最終回がアレだったという話だった「くまみこ」。見返してみたがそこまで酷い話か? 上手く纏めているし、良く出来ていると思った。
まず筆者には都会への憧れというものが理解できない。都会で一旗上げる。いかにも明治時代以降の中央集権主義、田舎者丸出しな「かっぺ」思考のために嫌いである。
コミュ障を改善して都会に出る。その掴みはまずありだろう。なぜなら、物語の最序盤における主人公の目的は「都会の高校へ進学したい」だったのだから。
主人公には見たところ親がいない、兄妹がいない、親類がいない。頼れるのはクマだけ。
幼児退行? 本当にそうだろうか。本当に分かり合える相手と言うのは少ない。ならばそういった生育環境であの年齢、しかもあの状況。幼馴染で親代わりのクマに甘えて何が悪い。
確かに最終回の対人恐怖描写は確かに「統合失調症」レベルではあった。酷いと言えば酷い。病質が。
だけど、結果的には変に都会に出るよりも擦れなくて芋臭いままのほうが良い気がする。
しかも巫女とは本来、神と対話するもの。少し位精神のタガが外れているのが本来の巫女のあるべき姿、シャーマンとしての役割だろう。ならば主人公は巫女としてこれ以上無い適役ではないか。彼女は立派にその勤めを果たしている。ご神体であるクマを慰撫するという本来の役割を。
主人公はあの村にいてこそ映える、輝ける。それで良くないか? ……多くを望む劇的な成長物語、本当にそんな物が最近の話に必要とされているのかとも思う。
最終回の前の話で頑張って仙台にまで出てきた。これは立派な成長ではないのだろうか。重度のコミュ障がそう簡単に改善するものか。都会に出るために電車に乗る。仙台駅で感動する。立派な成長ではないか。
まぁ、その後アレコレあって、本番では一応舞いも踊って見せる。充分な成長である。充分にファンタジーとして成り立っている。そして、神との対話が切れたときに素に戻り対人恐怖描写。その点ではこのほのぼの話はリアル。クマとじゃれあって幼児退行? 別にそのくらい許せよと思う。その一見幼児退行にも見えるこのラストシーンこそ、この物語がリアルな証拠なのではないのだろうか。視聴者はおそらくそこにファンタジーを求めていたのだろうと推測されるが、シュールだのホラーだの、上手く纏めるためにはあれが最善手であったと判断できる。
筆者は人前で話をすることが得意である。特に壇上で話すことは得意だ。聴衆は多ければ多いほど良い。だから筆者にはこの主人公の気持ちは余り理解できない。
だが、この作品の言わんとしている事は大体わかる。ただ、シュールさと自己肯定感の伝え方のバランスをいまいち図り切れなかった。ただそれだけだと思う。
視聴者の前に鏡を置いたことがこの話が叩かれている遠因であろう。
感想としては「今の世の中ドンだけ刹那的でお前らメンタル弱いんだよ。人様に回答求めるの早過ぎ」である。人間様は自動販売機ではないのだ。
物語の、文脈の間を読む。この能力が視聴者にも求められているのではないのか。
最後にもう一度。「くまみこ」。別に最悪の最終回でもなんでもない。前半と違って描写が少しリアル寄りなだけである。
叩かれた理由。これは視聴者の想像力と直観力が足りないだけでもあるが、一重にデリケートな視聴者が対して求めているものを適切に提示できなかった製作側の責任といえばそうなのかもしれない。しかしながら製作サイドもそこまで落ち込むことは無いのではなかろうか。
まぁ、取り留めの無い話になってしまったが筆者はこの物語にも主人公の成長を見た。この言葉で締めておく事にし今回は筆を置く。
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