てられ、赤茶色に錆くれた鉄骨に純米酒が注がれる。

「鋼のおっちゃん、格好良かったです。男の中の男でした。さすがでしたよ」

「ほう。黒須の目からもそう見えたか」

「とてもオレには真似できませんよ」

「それは謙遜だな」

「え?」

「私は知っているぞ。北條中尉が常々言っていたことをな」

「なにをですか?」

「あの少年なら、咲夜様を託してもいい――そう言っておられたよ」

「この私にも、キミであれば、と。そう思えるときがある――。

と、言ったらキミは嬉しいか?」

ドクン――。

「キミは、幸せ者だな。果報者だ。本当に――」

◇◇◇

「宗像大尉――」

「ああ、姫君――。

今宵は新月、月見て一杯というわけにはいかぬ。

――さりとて、桜の季節にはまだ早く。

花見で一杯というわけにもいかぬ。

されど、今宵は良い夜だとは思わないか?」

「鋼殿は話が上手だったのではないか? 姫君の聞かれた話とはどのようなものだったのか。宜しければお話願えぬか?」

「宗像大尉、あなたは――鋼のために――」

「さ、一献」

「かたじけない」

「良い男から先に死ぬ――。どうにかならないものか――そうは思わないか? 姫君」

「まことに」

「女はただ待つもの。いついつの世も、――変わりなきことよ」

「――本当に、左様でございます」

◇◇◇

「イサミ――」

「咲夜か――鋼のおっちゃんの事、辛いよな」

咲夜は心なしか震えているようだった。

「おっちゃんは大人だったよな。――それに比べてオレたちは――まだまだ全然ガキだ。そして、おっちゃんよりガキの方がさっさと死んでゆく」

「ああ」

「おっちゃんはそんなトコ、辛かったんだろうな。だから、麻倉のときも、あんなに必死だった」

「そうだな」

「戦場に出るたび、追い抜かれて先に逝かれる。どんなに辛かったんだろう。――寂しかったのだろうか――」

「鋼は――喜んでいる」

「え?」

「鋼は、こんなにも沢山の想いを受けて逝ったんだ――私を庇うこと。――それが唯一の鋼の使命だった。九條家から与えられてた唯一の使命。それを果たしたんだ。武門の誉れ。まさにそれを全うした」

「――鋼のおっちゃん、それだけかな? たったそれだけを、使命がどうこうって、そんなことでお前を、咲夜を助けたりしたのかな?」

思い当たる節があるのだろう。

咲夜の目が大きく見開かれる。

「なぁ、咲夜。それだけの男が、間際に「生きろ」、なんて声をかけるか? ――オレだったらあり得ない」

「じゃぁ、鋼は、私のことを――」

「愛していた、んだろうな。兄弟愛、父性愛、そうじゃないかもそれない。でも、間違いなく鋼のおっちゃんは――」

「咲夜を――愛して、いた」

「私は―――愛されていた」

咲夜の頬を一筋の涙が零れ落ちた。

そして、後から後から止め処と無くそれは溢れて来るのだ。

「ああ、――鋼、私は――私は、生きよう。そなたの、くれた命で――」

――咲夜。

いつでもお前は精一杯、全力なんだよ。

もう少し力を抜けよ――そう思うだろ? おっちゃんも――。

◇◇◇

「おや、姫君。これは少し遊びませんか?」

「六分儀中尉――?」

「そうですね、まずは――。

『世のなかは 空しきものと あらむとぞ この照る月は 満ち欠けしける』――鋼殿は世の無常を身をもって教えてくれたのであろうか――」

「『北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月を離れて』――そんな風に、私を残して、逝ったのでしょう」

――咲夜――。

「『やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるわし』――北條中尉は、故郷に帰られたであろうか――」

――あ、ナナミ先輩――。

「!!」

黙ってしまう咲夜。

だけど、そこにそっと鑑がやってきて――。

「『やまとは 国のまほろば――』か。

ヤマトタケルの尊だよね?

タケルちゃんはね、ちゃーんと帰ってきたよ。――スミカという名の、故郷に。

――私の、いるところにね。

――だから、エレーナちゃん、何も心配しなくて良いよ。絶対、絶対、帰ってくるって――」

「――うん。わたし、信じる!」

「うん。

――私一人ぽっちじゃないよ? みんなも、ここに来てると思うしね!

――黒須君も、ありがとう。あなたのおかげで、もう一度タケルちゃんの夢が見れたんだぁ――

――だよね? 冥夜。――タケルちゃん。

『はかなくて 夢にも人を 見つる夜は あしたのとこぞ 起きうかりける』――良い夢を見た朝って、涙がきっと、零れているよね――」

◇◇◇

「『命にも まさりて惜しく ある物は 見果てぬ夢の さむるなりけり』――なによりも怖いのは、夢の途中で覚めちゃうこと――。

――夢、か。

鳴海さん、私もあなたのこと、たかゆきさん、って。

そう呼んでもいいですか? 良いよね 姉さん――水月先輩――。

――純夏ちゃん、そうしたら私も――いい夢、見れるかな?」

――涼宮か――。

◇◇◇

「『世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ』――夢か現実か――それは、あってなきようなもの――」

――咲夜、まだ泣いて――。

「ならば姫君、もう、泣かれますな」

「松浦大尉――」

「皆も心配してくれていたようだ」

見回せば、宗像大尉、鑑、涼宮。ななみ先輩、モガミさん――。

みんなが咲夜を囲んでいた。

「もっとも、学が無く、手も足も出なかった者が若干名混じっていたようだがな」

ななみ先輩の目が光る。

「あら。それはどなたでしょう?」

モガミさんが言う。

――ん?

み、みんな、なんだなんだ!?

な、なぜこっちを見るんだ?

しかも一斉に。

お、お前たち……。

「う、うう。ど、どうせオレは歴史も古文もダメだったよ」

「黒須君、たしか国語も英語もダメだよね」

「違うよスミカちゃん。イサミちゃんは数学も物理も化学も、みーんなダメなんだから」

「ほぉ、黒須。さぞかし楽しい学生生活を満喫していたようだな?」

「「「っぷ」」」

「「「「あはははは!」」」」

くっそ! こいつらに、なんとか言ってやってくれよ!

まりもちゃん、いや神宮司先生!!

頼むよ!!

オレはそんなにダメな生徒じゃなかったよな!?

第十九章

2002年 2月 28日 木曜日

「火星圏から巨大な何かが近づいてくる?!」

「それってまさか……」

「……BETA……BETAの着陸ユニット……」

「詳細は不明よ。でも、十中八九そうである可能性が高わ」

「!?」

「月から飛来するBETA着陸ユニットを迎撃するシステムは存在する。でもね、火星圏から飛来するものを迎撃できるシステムは存在しない

システムを応用して迎撃システムを管轄する米国宇宙総軍が宇宙空間での迎撃を行うことになっているけど、正直期待できない」

「……そんな……」

「地球をこれ以上、核で汚染するわけにはいかないわ。まして、G弾などもってのほかよ」

「ならば、どうやって……」

「ここで私達が食い止めなければ、だれが食い止めると言うの? 二機の凄乃皇の主砲による砲撃を行うことで、これを撃滅するわ」

「二機……?」

「A-01部隊は落着予定の地表より、安全圏内にて待機。凄乃皇による迎撃が失敗したときの保険とする。凄乃皇四型二号機、A-02と呼称するけど、これに鑑純夏少尉。そして凄乃皇四型三号機。これをA-03と呼称するけど、こちらにエレーナ・ストレリツォーヴァ少尉に搭乗してもらうわ。

落着地点はほぼ正確に予想可能よ? 砲撃は地表落着寸前を狙うことになる。これは荷電粒子砲の射程距離の問題よ。大変に困難な任務だけど、もちろん、失敗は許されない。落着予定日は三月三日未明――。本作戦には人類の未来が掛かっているのよ。――頼んだわよ!?」

◇◇◇

『先の桜花作戦の成功は、我ら人類に希望と言う種子を見出させるに充分であった。

しかし、この成功が多くの前途有望な多くの若者たちの血と引き換えであったこと、我らは忘れていない。

今ここに、人類に対する新たな脅威が目前に迫っている。

一度目は中国カシュガルに落ち、人類の不和のため最悪の結果を招いた。

二度目はカナダ、アサバスカに落ち、人類の独善のため母なる大地を失った。

そして、今三度、人類史上最大の脅威がこの地球に差し迫っている。

一度手に入れた希望が、無残に打ち砕かれようとしている。

一度遠のいた絶望が、無慈悲にも再び舞い降りようとしているのだ!

しかし、我らは不断なる闘志を新たに、今ここに立つ。

我らは、血の涙を流し、堪えて来た。

我らは、泥を啜り、生きながらえた。

我らは、同胞の命を食らい、命を繋だ。

その努力を無に帰すわけにはいかない。

共に戦い、護り、命半ばに散っていった者達に誓おう。

彼らの守ったこの大地を、奴らの手に渡さぬことを。

そして今再び、若者たちが旅立つ。

未来あるべき若者たちが、我らの全てと、散っていった者たち全ての想いを継いで旅立つ。

己が心に、己が魂に、彼らの高潔を焼き付けるのだ。

我らが諸君らに報いる術は他にない。

若者たちを送り出すしか能のない、我らを呪え。

何度も同じ過ちを繰り返しながら、尚も同じ手段を取り続ける我らを侮蔑せよ。

いかなる言葉で取り繕おうと、それを行う我らの行為を嗤え。

願わくは、諸君等の挺身が、若者を戦場に送る事無き世の礎とならん事を』

「まりも。あなたの子供達は本当に強いわね――。

あの子達に無理を強いる私を許せとは言わないわ。

ただ、せめて、あなたもあの子達を見守ってあげていてくれる? お願いよ――」

2002年 3月 3日 日曜日

「迎撃が中途半端に終わり、落着地点が大幅にずれる? ――福岡だと?! 帝国領内なのか?!!」

――どういうことだ!?

『――こちらCP、ヴァルキリー・マム。ヴァルキリー各機へ。作戦の変更を伝える、A‐03部隊およびA-01部隊、黒須勇海中尉はA-02部隊に合流し、搭乗員は全員凄乃皇二号機に搭乗せよ。その他のA-01部隊は帝国軍広島基地での弾薬及び推進剤の補給後、凄乃皇二号機の直掩を命じる。凄乃皇三号機、および黒須中尉の不知火は自律起動状態にて国連軍横浜基地に帰投させよ』

「――特攻作戦――かよ」

『――ヴァルキリー01よりCP、作戦の変更を了解した』

『――こちらヴァルキリー01! 黒須中尉、鑑少尉、それにストレリツォーヴァ少尉! 聞いての通りだ、急ぎ実行に移せ!』

◇◇◇

「みんな帰っちゃった。どういうこと?」

「わたしたちの出番、ってことだよ」

「そういうことだ。早く乗れ――心配するな、みんなは一足先に補給に行っただけだ」

……。

横浜基地より秘匿回線? ――どういうことだ?

「こちらA-02、ヴァルキリー09、黒須勇海中尉だ。凄乃皇二号機への二体の00ユニットの装備を完了。三号機とオレの不知火はすでにそちらに帰投させている。CP、作戦の詳細を教えろ」

『――こちらCP、ヴァルキリー・マム。本日只今より約10分前に、日本帝国、旧福岡市旧百道地区へのBETAユニットの落着を確認。これを甲27号目標と呼称する。A-02は直掩機らとともに最短距離で落着地点へ侵入、甲27号目標のコアである重頭脳級BETA、『う号標的』を破壊せよ。破壊の手段は問わない。破壊を確認後、凄乃皇二号機の機体回収が困難であるならば凄乃皇二号機に搭載されている装甲連絡艇にて乗員とともに脱出せよ。横浜基地へ帰還するための装甲連絡艇の軌道入力方法はストレリツォーヴァ少尉が知っている。今のうちに軌道入力を完了させて置け。今から甲27号目標の座標を送る。現地は津波の恐れがある。留意されたし』

「了解。――だってよ。エレーナ! 入力頼む!」

「はーい」

『――最早、一刻の猶予もない。これより速やかに現地へ向かい、直ちに目標を破壊せよ。鑑少尉、可能ならば、『う号標的』にリーディングを行え』

「ヴァルキリー12、了解」

『――黒須中尉、最後に、何か質問は?』

「ない」

『――幸運を祈る――必ず帰ってきてね――』

◇◇◇

「イサミちゃん、装甲連絡艇の入力終わったよ」

「わかった。じゃあ、行きますか。ま、お前たちが付き合ってくれて嬉しいよ」

――本当に嬉しい限りだ。

「うん! わたしも嬉しいかも!」

「行こう! 私、頑張るよ!!」

「あー、ずーるーいー! エレーナも頑張る!!」

――しかし、今回は帰れる気がしないな――。

「まったく、涙が出てくるほど嬉しいよ……ああ、泣きたいったら泣きたいな」

◇◇◇

BETAだ。早速沸いてきたらしい。

「奴さんのお出ましだ」

「敵先鋒、突撃級! 距離5000、数1500!!」

「2700mm電磁投射砲用意!」

「2700mm電磁投射砲用意完了!」

「目標補足、敵突撃級先頭集団!!」

「電磁投射砲の発射5秒後にラザフォード場展開!」

「了解!」

「2700mm電磁投射砲、発射! ってぇ!」

金属の暴風雨に蹂躙され、突撃級が跳ね回り、それはたちまちのうちに肉塊となって砕け飛る。

気づけば、視界内にBETAの姿は存在しなくなっていた。

「黒須君!」

「わかってる! 射撃中止、ラザフォード場展開!!」

「了解、ラザフォード場展開!!」

「機関安定、問題なく推移中」

切り開いた無人の野を行く。

◇◇◇

「レーザー警報!」

「なんだって? どうして光線級が?!」

「大丈夫。任せてよ」

「どおってこと――っつ!」

「来るぞ! レーザー照射だ!!」

「っあっ」

「っつ」

――地球の情報が宇宙に伝わっているのか?

いや。

光線級が地球に現れて数十年経っていると聞く。

そう考えるのが自然だな。

少なくとも火星には伝わっているのだろう。

さもなくば、今ここに光線級が存在するはずがない――。

オレは深くため息をついた。

――オレたちが、どうあがこうと、そんなことお構いなしかよ。

やはり、この世界は破滅に向かっているのだろうか――。

でも、そんなことを今考えても仕方ないよな。

ふと、エレーナたちが気になった。

「大丈夫か?」

「うんうん!」

「平気だよ。タケルちゃんと来たときは、もっともっと凄いことになってたし」

「依然、機関安定中! 航行に問題なし」

モニター越しの二人の顔が引きつっていた。

こいつらも気づいている。

――ここで光線級が現れた意味を。

なのに、一言もそれに触れて来ない。

オレを気遣ってくれているのだろうか。

いや、全員が全員を気遣っているに違いない。

オレも黙っておくか。

難しい事は夕呼先生が考えればいいのさ。

「もう直ぐだな。エレーナ。鑑。二人とも、頼んだぞ?」

「大丈夫だよイサミちゃん」

「そうそう。ドーンと構えててよ。タケルちゃんなんて、緊張しまくりだったんだから」

「あはは、そうなんだ」

不安なのかな? オレ。

情けないな。

◇◇◇

――見えた。あれだ。あの赤い一角――。

間違いない。あれだ。

「反応炉……こいつが目標か! まだ地表にあるとは幸運だったな。――主砲、射撃準備!」

『――こちらヴァルキリー01、ヴァルキリー09に告ぐ。待て、まだ早い! 光線級がいる以上、凄乃皇に照射させるわけには行かない。確実に「う号標的」を仕留めるにはそうする他ない。

我々直掩隊が先行し、光線級に突貫をかける! A-02は目標との距離を詰めつつ、私の合図を待て! CP、光線級の座標を教えろ!』

『――了解』

『――聞いての通りだ。こちらヴァルキリー01、イスミ・ヴァルキリーズの諸君、ここが決戦の場と思え! 私たちはこれより敵光線級に対し突撃を敢行する! A-01全機、楔壱型陣形にて突貫せよ! 私に続け!』

次々と友軍機が凄乃皇を追い抜いてゆく。

『――ま、私たち直掩に任せてよ!』

「涼宮のやつ……」

『――吉報を待て、イサミ』

「咲夜まで……」

◇◇◇

『高度を上げすぎるな! 焼かれるぞ!!』

『『『『『了解!』』』』』

涼宮のうろたえる声が聞こえる。

『――要塞級……こいつら、光線級を守って……』

なんだ? 人類側の戦術までBETAに知られているのか――?

どこまで情報が漏れている――?

『――ここは私が切り開く! 皆は光線級を頼む!』

『――松浦大尉!』

『――茜、六分儀中尉! 松浦大尉を援護しろ! 月環中尉は私とともに光線級を蹂躙しに行くぞ!!』

『『『『――了解!』』』』

◇◇◇

『――二人とも行くぞ! 大和撫子足る者、要塞級の一匹や二匹、調理できずしてなんとする! 一人十殺! 忘れるな!?』

ななみ先輩の怒声が聞こえた。

相変わらず滅茶苦茶なことを言っている。

『――尻尾が!』

『――茜ちゃん、余所見はいけないんだぞ~』

『――もう、モガミさん、こんな時になに言ってるんですか!』

『――こんなときだから、かな』

――通信会話から察するに、一瞬の判断に勝ったらしい。

『――モガミ、遊んでいないで次だ! 右の奴に120mm!!』

『――はいはい、ナナミさん』

『――おのれ、埒が明かん。このままでは別働隊が光線級に辿りつけんぞ』

『――松浦大尉! 私が囮になります!』

――涼宮中尉が要塞級の囮だと?

『――涼宮少尉、君が囮を? ――いや、却下だ。そうか囮か。――その手で行こう。涼宮少尉、君の案は考え方のみ採用する。この要塞級どもを凄乃皇のレールガンの射線に誘い込むぞ』

◇◇◇

『――さぁ、来て! ――ついて来なさい! あの白銀にもやれたんだから、私にだって!』

――涼宮は見事要塞級を引き出していた。

『――ナナミさん、この子達ちょっと怖いかも。――さ、電車ごっこの時間ですよ――』

――モガミさんも上手くやっていた。

◇◇◇

『――要塞級の壁に隙間が――月環中尉、今だ、突貫しろ! 敵は光線級! 他のものには目もくれるな! 蹂躙せよ!!』

『――了解!』

――宗像大尉が突撃を始めたみたいだ。

◇◇◇

『――イサミ君、聞いていたな? 私達三人は凄乃皇に向かう。電磁投射砲の射程に入り次第、喰いまくれ!』

「こちらヴァルキリー09、了解。エレーナ、聞いての通りだ。火気管制一部渡す! 手伝え!」

「ヴァルキリー11、了解」

三本の直線が見える。

先頭には戦術機、後方にはBETAが迫っていた。

――ゾッとする眺めだな。

「いいか、エレーナ、充分引き付けるんだ。ななみ先輩や涼宮には当てるなよ?」

「わかってるもん!」

『――黒須! お届け物だよ! 受け取って!』

涼宮の声だった。

『――皆さん、BETA人生の終点ですよー』

モガミさんの声も聞こえた。

――来た来た、よし、そろそろ頃合だ!

「ななみ先輩、皆さん、射線から外れてください! エレーナ! 120mm電磁投射砲、射撃開始だ!」

『『『「了解!」』』』

瞬間、凄乃皇の前面に装備されている120mm電磁投射砲から唸りを上げて砲弾が射出されてゆく。

次々と要塞級へ吸い込まれる砲弾の数々。

膨大な肉塊の山を築き終わったとき、脅威は去っていた。

◇◇◇

『――ヴァルキリー01よりヴァルキリーズ各機へ、光線級は駆逐した。繰り返す、光線級は駆逐した。ヴァルキリーズ全機、荷電粒子砲発射まで凄乃皇を守りきれ!』

――宗像大尉達も上手くやったようだ。

◇◇◇

「胸部荷電粒子砲、エネルギー充填まで、58、57、56……」

『こちらヴァルキリー01、全機後退、凄乃皇を守りきれ!』

『『――了解』』

『――11時方向から敵、突撃級20! 距離2000!』

見れば、突撃級集団が二つ、こちらに近づいてきていた。

『――距離500で先頭集団の足を狙え!! 合わせるぞ、茜!』

『――了解!』

『――1時方向からも敵、同じく突撃級30! 距離1500!!』

『――松浦大尉、月環中尉! 任せた、同じく距離500で足だ!!』

『『――了解』』

◇◇◇

『――11時方向、来ます! 距離800!!』

『――茜! 今だ! 撃てぇ!!』

涼宮機の手前で、崩れた先頭に突撃級の後続が次々と衝突する。

『――やった!』

『――各個撃破に移る!』

『――了解!』

◇◇◇

『――モガミ、訓練通りだぞ! 失敗したら営倉行きだ!』

『――あらら、それ本当ですか?』

一糸乱れぬその二機の不知火弐型は、突撃級の接触寸前で短距離跳躍、後部の軟体部目掛けて鮮やかに36mmを叩き込んでゆく。

『――どうやったら、失敗できるんですか?』

『――知らん』

『――まぁ、ナナミさん、ったら』

◇◇◇

『――大尉、正面にBETA、要塞級3です!! ――私に任せてください!』

『――今は良い、それより離脱しろ! もう、時間がない!』

宗像大尉が要塞級に120mmを叩き込みながら後退する。

『――了解! って!? え? きゃぁああああああああ!!』

『――茜!! どうして!?』

――涼宮!?

突如、涼宮の横合いから突進してきた突撃級。

かろうじて交わしたようだが、衝突の余波か涼宮の不知火が弾け飛んでいた。

宗像大尉の120mmがその突撃級の後部を吹き飛ばして沈黙させる。

『――大丈夫か! 涼宮!』

『――はい、なんとか……っく! でも、機体がもう……戦えません』

『――君の機体はまだ動く! 戦域から離脱しろ! 早く行け! 死にたいのか!!』

『――すみません。了解です、宗像大尉』

◇◇◇

「胸部荷電粒子砲、発射準備完了! エネルギー充填率120%!!」

「荷電粒子砲を発射する! 凄乃皇の周囲から退いて下さい!!」

『――こちらヴァルキリー01、中隊各機、今すぐ凄乃皇から離れろ!!』

『『『――了解!』』』

「な、レーザー警報!!」

新たなレーザー種の出現を告げるエレーナの金切り声!

◇◇◇

なんだって!? 新手!?

『――モガミ!? どうした!』

『――機体が、機体が動かない!? ――こんな時に!? 所詮は量産試験機と言うことなの!?』

「モガミさん!?」

『――イサミくん! 私に構わず撃ちなさい』

「そんな、モガミさん!!」

『――構わず撃たないか!! イサミ君!!』

「ななみ先輩、あなたそれでも!?」

――オレは怒りで頭が沸騰しそうになる。

モガミさんはあんたの親友じゃないか! それを……!

「黒須君、撃って!」

「鑑?」

『――ナナミさんの言うとおりよ! 私達は負けられないのよ! 早くしなさい! あなたそれでも男の子――って、動いた!!』

瞬間、モガミさんの不知火弐型の跳躍ユニットが火を噴いた。

モガミさんの泣き笑いの顔がモニタに見えた。

「レーザー照射!!」

警告を見たのだろう。

エレーナが悲痛に叫ぶ。

『――撃ちなさい! 間に合わなくても恨まないから!』

強引な低空跳躍飛行で戦域を駆け、離脱を図るモガミさん。

モガミさんが泣いていた。

「無駄にしないで! みんなの思いを!!」

鑑の必死の叫びがそれをかき消す。

操縦席に響く警告音――!

くそ、くそったれーーーーーー!!!

「黒須君!!」

「イサミちゃん!!……もうもたない!!」

『――イサミくん!! 撃って!』

モガミさんの祈りの声――!

――オレは、トリガーを引いた。

次の瞬間、閃光が辺りを満たす。

全てが砕け、溶けてゆく。

白に飲み込まれて溶けていった――。

オレは、泣いていたんだと思う。

指は、トリガーを引いていた。

「御剣さん、私、私達、今回もあなたとの約束、守ったよ……」

鑑の呟きと嗚咽を、聞いた気がした。

――見れば。

『――モガミ、すまん――』

ななみ先輩が泣いていた。

「イサミちゃん、あれ、……見て!!」

オレは、その赤い光点を呆然と眺めていた……。

「何だよ、あれ……」

『――「う号標的」……そんな馬鹿な』

宗像大尉の声が震えていた。

オレだって、信じられない。

まだ、健在なのか……距離が足りなかったとでも言うのか?

◇◇◇

考える必要などあるのか?

迷う必要なんてないだろ?

やるしかない。

やるしかないんだ。

散っていったあいつらに報いるのは、あの敵を滅ぼす以外にはない。

そうだろ? みんな。

「エレーナ、前進だ。アイツを……あの人類の敵を叩き潰す。絶対に叩き潰す!!」

「イサミちゃん……うん、そうだよね。――ヴァルキリー11、了解」

「鑑。主砲発射準備」

「黒須君、私は迷わないよ? だから、当然行くよ。――ヴァルキリー12、了解!!」

「機関正常、凄乃皇二号機、全速前進……!!」

「胸部荷電粒子砲、エネルギー再充填まで……124、123、122……」

◇◇◇

『――イサミ、私もついてゆこう。最早、嫌とは言うまいな?』

「好きにしろよ、咲夜」

『――こら黒須。私を抜きに話を進めるな。月環中尉、キミは左翼につけ。私は右翼につく。松浦大尉は露払いを頼む』

『――了解、宗像大尉』

『――任せておけ』

『――こちらヴァルキリー01、全ヴァルキリーズ、行くぞ! 今度こそラグナロクだ! 神々よ、照覧あれ! 我ら死を超えて歩む者、キミたちの魂の輝きを見せてみろ! 全機、突撃!!』

『「「「了解!」」」』

『――待って、私も連れて行ってくれる?』

――モガミさんの不知火弐型が――生きていた。

『――モガミ……』

◇◇◇

やつが。やつが目前に迫っていた。

『――触手攻撃に気をつけろ。A-01各機、我々は凄乃皇に敵の注意が行かぬよう、撹乱するだけでいい。回避に専念しつつ、注意をひきつけろ。黒須中尉、キミは「う号標的」を必ず仕留めるんだ。いいな?!」

『『『「了解!」』』』

「「う号標的」まで距離、約5000」

「停止だ、エレーナ!」

「凄乃皇、停止します」

「胸部荷電粒子砲、エネルギー再充填まで30、29、28……」

「鑑、リーディングだ」

「ちょっと遠いかな、黒須君」

「……エレーナ。鑑の代わりに行けるか?」

「やってみる」

「……頼む」

瞬間、モニタに写るエレーナの目が翳った。

その表情も消える。

「『ALTERNATIVE III : HUMAN INTERFACE : MOOD LANGUAGE : JAPANESE

言語を日本語に設定しました。

再起動します。

私はオルタネイティヴIII、開発コード――。――です。

指定された目標に対し、リーディングを実行します。

しばらくお待ちください……』」

……は? みれば、鑑も目を丸くしているようだった。

「『走査を完了したしました。データを記憶領域に保存します――保存完了しました』」

……。

「エレーナ……?」

「イサミちゃん、すぐに攻撃を!!」

虚ろであったエレーナの目に光が宿る。

「エレーナ?」

なんだってんだ?

「時間がないの! イサミちゃん、早く!!」

「待って! 黒須君、凄乃皇の後ろ、距離3500、異常振動! 来る!?」

鑑の叫びに応じて現れ出たもの――。

◇◇◇

『――母艦級――』

「ば、バカな……」

どうしろってんだ――。

『――イサミ君、うろたえるな。――宗像大尉、モガミを借りる。引き続き『う号標的』への対処を続けてくれ』

『――松浦大尉? まさか!』

ななみ先輩が凶悪に笑った。

『――モガミ、玉手箱を出せ。織姫を脅して奪って来い』

『はいはい、ナナミさん』

「中尉、なにをする気です」

母艦級からBETAが溢れてくる。

凄乃皇の近接火気が火を吹いているが……。

『――時間がない、イサミ君。――その質問は却下だ』

『――お弁当、準備できました、ナナミさん』

『――では行くぞ、モガミ。――よく見ておけイサミ君。真の戦士の戦いと言うものを――』

『――はいはい』

『――黒須中尉、荷電粒子砲は打てるか? ――目標は母艦級だ』

「やってみます」

『――宗像大尉、不要だ。敵に後ろを見せるんじゃない。――ここは、私の戦場だ』

赤に染まるナナミ先輩とモガミさんの不知火弐型。

命令を待たずに、切り結んでは奥へ奥へと突撃していく。

――そして。

その先には、母艦級――。

『――黒須中尉、待て。目標、『う号標的』にそのまま。――主砲発射だ。――松浦大尉、六分儀中尉! ――御武運を』

◇◇◇

「が、ぐぁああああ!!」

突然、鑑が叫びだす。

なんだってんだ?! 今度は鑑!?

「鑑!」

『――鑑少尉!』

「『――存在、認識、持っている、正しい、照合、情報、転送――』」

――鑑の口から漏れる、感情を一切排した単語の羅列。

――鑑、お前いったい何を言って――。

◇◇◇

『――イサミ君、キミのあの日の言葉、私は本当に感動したよ。君は誇って良い――』

『――そうね、私も心動かされた』

ななみ先輩達が尚も先に進んでゆく。

◇◇◇

「いいから早く、主砲を撃って!!」

エレーナの声。

『――存在、形式、主砲、否定――』

鑑はなおも謎の言葉を羅列する。

「鑑が……!!」

◇◇◇

『――モガミ、ここ数日ほど生きがいを感じた事はあったか?』

『――いいえ。ナナミさん』

BETAの血飛沫が舞っていた。

◇◇◇

『――存在、形式、鑑、否定――』

『――存在、認識、持っている、正しい、照合、情報、転送――』

その間にも、事態は――。

『――伸びる触手!? ――させるかぁ!!』

『――でやぁあああああああああああ!!!』

「咲夜?! 宗像大尉!!」

『――存在、形式、咲夜、否定――宗像、否定――』

彼女らは長刀で襲い来る触手を切り飛ばしていた。

『――次が来るぞ! 急げ!!』

『――イサミ! どうなっている?!』

「なにしてるのよぉ! イサミちゃん!!」

◇◇◇

『――モガミ、地獄の果てまで付き合ってもらうから覚悟しろ』

『――それって美味しいですか? ナナミさん』

◇◇◇

『――存在、形式、イサミ、否定――』

こ、これが――BETA――人類の、敵――。

あまりに異質すぎる……。

「おまえが、おまえが、そうなのか!!」

『――存在、形式、おまえ、否定――』

『――存在、認識、持っている、正しい、照合、情報、転送――』

◇◇◇

『――終局だ。下等生物ども如きにくれてやるような命ではないが、イサミ、私の死に様をよく覚えておけ!!』

『――私のも、お願いね?』

◇◇◇

怒り。

湧き上がる感情は、ただ純粋な怒りのみ。

「お前なんかのために、みんな命張ってたのかよ!!」

「イサミちゃん!!!」

『――存在、形式、イサミ、認識、炭素系固体――』

『――早く撃つのだ! エレーナ!! イサミが撃てないのなら、お前が撃てぇ!!』

「イサミちゃんってば!!」

「許せねぇ……!!」

◇◇◇

『――合わせるぞ、モガミ! 2・1――』

『――はい!』

◇◇◇

『――存在、認識、持っている、正しい、照合、情報、転送――』

『――撃てーーーーーー!!! エリィーーーナァァァーーーーーーーーーーーーー!!!!』

「お前なんかに、――――オレたち人間が!! ――――負けてたまるかーーーーー!!!!」

――オレは引き金を引いた。

あふれ出る白き光の中で――。

『――オレ、否定――人間、否定――負ける、否定――』

――イサミちゃん――!!

エレーナが真摯に呼ぶ、オレの名前。

そして凄乃皇の背後で轟いた多重爆発音。

――それがオレの記憶に残る最後の音だった。

白、白、白。

世界は白で染められた。

純白の輝きで染められた世界は、全ての穢れを洗い流す。

その輝きの中でオレは、意識は消えた。

エピローグ

海の潮騒が聞こえる。

――ああ、オレ、死んだのかな――

青い海原と白い砂浜。

地獄にしては、綺麗なところだとおもう。

そんなことを考える。

「駄目だな。さっきのショックで電装系が全て逝ってしまっている」

「こっちも同じだ」

?!

ああ、咲夜や宗像大尉も道連れか。

まぁ、それも花があっていいや。

でも、エレーナに一言、せめて言っておきたかったな

「なんだ。聞いてやるから言ってみろ、黒須」

「ああ。イサミ、私も聞いておきたい。後学のために」

ああ、いいとも。聞いてくれよ。

オレさ、エレーナのこと、本当に好きだったんだ。

「「!?」」

アイツさ、いつもバカでさ。

鑑も相当なバカだけど、それに輪をかけてバカなんだよな。

ガキのころから一緒でさ、どこ行くにも、なにするにも、必ずオレの傍にいるんだ。

イサミちゃん、イサミちゃんって、うるさいのなんのって。

でも、さ。

あいつがいなくなって、思ったんだ。

オレ、あいつになにをしてあげれたのかな、って。

あいつはオレのために、それこそ何でもしてくれていたんだけど、いつしかそれが当たり前になっちゃって。

ありがたさを感じられなくなってたんだ。

そうさ。あいつは間違いなくオレを愛してくれていた。

でも、オレは――オレは――あいつに最期まで優しい言葉の一つもかけてやらなくて。

せめて一言だけでも、あいつに言ってやりたかった。

エレーナ、愛してる。ってさ。

言ってやるんだったなー。

ああ、何度でも言ってやるぜ。

エレーナ、愛してる、愛してる。愛してる!!

エレーナ。アイツ、ホント、バカだよ。

せっかくオレがその気になったのに、アイツ、一人だけ生残ってやがんの。

アハハ、ほんとエレーナらしいや!

……。

ガコ!

凄い音がした。

「あいた!」

オレは頭に激痛を感じ、上を見上げる。宗像大尉がいた。

「バカはキミだ!」

パーン!

これまた凄い音がした。

「い、いてぇ……」

「そなたはバカだ! これは私の分!!」

頬を張られたのだ。手を出した咲夜が泣いていた。

「どりる、みるきぃー! ふぁんとむ!!」

ドゴ!

ありえない音がした。

「レバ……」

腹に激痛、が。これ、入ってる、入ってるって……意識が、意識が……。

「最っ低! 鈍感! まるでタケルちゃんみたい!! 見損なったよ黒須君!!!」

仁王立ちの鑑が、勝者の貫禄でオレを見下ろしていた。

『――黒須~。私、感動しちゃったー。なっかなかの名シーンだったじゃなーい。直で見ることができないのが残念だわー。でもね、調子に乗るのもいい加減にしておかないと、エレーナの顔、さっきから真っ赤になってきて、そろそろ爆発しちゃいそうだからいい加減に止めてくれないかしら』

へ?

『――ちなみにこれ、全部録音されてるのよねぇー。後世にアンタたちのことが映画になるとしたら、必ずノーカットでねじ込んであげるから、楽しみにしてなさいよね?』

な、なんだそりゃぁ!

『――で、バカはいい加減にして、そろそろ帰って来なさい? じゃ、待ってるわ。 純情な英雄さん!』

Muv_Luv Belive Alternative End

 


 

 

 

 

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