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マブラヴ belive エクストラ(Muv_Luv Belive Extra:Muv-Luv二次創作SS)

マブラヴエクストラタイトル Muv-Luv

前書き

  • オリジナルキャラが登場し、主人公、ヒロイン共にオリジナルキャラクターです。
  • 数箇所、残酷とも取れる表現がありますが、演出の都合です。
  • 特定の個人、団体を誹謗中傷する意図はありません。
  • 超ネタバレです。
  • 原作をプレイして読むと、より楽しめるはずです。
  • 本SS中の登場人物は文中において、いかなる表現をなされていようと、全て成人年齢に達しています。
  • 「マブラヴ」及び「マブラヴオルタネイティヴ」はage様の作品です。本作品はファン小説であり、一切の関係がありません。
  • 「ハーメルン」様に挙げているバージョンよりも、新しいバージョンとなります(誤記、エピソード不足の補填など)
  • エクストラから先にお読みください。
  • ©Muv-Luv: The Answer

 

それは、

とてもちいさな

とてもおおきな

とてもたいせつな

あいとゆうきのおとぎばなし――。

マブラヴ Belive エクストラ(Muv_Luv Belive Extra)

♪おおきな ふくろを かたにかけ だいこくさまが きかかると
ここに いなばの しろうさぎ かわを むかれて あかはだか

♪だいこくさまは あわれがり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれと よくよく おしえてやりました

♪だいこくさまの いうとおり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれば うさぎは もとの しろうさぎ

♪だいこくさまは だれだろう おおくにぬしの みこととて
くにをひらきて よのひとを たすけなされた かみさまよ

(大黒様 作詞 石原和三郎 著作権の切れた作品)

(エレーナ)「なぁに? そのおうた?」

(イサミ)「おまえしらないのかー!? だいこくさまだよ、だいこくさま!」

(エレーナ)「だいこくさま~?」

(イサミ)「おかあさんにおしえてもらったんだ」

(エレーナ)「いいなー。わたしのおかあさん、いっつもいそがしいんだー。いつもおうちにいないの」

(イサミ)「えー!? そうなのか!? じゃあ、おとうさんは?」

(エレーナ)「おとうさんもいないー。おとうさん、めったにおうちかえってこないんだー」

(イサミ)「じゃあ、おまえいっつもひとりなのか?」

(エレーナ)「わたし……ひとり? ひとりなのかな? ひとり……ひ……と……うわわわわわーーん!」

(イサミ)「なくな! おとこだろ! おとこはないちゃいけないんだぞ!」

(エレーナ)「う……う……ぐすん、わたしおんなのこだよー」

(イサミ)「どっちでもいいから、なくな!」

(エレーナ)「うわーん」

(イサミ)「なくなってば! なくなよ! ……そうだ! いいことおもいつた!」

(エレーナ)「……ぐすん……え?」

(イサミ)「オレがおまえのともだちになってやるよ! これから、ずっとずっと、ずーーーと、いっしょだからな! これでさびしくなんかないだろ?!」

(エレーナ)「……」

(イサミ)「うれしくないのかよ!」

(エレーナ)「うれしい、うれしい!」

(イサミ)「オレ、くろすいさみ。おまえは?」

(エレーナ)「くろすいさみ……。わたし、えれーな。えれーな!」

(イサミ)「えれーな? じゃあ、えれーな! きょうからオレとおまえはともだちだ。いいな!」

(エレーナ)「うん!」

2002年 1月 13日 日曜日

オレが時計台前のベンチを占領して30分ほどが過ぎただろうか。

街は夕日に照らされ、優しげに街を染めていた。

それにしても遅いな。

エレーナの奴、約束の時間になっても来やしない。

あいつにしては珍しいこともあるものだ。でも、まあいいか。

そのうち来るだろう。

こんなこともあろうかと、ゲームガイを持って来ていて良かった。

ゲームガイにはバルジャーノンの新作を挿して来たし?

暇つぶしにはちょうど良い。

適当に待つとしますか。

◇◇◇

COM相手では、ちょっとつまらない。

ヘタクソとはいえ、エレーナと対戦して遊ぶ方が今の100倍は面白いに決まっている。

ちくしょう、アイツどこまで行きやがったんだ。

時計台の時刻はもうとっくに約束の午後4時を過ぎていた。

「まったくエレーナの奴、なにやってるんだ?」

オレはゲームガイを横に置き、それらしい人物がいないかと周囲を見渡す。

まさか、その辺りに隠れてオレが何をしているのか、こっそり観察している――ってことはないよな?

いや、充分にありそうだ。

エレーナ。

エレーナ・ストレリツォーヴァ。

生粋の白系ロシア人だ。

ただしロシア語なんて、エレーナはこれっぽっちも話せない。

幼いころから日本で過ごし、日本人に囲まれて育った。

そう。なんちゃって外人と言う奴である。

エレーナは、物心ついたときには常にオレの隣にいた。

そして何をするにも、どこに行くにも、いっつもオレの後ろを付いて来た。

――そんな関係だ。

オレはベンチの周囲で、あの特徴的な銀の髪が揺れていないかと目を凝らす。

四六時中、どこか気が抜けているエレーナのことだ。

オレに見つからぬよう、隠れ続けるなんて器用なことができたためしがない。

それに、この田舎町でアイツの姿は目立ちすぎる。

銀髪碧眼の白人というだけではない。

白人としてはやや小柄だろう。

だがしかし。

顔に体に、人も羨む整った容姿。

常に笑顔を忘れないその姿。

その上、奇矯ともとれる特異な言動の数々。

そう。

好むと好まざるを選ばず、エレーナは注目を集めてしまうのだ。

◇◇◇

時計台の針は午後四時をとっくに過ぎ去り、午後五時近くになっている。

――もう、こんな時間――。

エレーナは近くに必ずいる。

いないとおかしいのだ。

――ある種の確信を持って周囲をざっと見回すものの――。

見つけることができない。

まったくもて見当たらない。

あてが外れたオレは、ふと寒気に襲われた。

なにかとてもとても嫌な感じがする。。

予感とでも言うべきか。

まさか。

いや、そんなこと――。

考え出したら止まらない。

まさか。

エレーナに何かあったんじゃ……。

一度生まれた悪い予感は、オレの頭の中を瞬く間に埋め尽くそうとする。

この感覚。

不安でしかない。

そしてそれが浮かぶたび、オレは必死にそれを打ち消しにかかる。

だけど!

アイツ、エレーナは、今どこにいるのかわからない。

でも、そんな事は関係ない。

アイツにはオレしかいない。

本当にオレしかいないんだ。

エレーナが困っているのなら、オレが何とかしないと!!

数年前の駅前で起きた事故を思い出す。

まさか――いや、まさか!

オレが駅の公衆電話に駆け出そうとベンチを蹴った、ちょどその時だった。

!?

拍子抜けするほどの平和な声が聞こえた。

「でね、――ちゃん、いつこっちに戻ってきたの?」

「そうなんだ。やった! また、三人で遊べるね! わたし楽しみだよ~」

この能天気な声は……間違いない。

エレーナだ。

エレーナめ、やっと来た。

その声を聞いたオレは、怒りを覚える反面、安心した。

まったく、心配かけさせやがって。

でも、何事も無かったようで良かったよ。

――本当に良かった。

ん? 話し相手がいるのか?

一人じゃない。

連れがいるようなんだが――?

バーガーショップの近くで、揺れる銀の髪が見えた。

いたいた。

すらりとした長身に、一度、肩の高さで一つにまとめ、膝下まで流したさらりとした銀髪。

「エレーナ!!」

こちらに歩いて来るエレーナに、オレは手を振りつつ声をかけた。

その声と仕草に気づいたのだろう。

エレーナはオレを見るなり、その緑の大きな目を丸くして驚きの表情を浮かべていた。

ん!?

「あー! イサミちゃん!」

指差すなって!

バカ!

また目立つだろうに!

オレの気持ちを知ってか知らずか、そもそもそんな事はもとよりお構いなしなのか。

エレーナのバカは、こちらに向けて猛ダッシュ!

おー、走ってる走ってる。

あんなに走って転ばなきゃいいけどな。

ガキかよ、まったく。

あの落ち着きのなさ。

これで高校生とは恐れ入る。

そして、日頃の無茶の賜物なのか、連れを差し置き一人で俺の元にやってきた。

「はぁ、はぁ、イサミちゃん発見……!」

息なんか切らせて。

そんなに急ぐような事か?

たしかに大遅刻だったけど……。

「エレーナ」

「はぁ、はぁ、あれ? ……イサミちゃん。そんな顔してどうしたの?」

「なにボケてやがる。お前、今何時だと――いや、まぁ、とにかく無事でよかっ――ぐはっ!?」

怒りを忘れてエレーナに声をかけたまでは良かったのだが。

オレはエレーナに送れること数十秒、今になって飛び込んできた何かに押しつぶされそうになる。

「イサミ!」

その弾丸は人の言葉を発した。

それはエレーナと話していた、どこか懐かしいさ漂う女の子だ。

彼女はオレに飛びつくと、驚くオレに構わず、電光石火の早業でオレの唇を奪う。

――ななななん、なんだと!?

心の準備などできているものか! その柔らかい感触に思考を邪魔される。

――な、なにが起こっている?

ちょっと不思議な感触。

キスってこんな感じだったんだ。

――そう、例えるならそれは――。

そ、そんなことを考えている場合じゃない!

こんなことを仕出かした、コイツ一体だれなんだ?!

オレは彼女をなんとか引き剥がし、その顔を見て再び固まった。

って、え?

この娘は……。

そう、オレはこの子を知っている。

――咲夜?

流れるような黒髪の、日本人形めいた綺麗な顔立ちの女の子。

中学までの記憶ではそこまで長くは無かった髪が、腰の近くまで伸びていた。

「はわわ……はわわ……」

見れば、エレーナの目が点になっている。

違うんだエレーナ、オレは何も知らない!

これはいったい?!

いや、元はと言えば、コイツはお前が連れてきたんじゃ――。

「はわわわわ……」

「咲夜!? 咲夜だよな!? いきなり何を?!」

その女の子は答えてくれた。

オレの手を、そして腕を手にとって、オレの問いに応えてくれた。

でも、応えただけで、答えになんてなってなかったよ。

そう、その上その応えは斜め上のものだった。

「もう放さないわ。イサミ」

――は? 数年ぶりに再開したかと思ったら、なにを言い出す咲夜さん。

「はわわ、咲夜ちゃん……。そんな……」

「もう、放さない。私はそのためにこの街に戻ってきたのだから」

オレはエレーナの顔を盗み見た。

オレの腕を掴んではなさい咲夜の姿に、エレーナの白い顔がみるみる引きつっていくのがわかる。

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!」

――なにか、低い獣の唸り声のような、聞いてはいけない音が聞こえてきたのだ。

それがエレーナの唸り声だと理解したとき、オレに逃げ場は残されていなかった。

「イサミちゃん……。イーサーミーちゃーんー!?」

最大級の怒気を孕んだ声は、低くかすれていた。

「何故オレに怒る!? 咲夜に言えよ!」

「ぐぬぬぬぬぅうううううううう!」

「おい、エレーナ……」

「知らない知らない! もう、知らない!」

◇◇◇

ここは駅前のゲームセンター。

なぜ居るかって?

それは咲夜に無理やり連れてこられたからに決まっている。

「はぁ!? 数年ぶりの感動の再会だと思ったら、いきなりバルジャーノンで勝負だ? そんなこと言うか普通! それに咲夜、お前だれに向かってそんな勝負挑んでるんだ? わかってるのか?」

「うん、わかってる」

「なんだと!?」

「まあまあ、悪い条件じゃないから」

「言ってみろよ」

「私が勝ったらイサミを好きにできる。イサミが勝ったら、私がイサミを好きにする。これでどう?」

「いいだろう。その勝負、受けてやろうじゃねぇか」

「ありがと」

……。

あれ?

「んって!? なんじゃそりゃぁ!? 汚ねぇぞ、咲夜! どこかで聞いたようなイカサマ言いやがって!」

「えぇー!? わたし、バカだから良くわかんない」

「なんだと咲夜。お、おまえ、いったい何を?! わかってやっているんだろ!?」

「さぁあーねぇー? だって、あなたが言ったのよ? わたしがバカだ、って」

「そんなことオレがいつ言ったよ?!」

「幼稚園の時」

「そんなの覚えてねぇーーーーーーーーーーー!!!!」

(イサミ)「おまえ、バカだなー」

(サクヤ)「?」

(イサミ)「おまえ、どうしていつもひとりなんだー?」

(サクヤ)「わからない」

(イサミ)「おまえ、どうしていつもみんなとあそばないんだー?」

(サクヤ)「わからない」

(イサミ)「おまえ――」

(サクヤ)「――うるさい!」

(イサミ)「おまえ、やっぱりバカだなー」

(サクヤ)「――うるさいうるさい! うわぁああああああああああああん」

(イサミ)「なくな! おとこだろ! おとこはないちゃいけないんだぞ!」

(サクヤ)「うう、うう、うう、うう、おとこじゃないもん……」

(イサミ)「どっちでもいいから、なくな!」

(サクヤ)「うわーん」

(イサミ)「なくなってば! なくなよ! ……そうだ! いいことおもいつた!」

(サクヤ)「……うう、うう、……なに?」

(イサミ)「オレがおまえのともだちになってやるよ! これから、ずっとずっと、ずーーーと、いっしょだからな! これでおまえはもう、ひとりじゃないからな!? さびしくなんかないだろ!?」

(サクヤ)「……」

(イサミ)「うれしくないのかよ!」

(サクヤ)「……うう、うう、だって、いじめるもん」

(イサミ)「おまえ、やっぱりバカだなー」

(サクヤ)「……うう、いじめる」

(イサミ)「オレ、くろすいさみ。おまえは?」

(サクヤ)「うう、うう、うう、……」

(イサミ)「おまえ、なまえもいえないのかよ!?」

(サクヤ)「……サ……」

(イサミ)「サァ?!」

(サクヤ)「うう、うわーん! サクヤ! サクヤだよう!」

(イサミ)「サクヤ? じゃあサクヤ! きょうからオレとおまえはともだちだ。いいな!」

(サクヤ)「うわぁああああああああああああああああん、うわぁあああああああああん!」

(エレーナ)「せんせー! イサミちゃんがー! イサミちゃんがー! せんせー!!」

「あら。じゃ、中学一年のとき」

「知らねぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

(イサミ)「咲夜、これ、お前の帽子だろ? 取り返してきた」

(咲夜)「いらない」

(イサミ)「じゃあ、これ、オレのモノだから。お前にやるよ。プレゼントだ」

(咲夜)「……ありがとう。もらっておくわ」

(イサミ)「わけわかんねぇ」

(咲夜)「どうせ、私はバカなんでしょう?」

(イサミ)「学年トップの台詞じゃないな」

(咲夜)「認められなきゃ、意味がないもの。見ていてくれなきゃ、虚しいだけ」

(イサミ)「わけわかんねぇ。やっぱ、お前、バカだよ」

(咲夜)「……そう言ってくれるのは、イサミ。もうあなただけよ」

「そう? やっぱり、いじめっ子は言うことが違うわね。毎回毎回感心するわ? そんな言い訳」

「……」

「それとも何、ゲームガイで出た最新ソフトを、彼女ほっぽり出して一時間もベンチでプレイするほどの病的マニアなのに、素人との対戦が怖いんだ。へー。怖いんだ。――チキンね」

「なんだとぅ!? おもしれえ、やってやらあ! 後で吠えズラかくなよ?! 絶っっっ対、泣かせてやる!!」

「はぁ? やってみれば?」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬ! 咲夜のくせに!!」

まぁ、事の真実は、乗せられたオレが一番のバカだった、と言うことだ。

◇◇◇

You Lose

今日、この画面を目にするのは幾度目だろう。

……このオレが、咲夜ごときに負けるだと?

……一勝もできずにオレは終わるのか!?

「イサミ、ホントにこのゲーム得意なわけ?」

「……」

辛辣な言葉に、返す言葉もなかった。

――なんということだ。

――オレの薄っぺらいプライドが……。

「あ、勝者の報酬の件だけど、今は留保しておくわ。――ここぞというときに行使させてもらうから。じゃ、今日は嬉かった! また明日ね! イサミ! エレーナ!」

「……」

「イサミちゃん、今日、咲夜ちゃんにカッコいいトコ、一個もなかったね」

エレーナよ。

お、お前にだけは言われたくなかった……。

ちっっきしょぉおおおおおおおおおおおおお!!!

◇◇◇

もう、日も落ちてとっくに暗くなってしまった帰り道でのことだ。

エレーナが何か言いたそうだったので聞いてみた。

「ねぇ、イサミちゃん。咲夜ちゃん、帰ってきたんだね」

「そうなんだな。3年ぶりになるのかな?」

「うん、そうなるね」

「……」

「……」

「ねぇ、イサミちゃん」

「なんだよ?」

「わたしたち、また仲良くやっていけるよね」

「なに言ってんだ? 当たり前じゃないか。ついさっきまで、なんだかんだと騒いでたのは、エレーナ、お前だろ?」

「そうだね、そうだよね。わたし、なにを言ってるんだろ。あはは」

「心配しすぎなんだよ、エレーナは」

「うん」

「……」

「ねぇ、イサミちゃん」

「ん?」

「お願いが……あるんだ」

「なんだよ。言ってみろよ」

「あのね? あのね? もし、もしよかったら……だけど」

「早く言えよ」

「う、どうしてそういう事、言っちゃうかな? ……人の気も知らないで……」

「で、なんだって?」

「……待って。待ってよ。……うん。言う、言うぞー! さー、言うぞー、言っちゃうぞ! がんばれエレーナ! 言うんだ!!」

「な、なんだよ? なにをやってるんだお前。急に深呼吸なんかして」

エレーナが、いつになく真面目な視線をオレに向けてきたと思ったら。

「イサミちゃん! わたしに……して」

「は?」

「……スして」

「なんだって?」

「キスして! わたしにも! 咲夜ちゃんとだけなんて! ずーるーいー!」

「……」

「ずるいってば!!」

このバカはなにを言い出すかと思えば。

そんなことを考えてたのか。

あんなの事故だ、事故。

ん? そういや、エレーナの顔、妙に息が荒いな?

オレはエレーナのおでこに手を当て、その温度をオレのそれと比べてみた。

あー。ちょっと、ほてっているような。

「エレーナ。ちょっと熱あるだろ」

「え?」

「うん、今日は付き合ってくれてありがとうな。こんなに暗くなるまで連れまわして悪かった。今夜も寒くなると思うから、急いで帰ろう。な?」

オレはエレーナの頭を右の手の平で撫でる。

「……う、うん」

「さ、行くぞ。おじさんもおばさんも、首を長くしてお前の帰りを待ってる」

「そうかな?」

「さすがに今日は遅いからな。帰って来てるんじゃないか?」

「うん……そうだね。そうかもね」

「ま、帰ろうか」

「……うん」

エレーナはそれ以上、何も言わなかった。

――言わなかっただけだという事を、このときのオレは考えもしなかった。

2002年 1月 14日 月曜日

「このカイゼル、なかなかやる!」

ここはフェイントで……く、ここで弾幕だと? オレの動きを読まれている!?

いったん後退、誘い出して近接だ!

「なっ!?」

コイツ急に加速しやがった!

なんなんだ、チートか? 隠しコマンドか!?

くそ、近接防御しつつ回避って、まにあわな……。

何なんだこのスピードは!?

「このカイゼル、化け物か!?」

YOU LOSE

「……」

公式設定には存在しない動き。

ま、おれもまだまだ研究しなきゃ、ってことか。

さすがバルジャーノンは奥が深いぜ……。

くそう、燃えてきたぜ。

リトライだ、リトライ……。

……。

…。

◇◇◇

「あら。うちのバカ息子、まだ寝てるみたいね」

「おば様、ありがとうございます。後は任せてください!」

「はいはい。さ、思う存分やっちゃって」

「はい!」

◇◇◇

……ん?

ゆさゆさ。

……ん?

ゆさゆさゆさ。

……なんだ?

「あ、起きた」

……んん? ……!? ……んーー!?

柔らかい……なんだ??

「おはよ、イサミ」

聞きなれない、だが心の底まで馴染んだ声がした。

「ぷはぁ、なんだなんだ?!」

「ご挨拶ね、せっかくこの私がわざわざ迎えに来てやったのに。まだ寝てるなんて」

!? この声は――咲夜!! って事は――この白いのは咲夜!?

「さ、咲夜!!」

――どうしてお前がここにいる!?

なんと言うことだ。

白稜柊の白い制服に身を包んだ咲夜がオレに覆いかぶさってるじゃないか!!

「まだ寝ぼけているようね。いいわ。夢の続きを見させてあげる」

咲夜が目を細めてオレに迫る。顔が、顔が近づいて……。

体は硬直したように動かない。咲夜の涼しげな香りがオレの鼻を刺激する。

咲夜のこの眼!! 覚えているとも!! それがどんなに危険で、そして魅力的だったか。

怪しい想い出に浸ってどうするオレ!!

や、ヤバイ、喰われる!? 喰われるって!!

不本意ながら、お互いの唇が触れ合ったそのとき――。

「イサミちゃーん! 朝だよー!! 毎日ちゃんと起きないと駄目じゃ……な……い……!?」

あ。闖入者。

「……あわわ……あわわわ……」

「あら、エレーナ。おはよう。遅かったわね」

バ、バカ野郎、挑発するなって!?

「……ああああああああ……」

「イサミの奴、目覚めのキッスでも起きないのよ。いつもあなたどうやって起こしてたの?」

なんてこと言いやがるんだ、この大バカは!?

そうさ。

エレーナは。

エレーナの鉄拳はこれっぽっちも容赦してくれなかった。

「………い……さ……、い……さ……み……ちゃんの! バカーーーー!!」

第一章

咲夜め。

あの女、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、自分急いでいるからとオレ達を置いてさっさと走って先に行きやがった。

急いでいるなら来るんじゃねぇよ。

まったく、後で会ったら覚えてろよ!?

んで、エレーナの機嫌といえば、最悪を軽く通り過ぎていたんだな、これが。

「もう、最低だよ……」

エレーナがどんよりと呟いた。

「だからあれは不可抗力で」

「イサミちゃん、信じたいよ……」

「……」

「でも、信じられないよ……」

「エレーナ、すまん」

「もう、いいよ……どうせわたしなんか……」

「……」

「咲夜ちゃん、昔から美人だったけど、ますます綺麗になって帰ってくるし……」

「……」

「前よりずっと、ずーっとずーっと積極的だし……」

「……えい」

オレはなおも愚痴を続けようとするエレーナの両のほっぺを思いっきり引っ張った。

「咲夜ちゃん――んーーーー!? ぐばば!? んーーー?!」

……。

エレーナ。

すまん。

こういうときはだな……。

しばらく両手足を振り回してじたばたしていたが、おとなしくなるまでとりあえず引っ張ってみた。

適当なところで許してやる。

「こらーーーーー! いきなり何するかーーーー!!」

いつもの怒り零れるエレーナの顔。

「うんうん、エレーナはやっぱりこうじゃないとな」

元気な顔が似合ってる。

心の底からそう思うよ。

「ムキーーー! 怒ったぞーーー!!」

胸の前で、硬く握られたエレーナの両拳はプルプルと小刻みに震えていた。

ここは――そうだな。

「エレーナ、オレたち、また三人で登校できるようになるんだよな」

エレーナの大きな緑の目が見開かれた。

「え?」

「お前を色眼鏡で見ない人間が戻ってきたんだ。良かったな」

「――うん。うん!」

「仲良く、やっていこうな?」

「うん! そうだね。イサミちゃん!」

満面の笑み。

「さ、行くぞ!」

よし! 誘導成功!

エレーナの本心はわからない。

実のところ、どう思っているのかも。

だけど。

いつもと変わらない今のエレーナの笑顔を見て、オレが安心したのは確かだ。

◇◇◇

白稜大付属柊学園、校門前の地獄坂。

今は登校途中の大勢の生徒の姿が見える。

「この制服を着て、この坂を上るのもあと二ヶ月足らずか」

「そうだね」

「でも、明日から咲夜も一緒に通えるんだな」

「うんうん!」

「昨日、待ち合わせに遅くなったのは、咲夜と話していたのか?」

「うん! 昨日は本当にびっくりしたよー。咲夜ちゃん、急に後ろから声をかけるんだもの! わたし、驚いちゃった」

「後ろからでもエレーナって判ったんだな。咲夜は」

「あはは。きっとこの髪のせいだよ」

エレーナの笑顔が映える。

エレーナの銀の髪。

流れるように美しい、膝下まであろうかという超ロングのプラチナブロンドだ。

「わたしのお父さんとお母さんが、わたしにくれた素敵な宝物だからね」

「エレーナ……」

ドクン――。

オレの鼓動が高鳴って――。

は!?

冗談だろ!?

不覚にもエレーナごときに見とれてしまった。

「大丈夫。大丈夫だよイサミちゃん。わたし、寂しくなんかないよ! イサミちゃんがいるしね。咲夜ちゃんも戻ってきてくれたし! きっと、これからもっともっと楽しくなるよ!!」

「そうだな。オレもそう思うよ」

「大丈夫! さ、いこ! 早くしないと予鈴が鳴っちゃうよ!」

エレーナが校門に向けて駆け出した。

「おい、待てよ!」

「あはは、待たないよーだ!」

◇◇◇

エレーナが一足先に教室に飛び込んだ。

「到着!」

「結局、教室まで競争かよ」

「へっへーん、今日はわたしの勝ちだよー!」

「畜生、まぁ、いいけどよ」

「あなた達、いつもいつも元気ね」

眼鏡のお下げの委員長が今日もオレの目の前に立ちはだかった。

「そうか?」

「嫌味で言ってるんだけど」

「おはよう! 榊さん」

「ええ、おはよう。ストレリツォーヴァさん。ついでに黒須君も」

委員長がオレを露骨に差別したような気がした。

「いつも早いな、委員長は」

「あなたが遅いんでしょ? 黒須君? もっと早く家を出れないわけ? どうしていつもギリギリなのよ」

「はいはい。努力するよ。じゃあな、委員長」

「もう!」

いつものように、もはや通過儀礼となった委員長との朝の会話を済ませると、委員長を押しのけようとした。

「ちょっと、黒須君!」

委員長め、まだ何か用か?

えーと。

あ、社。

ちょうどいいところに! ウサギリボンの社を発見だ!

「よう、おはよ社。今日もウサギさんか?」

オレは委員長を無視して、たまたま近くにいた社に声をかけた。

「……おはようございます、黒須さん」

「社、良い事を教えてやる」

「……なんですか」

「委員長がお前に用があるそうだ。なんでも直ぐ怒る病気の治し方を教えて欲しいらしい。すまないが、オレの代わりに力になってやって欲しい。――頼めるか?」

「……はい、やってみます」

素直に頷く社。

おー、素直素直。

なかなか可愛いところあるんだな。

「ちょ、ちょっと黒須君! どういうことよ! あ、社さん、邪魔しないで!」

……。

「ちょっと! 黒須君、覚えてらっしゃい!?」

◇◇◇

「ね、ね? 咲夜ちゃん、何組だろうね?」

オレの机の前に張り付いたエレーナが何か言っていた。

「さぁ?」

「せっかくだからさ、一緒のクラスがいいよね!」

正直、どうでもいい。

そんなことよりも、オレは今朝の寝起きの出来事が頭を過ぎっっていた。

そうだなぁ。

エレーナには悪いが、できれば別クラスの方が平和のような気もする。

――咲夜と一緒のクラスなんか、冗談じゃない――。

「それはそうだけど、こればかりはな」

「もう! イサミちゃん、クラス別々になったほうがいいと思うの!?」

「そんなことないさ」

「でしょでしょ? ね、イサミちゃん? 今から職員室に行って、お願いしてこない?」

な、なにを言い出すかと思えば。

「お前バカだろ? な? エレーナ。お前、自分のことバカだと言ってくれ」

エレーナが一瞬固まる。

あ、考えてる、考えてる。

そして。

案の定、激怒した。

エレーナは椅子を蹴りたおすと、オレに食ってかかってきたよ。

「ぬぁんだとーーーー?! わたし、真面目に言ってるんだぞーーーー!!」

「オレたちがどうこう言って、どうにかできるわけないだろ? それに、もう時間が――」

「ぐぬぬ!!」

「しかたないだろ? な?」

「……」

エレーナが急に押し黙る。

エレーナが視界に何かを捉えたようだった。

見れば、視線の先には御剣の超ブルジョワ姉妹がいるではないか。

「……?」

エレーナの表情が急に優しくなる。

嫌な予感がする。

「そうだ! 御剣さんたちにお願いしようよ! きっと上手く行くよ!!」

言うに事欠いてそれか。

「おいおい、そりゃぁ、上手く行くだろうけど、どうやって御剣たちにオレたちの言うことを聞いてもらうんだよ、それに、あいつらを説得してる間にホームルーム始まっちまうだろ?」

「……それもそうだねぇ」

「お前にしては、方法はともかく成功しそうな案だったぞ。褒めてやる」

「はぁ、良い考えだと思ったんだけどなー」

◇◇◇

「ねぇ、榊さん、今日転入生がくるって聞いたんだけど」

「ええそうよ。神宮司先生から聞いているわ。鎧衣さん」

「私は香月先生から聞いた」

「えー?! 彩峰さん、それ本当なの?」

「……そんな夢を見た」

「えー。夢の話だったの?! そりゃないよー」

「……真っ赤な嘘」

「もう、酷いよー」

「三年ももう残すところ二ヶ月程度だぞ? そいつ何を考えてるんだ?」

「タケル。その者にはその者なりの深い事情があるのだろう。あまり詮索するでないぞ」

「そうですわ。人にはそれぞれ、歩むべき道があるというもの」

「お前らが言うと、なんでもないことでも深刻に聞こえるから止めろ」

「そうだな、そなたの言うとおりだ。タケル。すまなかった。私としたことが。許すが良いぞ」

「武様。とは言うものの、敵を知り、己を知れば百戦危うからず、と申します。備えあって憂いなし。そうではありませんか?」

「そうであった。さすがは姉上。私の心構えはいつでもできている」

「冥夜、その心意気です。私達は御剣なのですから」

「はぁ、あなた達はいったい何と戦ってるのよ……」

「どんな人だろうね、タケルちゃん――」

「……みなさん、神宮司先生です」

オレのクラス、3-Bはいつも通り。

うるさいことこの上なかった。

それはオレの担任である、まりもちゃんが教室に来てからも変わる事はない。

「みんな、おはよー。じゃあ、早速だけど、出席取るわね?」

◇◇◇

「先生! 神宮司先生!」

「なぁに? 珠瀬さん」

「今日、転入生が来るって本当ですか?」

「あら。もう知ってるの? まぁいいわ。その話は本当よー。皆知ってるのなら話は早いわ。紹介してしまうわね。――月環さん、入ってきて」

彼女が教室に入ってきたとき、空気が変わった。

一瞬で皆の注目を奪ったのだ。

興味本位の視線を手に入れたのではない。

咲夜の独特の、計算されたとしか思えないスラリとした姿勢とキビキビした動作が。

それが咲夜独特の美貌と相まって皆の視線を釘付けにしたのだろう。

――なんだか、オレ一人、教室の連中とは別のことを考えているのかもしれないな。

でも、咲夜。

オレたちと同じクラスだったのか。

オレの期待は外れたけど、決まってしまったものは仕方がない。

結果、これで良かったと思えるようにするだけだ。

喜べエレーナ。

これで三人一緒だ。

◇◇◇

皆の視線を一身に受け、咲夜が壇上に立つ。

計算されたが如き咲夜の動き。

その動きの一つ一つを取ってみても、美しく見えることを至上命題といているかのようだった。

その咲夜はチョークを手に取るや、背筋を真っ直ぐに伸ばし力強く、しかし繊細に自分の名前を大きく板書する。

文字の線が引かれるたび、隣でそれを眺めていたまりもちゃんの顔から笑顔が消えてゆくのがわかる。

そう、黒地に白で描かれるその文字は、さながら文部科学省検定教科書から抜き出したが如く、全体の大きさやそのバランス、線の太さまで、完璧な美の空間をそこに生み出していた。

誰かが思わず洩らすため息。

「――なんと――これほどまでに素晴らしきもの、今までに見たことがない。美しさの中にも情熱と力強さが垣間見え、それでいて気品と繊細さをも主張する。音に聞いた月環殿の至玉の一筆、まさかこの目で拝める日がこようとは――この御剣冥夜、眼福の極み」

静かな教室に響いたのは御剣冥夜の賞賛の一言だ。

ただ、その内容はオレのような下々には意味不明だったけど。

そして、その言葉を聴いた悠陽もまた、手放しで絶賛するのだ。

「あれこそ九條の美の真髄。己が言葉がこのように陳腐であると自覚させられるほど、なにをとっても素晴らしいの一言。あのような美の極致、まさかこのような場で目にすることが出来ようとは。この悠陽、感激の念に耐えません。――冥夜、しかと焼き付けましたか?」

「――しかと姉上。今日と言う日の廻り合わせに感謝しておりました。きっと姉上も同様の事でありましょう?」

「もちろんです、冥夜。この玉石にも勝る幸運、一生忘れますまい」

「――はい、姉上」

この二人がなにを言っているのかはさっぱりわからないが、咲夜の字を褒めているのはなんとなくわかった。

名前を書き終えた咲夜がオレたちに向き直る。

眩しいことこの上ない、咲夜のスラリと伸びた足。

直立不動のその姿勢は、さながら日本人形のようだった。

流れるままに任せてある腰まである黒々とした長髪は、咲夜の端正で小柄な顔を包み込むと共に、咲夜の細く引き締まった体の線をより一層、際立たせていた。

いまだ固まっているまりもちゃん。

「神宮司先生? なにか?」

咲夜が鈴を鳴らすような声で促す。

「あ、ああ、ゴメンね。月環さん」

「彼女は月環咲夜さん。ご家庭の都合で、こんな時期だけど急に転入が決まったの。白稜大への進学が決まってるそうよ。そうよね?」

「はい。『つきのわさくや』です。皆様には咲夜とお呼びください。末永くお引き立てのこと、どうか宜しくお願いします」

咲夜が微笑みつつ答えた。

皆が呪縛から解かれたかのように、教室に普段の喧騒が戻ってきた。

そして――。

何故こっちを見る、咲夜。

「ありがとう、月環さん」

「いえ、神宮司先生」

「そうねぇ、月環さんの席は……」

「ハイハイ! 神宮司せんせー イサミちゃんの後ろが空いてまーす!」

エレーナの暢気な声が教室に響いた。

エレーナめ、余計なこと言いやがって。

まあ、確かにオレの後ろは空いている。

オレの荷物スペースを奪うつもりか、エレーナよ。

オレはエレーナを睨み付けつつ、声を上げたエレーナから正面に立つ咲夜に視線を戻す。

――ん? 今、咲夜、眉を潜めなかったか!?

気のせいか?

「私の右隣も空いてまーす。神宮司先生!」

珠瀬も負けじと隣の空席をアピールしていた。

咲夜が口を開く。

「あの席、いいですか? イサミ……黒須君の後の席」

沈黙。

痛いほどの沈黙だった。

「え? 黒須君の知り合い?」

「はい、昔、ちょっと」

――ザワ。

オレは敵意と興味が入り混じる、皆の視線を自覚した。

正直に言おう。

――オレは今すぐ逃げ出したくなったよ。

◇◇◇

その意味を理解したのだろう、教室中がにわかに騒がしい。

「あら、白銀君、残念そうね?」

まりもちゃんが白銀に白羽の矢を立てたようだ。

まあ、その判断は正しいよな。

白銀を生贄に今の騒ぎを抑えるつもりなのだということだ。

そして、白銀と鑑のいつもの夫婦漫才が始まる。

「たーけーるーちゃーんー?!」

「まりもちゃん、何言ってるんだよ?」

「こら! 白銀君! 神宮司先生、でしょ!?」

「どりるみるきぃぱんち!!!」

「ご、誤解だ、――まぞーーーーーーーーーーん!?」

まったく騒々しい。

でも、白銀は見ていて楽しいから、あれはあれで良いキャラだと思ってる。

◇◇◇

まりもちゃんに促され、咲夜がこちらにやってくる。

咲夜がひらひらと右の掌を振っていた。。

なんだよ、宜しくってか?

「指定席かよ!?」

そう咲夜に噛み付くと、軽口を事もなげに返してくれた。

「嬉しい?」

「何言ってるんだ、バカ」

「また、一緒だね」

「まぁな。また一緒に仲良くやろうな。エレーナも一緒にさ」

「……そうね」

「?」

違和感。

気のせいかもしれない。

いや、きっと気のせいさ。

「やったね、イサミちゃん!」

エレーナが嬉しそうに指で合図をしてくる。

「ああ」

オレはエレーナに軽く頷いた。

――咲夜のオレを見る目が痛い。

ホント、気のせいだよな?

◇◇◇

――やっと午前の授業が終わった。

学食に行こうとするオレの機先を制し、咲夜が口を挟んできた。

なんだなんだ?

「イサミ、背が伸びた?」

「今頃気づいたのかよ」

「昨日、爪先立てないと届かなかったからね。唇に」

な、なにを言い出す!

オレは堪らず噴出した。

「うっわ。き、汚いよー、イサミちゃん」

いつの間にか隣に来ていたエレーナがオレをなじる。

「すまん」

「それはそうと、イサミ、エレーナ。食事にしない?」

「うんうん!」

「そうだな。学食に行くか」

オレが先に行こうとすると、腕をがしっと掴まれた。

「待って。いいものを持って来たの」

咲夜がはどこに隠していたのか、大きな包みを取り出した。

「?」

「おおおおお! お弁当だー!」

「咲夜! まさかお前が作ったのか?!」

「まぁね。せっかくだから、食べてよ」

「うんうん!」

「おおお、――い、いや、待て。お前……咲夜、料理できたっけ?」

オレのその言葉に、咲夜は不敵な笑みを浮かべた。

「私を昔の私と思わないことね……!!」

オレはエレーナと顔を見合わせる。

エレーナも思い出したらしい。

もともと白い顔がさらに青ざめていた。

おそらく考えている事はオレもエレーナも一緒なのだろう。

あれはいつ頃の話だっただろう……黒焦げの、かつて卵であった塊や、溶け崩れた姿をした、お結びと称される甘さの際立った米粒の集合体。

そんなものの数々――かつての咲夜の至高のメニュー――がオレの頭をよぎった。

「イサミちゃん……」

「お、おう、エレーナ……」

オレとエレーナの視線が絡み合う。

エレーナは決めたに違いない。

エレーナの固い決意が手に取るように見て取れた。

エレーナが覚悟を決めた以上、オレがうろたえるわけにはいかない。

そうだろ?!

「今日ねー、登校初日でしょ? 私、がんばったんだー」

……。

なにが飛び出すのだろうか。

不安ばかりが先に立つ。

桜の花をあしらった極彩色の風呂敷を解くと、精緻な蒔絵を施された漆塗りの重箱が厳かに取り出される。

危険すぎる。

がんばりすぎだ、咲夜。

――今日、オレたちが賞味することになるのは至高か究極か――。

エレーナもオレと同じ事を思ったに違いない。

見れば、息を呑むエレーナがいる。

オレたちの心中を知ってか知らずか、咲夜は弁当と言う名の地獄の釜の蓋を開けるのだった。

「じゃーん。凄いでしょ!?」

……。

オレとエレーナは三度、顔をを見合わせた。

エレーナの顔が驚愕に引きつっていた。

いつもの笑顔は崩れ、禁断の領域に踏み込んでしまったかのよう。

そう。

卵焼き、俵お結び、野菜の肉巻き、蓮根の煮物。などなど。

『和』の様式で占められたそれは、確かに「原形を止め、味を推測できるもの』だった。

いや、百貨店の見本でさえ、こうは整ってはいまい。そしてきっとそれは――極上の美味が約束されている――と、思いたい。

咲夜は笑顔で言い放つ。

「どう? 驚いた? 私、練習したんだから! さ、せっかく作ってきたんだから、食べて食べて!」

エレーナの首がぎこちなく動き、その緑の瞳がオレを見上げている。

目が、その碧眼が、オレに毒見をしろと。そう――雄弁に語っている。

「じゃ、じゃぁ、咲夜、いただくぜ……」

「うんうん!」

オレは卵焼きにしか見えない、照り輝く黄金の物体を箸に掴み、口まで持って行く。

一口で食べる勇気はオレにはなかった。

少しだけ齧ってみる……!!

なんだこれは。

こんなものがこの世に存在していいのか。

これが世に言う、オーパーツ――。

ありえない。

ありえない。

ありえない。

大切なことだから三度言いました。

オレが黙っていると、エレーナが心配そうにオレの顔を覗き込んできた。

「イサミちゃん……?!  どうし――!  んーー!  んーーー!」

オレは食いかけの卵焼きらしき物体をエレーナの口に押し込んだ。

「んーー?! んーー?!」

「いいからお前も食え!」

エレーナが目を白黒させる。

ん?

げ、お前! エレーナよ。

どうして泣く?! 泣くほどのことか?!

「咲夜ちゃん、おいしいよー! すっごく美味しい! 凄いよ!!」

まぁ、たしかに食える代物ではあるな。

オレは正直な感想を口に出してみる。

「ああ、びっくりした。信じられない。咲夜、これ、ほんとにお前が作ったのか?」

「どう? 見直した?」

「見直すも何も、なぁ?」

「うんうん!」

どこかぎこちなかった咲夜の顔がほころぶ。

それはとても柔らかな笑顔だった。

◇◇◇

あー、食った食った。

まさかあの咲夜がこれほどの味を出すとはな。

――きっと、鬼のような猛特訓をしたに違いない。

昔から、根性と執念だけはあったからな、アイツ。

――咲夜か。

……。

昔から、結構ハチャメチャだったような。

エレーナが輪をかけて無茶苦茶だったから、後ろで霞んでいた様な気もするけど。

第二章

「よしよし、今日もここまで、っと。おー、エレーナ! 帰ろうぜ! ――咲夜、帰るぞ」

いまだ机でゴソゴソやっているエレーナと、鞄を手にした咲夜に声をかけた。

って、咲夜? どこに行って――なにしてるんだあいつ?

オレはそこで恐るべきものを目撃することになる。

◇◇◇

「お久しぶりでございます。――御剣――冥夜様」

「月環殿、そのような物言い、お止めください。同じクラスメイトではありませんか。どうか冥夜、とだけお呼び捨てください」

「御剣の至宝をそのようにお呼びするなど、私にはできません。まして、お世話になった先代に会わせる顔がないというもの」

「そのように硬くお考えにならず。私からもお願いします。月環様」

「悠陽様」

「それです、それ。――どうか私どものことは悠陽、冥夜とお呼び捨てください。その代わり、お近づきの印にあなた様のことを咲夜、とだけお呼びしたく存じます。お許し願えますか?」

「ああ、そのようなこと――本当によろしいのですか?」

「はい。もちろんです。咲夜さん」

「当然です」

「お心遣い、感謝いたします。悠陽さん、冥夜さん」

「はい。咲夜。今後とも、宜しくお願いしますね?」

「こちらこそ。もちろんです」

「では、私どもはこれで。それではご機嫌よう、咲夜さん」

「――ご機嫌よう、悠陽さん、冥夜さん」

◇◇◇

いま、恐ろしい会話を聞いたような気がする。

ここは、教室ではなかったのか。

何故に、こんな恐ろしい会話が流れてくるのか。

オレはその原因をとりあえず後ろから叩いた。

「きゃ!」

「きゃ! じゃねぇよ咲夜! なにハイソな会話してやがる!」

「イサミ……なに言ってんのよイサミ! 営業に決まっているじゃない!」

「なにが営業だ! バカかお前!!」

「バカとは何よ! これは『雪月花』の営業よ! 先祖代々、御剣財閥はお得意様なの! あんたと違って丁寧に受け答えするのは当たり前なんだから!」

は? 料亭『雪月花』の営業?

「営業?」

「そうよ! お兄様が南米ペルーに遊びに行ったっきりもう何年も戻ってこないのよ! おかげで私はあの『雪月花』を継がないといけなくなったのよ! がんばらなきゃ、なの! こんな私を可哀想に思うなら、イサミも協力してよ!!」

「はいはい」

「え……本当に協力してくれるの? 意外――ね?」

「そか。あの兄ちゃん、そんな事が……。今まで気にもしなくてゴメンな。でもよ、咲夜。なにをボケたこと言ってるんだ? ともだちが困ってるときに手伝わないでどうするんだ」

「え?」

「オレに任せとけよ。……とは言っても、できる限り、って言う条件付だけどな」

「う……うん。ありが……と」

「ま、そんな事は置いといて、さっさと帰ろうぜ」

「え? ああ、そうね。うん、帰ろ?」

「ああ。――おい、エレーナ! なにしてるんだよ」

オレはエレーナに向き直る。

エレーナはエレーナで、これまた謎の行動を取っていた。

机の中身を全部引き出しては、ああでもない、こうでもないとブツブツ言っているじゃないか。

「おっかしいなー。文芸部の後輩から頼まれた卒業文集の原稿、どこか行っちゃったみたいなんだー」

「おいおい」

「どんな原稿なの?」

「ええとね。プリントアウトしたやつだから……250枚くらい」

「……そんな分厚い紙の束、簡単になくなっちゃうわけ?」

はぁ? 卒業文集の原稿ってそんなに分厚いのか?

原稿用紙250枚ってありえないだろ? まあ、いいけど。

「そうだよねぇ、おかしいよね、あはは。……でも、どっこ探しても、ないんだよー」

「仕方ねぇな、オレも探してやるからちょっと退いてみろよ」

「え? え? いいよ、いいってば、イサミちゃん……」

「いいからいいから。お前に任せてたら夜になっちまう」

「酷いなー!」

「うるせーよ、どけどけエレーナ!」

オレは強引にエレーナの手を引いて、席から退かした。

「いたた、痛いってば! もう!」

「あら?」

咲夜がエレーナの鞄の下敷きになっていた紙束を手に取る。

「『君が望む未来』……これじゃないの? エレーナ」

「「あ」」

「あったー!」

「なんだよ、どうやったらこんな大きなもの見失うんだよ」

「ゴメンゴメン」

「えーと……」

咲夜が原稿を読み始めた。

「『それは、とてもちいさな とてもおおきな
とてもたいせつな あいとゆうきのおとぎばなし――。』」

「わー! 止めて止めて! はずかしいよー!」

「いいじゃない。ちょっと読ませて? ね? 面白そうだし」

「どれどれ」

……。

それは、確かに愛と勇気の御伽噺だった。

……。

「『1958年。その年は、人類にとって忘れることのできない年となった。人類は、この大宇宙で孤独な存在でないことを遂に知ることになったのである。火星に派遣された無人探査機によって発見された、火星表面に生息する数種の生命体。それが、何よりの証拠となった。人類はこの事実に狂喜し、共通の夢と希望を見出して我先にと宇宙開発に邁進した。

続く、1967年。月。月面恒久基地において人類はファーストコンタクトに成功する。――しかし、それは血の惨劇をともなう最悪のものであった。後に、BETA(Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race)、人類に敵対的な地球外起源種と命名された異形の生物群は、月において人類を圧倒する。

そして1973年。BETAは地球降下を果たし、その恐るべき環境変化耐性と強靭な生命力、そして圧倒的な物量を用いて人類を――地球上の生物を駆逐した。

時に、2001年、10月。必死の反抗も虚しく、ユーラシア大陸のほぼ全域から駆逐された人類は絶対防衛線を張り、今日まで絶望的な戦いを約30年の長きにわたり繰り広げていた。

このとき、世界人口は約10億人。

人類には――地球には、滅亡の足音が。確実な未来の姿として迫っていた――」

「……」

「……」

「……なにその詰みゲー。おい、エレーナ。それ、愛と勇気でどうにかなるんだろうな?」

「……卒業……文集……の原稿よね?」

「あは……あはは……」

「夢も希望も……ないぞ?」

「……SF好きなのは知っていたけど、これ、酷す……でも、良く書けてる……文集にふさわしいかどうかは別の話……」

「しっかし、お前のことだから、てっきりウサギの出てくるようなお子ちゃま向けの童話かと思ったら……よりにもよってハードSFかよ」

「ええ、意外だったわ」

「あはは! いつまでも、お子ちゃまじゃないですよーだ!」

「どの口が言うか!」

すかさずエレーナの両のほっぺを引っ張った。

「うぐぐぐ、うごうご……!!」

まあ、充分伸びきったところで離してやる。

「あいたーーー!! なにするかーーー!」

「エレーナのくせに生意気な口を利くからだ」

「ひーどーいー!」

「まぁまぁ」

エレーナが涙目で訴えてくるので、今日はこのくらいで勘弁してやった。

◇◇◇

「エレーナ、部活なんてやってたんだ」

「うんうん!」

「……イサミも、一緒だったの?」

「幽霊部員だけどな!」

オレは胸を張って宣言してやった。

――なぜか、二人の視線が痛かった。

「……そう。……私も文芸部入ろうかな……」

「「はぁ?」」

「……ダメ、……かな」

「ダメじゃないだろうけど、……この時期に?! ……活動もなにもない、ってのに?!」

「……だよねぇ……あはは、忘れて忘れて!」

「……分かった。ななみ先輩に掛け合ってみるよ!! まっかせなさい!! 咲夜ちゃん!!」

「「へ?」」

――先輩? ああ、あの人かな? 怪我でダブリの。

あの人、文芸部だったのか。

名前はなんと言ったっけ? 覚えていないな。

◇◇◇

部室棟なんて久しぶりだ。

入部以来、ってやつか?

ハハハ!

――笑えねぇ……。

◇◇◇

文芸部――。

そう、表札にはある。

エレーナは、その扉を三度ノックした。

そしてその口から謎の言葉が迸る!!

「Здравствуй товарищи! ちはー、同志諸君!」

「「――?!」」

「は? エレーナ、お前なんだそりゃ?!」

いまどき同志って。

「同志エレーナか。入りたまえ」

低く、無機質な女性の声がする。

……。

「あ、ななみ先輩いるいる! よかったね、咲夜ちゃん」

「……うん」

咲夜の顔が少し強張っていた。

緊張でもしているのかな?

◇◇◇

あ、やっぱりあの人だ。

あのセミロングの髪の人がななみ先輩だったのか。

やや細身で少し神経質そうな目つきの鋭い――いや失敬、明らかに目つきの悪い中性的な美人。

背はそれほど高くない。

160cmといったところか。

見下すようなその視線の先に、エレーナがニコニコと進み出ていた。

しかしエレーナの冗談に冗談で返すなんて、ななみ先輩って付き合い良いんだな。

「相変わらずロシア語の勉強を進めているようで結構なことだ。発音が安定してきているようだな。同志エレーナ」

「ありがとうございます! 同志先輩!」

「その調子なら、月末の大会では挨拶ぐらいできるだろう。だが同志エレーナ、心せよ。今の貴様のレベルでは「おはようございます」が「父上、母上、朝の挨拶に上がりました」に聞こえるぞ」

「えー。やだなー」

「まぁ、そう言うな。貴様の努力には頭が下がる。同志秋田も褒めていたぞ。独学で良く続くものだ」

「えへへ」

秋田? 数学の秋田か?

あの先生、自己中なんだよなぁ。

それにしても、エレーナ、ロシア語の勉強をしていただなんて知らなかったよ。

「まぁ、此度の大会、良い機会だ。ウオッカで頭のやられた転向主義者の日和見どもに、偉大なる革命精神が極東の我が帝国の地に、今だ根強く息づいていることをしっかり教育して来い!!」

「了解であります! 同志先輩!!」

――しかし、この漫才はまだ続くのか?

「同志エレーナ! 貴様の父は誰だ!」

「我が偉大なる祖国、大日本帝国です!」

「同志エレーナ! 貴様の母は誰だ!」

「我が偉大なる母校、白稜大付属柊学園です!」

「同志エレーナ! 貴様のすべき事はなんだ!」

「我が掴むべき栄光、国際数学オリンピック金メダル獲得です!」

「同志エレーナ! 貴様と共に戦うのは誰だ!」

「我が信頼すべき同胞、白稜大付属柊学園文芸部です!」

「勇猛なる白稜大付属柊学園文芸部の一員たる同志エレーナよ! 貴様は地獄の業火で焼かれし一振りの剣! 今こそ起て! 武器を執れ! 怯懦や躊躇は背信と知れ! 祖国の興廃は常に我らの手にある!」

「はい!」

「――同志エレーナ! 我ら文芸部は身命の尽きるまで戦い抜く! かつては亡き戦友と共に在り、そして未来永劫我らと共にある白稜大付属柊学園文芸部の名に於いて、転向主義者の日和見どもを駆逐、撃滅し、必ずや貴様の手に国際数学オリンピック優勝の栄誉を勝ち取るのだ!!」

「はい!」

「――我等が祖国万歳ッ!!」

「――我等が祖国万歳ッ!!」

「「――我等が祖国、万歳ッ!!」」

◇◇◇

こ、こいつら、疲れないのか……?

エレーナと、ななみ先輩とやらはノリノリで同志ごっこをやっている。

部室には他にも女の子が数名いたが、どの子もエレーナたちのやり取りを見てケラケラ笑っていた。

どうやら、このバカ騒ぎはいつものことのようだ。

ただ、咲夜と言えば――。

あ、白くなって燃え尽きてる――哀れなやつ。

しかし、国際数学オリンピック? それにエレーナが出場するのか!?

本当かよ?

◇◇◇

「――す、すまないエレーナ。私には無理だ。これ以上、読み進むことができそうにない。――これ以上は涙で原稿を汚してしまいそうだ」

なんだそりゃ。

「初めは、その……アレな内容にびっくりしたが、読み進めていくうち、こう、なんというか、目頭に熱いものが……平和って、本当に、本当に貴重なのだな。平和のうちに、泣いたり笑ったりできている私たちは、この上ない幸せだ。――うう、私はもう限界だ。ちょっと席を外す。バナナジュースが私を呼んでいる。購入してやらねば」

……おいおい。

目が真っ赤だぞ。

◇◇◇

「え?! じゃ、じゃぁ……、この原稿……」

「え?! エレーナ? なに言ってんの? ナナミ先輩の御眼鏡にかなったんだから、当然、卒業文集に載せるわよ。ね?」

「当たり前です、六分儀先輩」

部長さんの記載許可が出たようだ。

エレーナが飛び上がって喜んでいる。

――さすがのエレーナといえども、自信なかったのか。

あの前代未聞の原稿じゃぁな……。

「で、部長、エレーナの原稿、私にも見せてよ。どれどれ……」

「やったよ、イサミちゃん、咲夜ちゃん!」

やれやれ。

ウサギのように無邪気に飛び跳ねるエレーナを見ていると、確かに平和だよな。

◇◇◇

黄色の紙パックから伸びたストローを咥える目つきの悪い先輩。

3-Aの松浦七海先輩だ。

「で? 同志エレーナ。この私にその権限は無いぞ?」

「えー!? どうして?」

「人事権は部長にある。それだけの事だ」

「同志先輩は部長じゃないの?」

「――いま、酷い寝言を聞いたぞ、同志エレーナ」

「私は構いませんよ。月環先輩でしたっけ? 文芸部へようこそ。早速、卒業文集の原稿をお願いしますね。――もちろん、250枚も書かなくて結構です」

「よかったな、咲夜。――これでお前も文芸部の一員だ」

「うん。ありがとう。部長さん」

「黒須勇海! 貴様、いまの今まで幽霊部員を決め込んでいながら、よくもまぁ抜け抜けとそういうことを! 貴様が言えた台詞か!」

「まぁまぁ、ななみ先輩、許してくださいよ」

プシュ!

……。

ななみ先輩が紙パックを握りつぶしたのだ。

見るに、ななみ先輩は怒りに震えているようだった。

「き、貴様に”ななみ先輩”などと言われる筋合いは無い! 黒須! そこに座れ、今すぐ座れ! 私自ら教育してやる。――それとも貴様、シベリアでジャガイモの皮を延々剥きたいか?」

「ゑ?!?」

「黒須君、大丈夫だって。これ、ナナミ先輩の愛情表現だから。あなた、気に入られたのよ」

「モガミ! 私は決してそのような!」

「まぁまぁ、ナナミ先輩、もう直ぐ下校時間ですし」

「ふん、悪運の強いやつめ。――今日の幸運を神とやらにでも祈るのだな!」

あのショートヘアの子、六分儀モガミっていうのか。

オレを助けてくれたのかな?

「じゃ、用も済んだしそろそろ帰ろう。エレーナ、咲夜」

「今日はありがとう、エレーナ、イサミ」

「別になんでもないよ、咲夜ちゃん。じゃ、イサミちゃん、行こ?」

「ああ、帰ろ帰ろ。じゃあ、失礼します! ”ななみ先輩”」

バタン。

「黒須、貴っ様ーーーー!!」

ドアの向こうでオレの名前を叫ぶななみ先輩の声が聞こえた。

◇◇◇

エレーナのやつ遅いな。

まだ、まりもちゃんに捕まってるのか?

――オレと咲夜は下駄箱でエレーナを待っている。

そう。部室からの帰り、エレーナを見つけたまりもちゃんがエレーナを呼び止めたんだ。

エレーナを置いて二人で帰る、と言う選択肢もあった。

だけど、もしそんな事でもしたならば、後でエレーナがうるさいに違いない。

そんなことで泣かれても困る。

と、いうわけでオレと咲夜はここでエレーナを延々と待ちつつ駄弁ることにした。

◇◇◇

「でも良かったのか? 咲夜。店の手伝いとかあるんだろ? さっきの話じゃ。もう、外暗いぜ?」

「――うん。あのくらい大丈夫だよ。白稜柊の制服を着て、イサミたちと一緒になにかに打ち込んでみたかったから。――ちょうどいいよ」

「文芸部がか? ――もう、卒業文集しか残っていないのに?」

「それでもいいよ。いえ、むしろ、文集として後々残るものだから、特にね」

「んで、速攻書き始めてるのか? さっき、ノートに何か書いてただろ」

「そうよ?」

「――どんな内容なんだ? エレーナのSFに対抗して、お前はホラー、なんてことはないよな?」

「そんな時間あるわけないじゃない。エッセイ程度よ」

「あれか? 特になーんにも考えないで書きなぐる短い文章か?」

「ええ」

「で、何書たんだ?」

「秘密に決まってるでしょ!? それに、まだ構想段階よ!」

「なんだよ、教えてくれたって」

「イサミこそ、何書くのよ」

「オレは書かない。書くつもりもない」

「えー?! だめじゃん!!」

「めんどくさい」

「ここは、書こうよ?! 記念にー!!」

「ヤダ」

「えーー!?」

◇◇◇

「イサミちゃーん!」

まりもちゃんに捕まっていたエレーナが帰って来た。

「あ、エレーナ来た来た」

「――で、エレーナ、まりもちゃんは何の用事だったんだ?」

「えへへ、ロシア行きの話だよー」

「ああ、さっきの国際数学オリンピック、って奴か」

「うんうん。ちょっと書類が面倒なんだって」

「なるほどな」

「ま、遅くなったし、さっさと帰ろうか」

「うん!」

第三章

2002年 1月 17日 木曜日

「よーし! 今日も起してあげるからね! イサミちゃん!!」

エレーナ?

お? コレは階段を駆け上がる音!

やっと来たのか!

早く助けに来てくれ。

もうオレはダメかもしれない。

「イサミちゃん! 朝だよ! あ……さ……」

次の瞬間、ドアが勢いよく開かれた。

そして飛び入る人物一人。

よし、よく来たエレーナ。

君に皆勤賞をあげよう!

だからエレーナ、早くオレを助けてくれ。

「ああ、エレーナ。やっと来たのね。おはよ」

「おは……よ……う……」

「イサミ、やっぱり起きないのよ。エレーナ、本当にどうやってたの? もったいぶらないで教えてよ」

――お前が上に座ってるから起きれないんだ、咲夜。

エレーナ?

何をしている。

オレを早く助けろよ。

「イーサーミーちゃーんーー!?」

ああ、やっぱりそうなるのか。

やはりそう来るのか。

――理不尽すぎる。

「イサミちゃんの! バカーーーーーーーーーーー!!」

◇◇◇

「ねぇねぇ! 咲夜ちゃん!」

「なに? エレーナ」

「今日お弁当、おかずなにかな?」

うお! さっそく餌付けされてやがる!

って言うか、朝からもう昼飯の話かよ!?

「何でしょう? 当ててみて?」

「えーと、えーとねぇ……卵焼き!!」

それは鉄板じゃねぇか。

「正解! 他には?」

「えーとねぇ……お握り!!」

違うだろ? それは、おかずじゃないだろ?

「残念! 入ってるけど、それおかずじゃない!」

にこやかに咲夜。

「そ、そかそか。アハハ」

「じゃあ、じゃぁね、えーと、えーと……」

「エレーナは口に入るものなら何でもいいんだよな?」

「ちがうよ。美味しいものじゃないとダメなんだから!」

「そうか?」

「わかってないなー。イサミちゃん、わたしこう見えても結構グルメなんだよ?」

胸を張って答えるエレーナ。

なんだかこいつ、やけに偉そうだ!

オレはエレーナの両のほっぺを思いっきり引っ張ってやった。

「うごごご、うがうがうううがががががが!!」

「だーれーがー、グルメだって!?」

「うがうが、ふごごごごご!」

「ちょっとイサミ、そのくらいにしておきなさいよ」

エレーナが涙目になってきたのを見たのだろう。

咲夜が口を挟んできた。

――頃合か。

命拾いしたな、エレーナ。

「そうだな。咲夜の言う通りだ」

オレが手を離すと、手足をドタバタと動かしていたエレーナがおとなしくなる。

「いきなり、なにするかーーーーーーー!!」

次の瞬間、オレに噛み付いてきたのは言うまでもない。

「すまん、エレーナ。ついうっかり、な」

「なんだとーーー!? 泣くぞ、ここで泣いちゃうぞ!!」

「泣けばいいだろ? 置いていくから」

「そんな、ひーどーいー!?」

まあ、なんというか。

そんなこんなで今日の朝も色々と騒がしく幕を開けたのだ。

◇◇◇

オレは、最後のカレーパンに手を伸ばす。

ところがだ。

あと少しでその手が届くと言うところで、誰かがそのカレーパンを掠め取って行く。

?!

「あーーー!?」

「ん? ああ、貴様はこの前の……」

エレーナと漫才を繰り広げていた――ええと――。

「黒須だったな。貴様はカレーパンが食べたいのか? これを食わないと死ぬのか?」

たしか、ななみ先輩。

「――え? 絶対これでないといけないというわけじゃ……」

「そうか。貴様がどうしてもというのなら、これを譲ってやってもいいと思ったのだが、そうではないのだな。――では、これは心置きなく私の胃袋に収めることにしよう」

……。

やはりこの人、かなり変な人だ!

この前の違和感は正しかった。

この先輩、どこか一本ずれている!!

「ナナミ先輩、メロンパン確保できました? 私の、私のメロンパン」

「んー? モガミ。貴様の食料は確保してある。喜べ」

「ありがとうございます。すみません、使いっ走りのようなことをさせて」

「いや、お互い様だ。――人は能力を生かし、それに応じた仕事をするべきなのだからな」

このショートヘアの子は確か六分儀モガミ。

その大きな目がオレを捉えて――獲物でも見つけたかのように細まった。

「おや? ――黒須くん?」

「ああ、今、我が部の幽霊部員筆頭、黒須勇海に同行の協力を願い、その彼に政治的指導を施そうとしていたところだ」

なんの話だ、なんの。

「イサミ? どこ行ったかと思えば。教室にも戻ってこないし、屋上には居ないし! ――ご飯ならお弁当あるってば」

げ、咲夜。勘の良いやつ!

「ん? この前の新入部員――月環か。ちょうど良い。――お前たち、締め切りは来月末だぞ? 頼んだぞ?」

「ん? あ、はい」

あ。やべ。返事しちまったよ。

「あれ? え? 先輩」

「繰り返すが、月環。原稿の締め切りは来月末、2月中だ」

「は? あ、――わかりました」

「うん、期待している」

逃げようとする前に、オレは制服の袖口を咲夜にしっかりと握られていた。

「さ、ご飯にしよ? 教室でエレーナも待ってるんだから!」

「お、おう」

……。

咲夜の弁当、最高に上手いんだけど、あいつらと食うのは正直恥ずかしいんだよな……。

◇◇◇

「ホント、美味しいね、咲夜ちゃんの作るお弁当!」

ああ、それについては同意だ、エレーナ。

「お弁当というより、なんか、もっと凄いもの食ってるような気がする」

「えー? でも白銀くんたち、この前、教室で鍋してたよ?」

「ああ、あのまりもちゃんが――さめざめと泣いてたやつな」

「そうそう」

「あ、もう一ついい?」

「え? ぜんぜんOKだよ! たくさんあるから食べて食べて!」

「うんうん!」

「お、おう」

まぁ、なんというか。

結局オレは咲夜の弁当を食べたのだけど。

「ねぇ、エレーナ。エレーナのご両親、今も帰宅が遅いの?」

「そだよー」

「ご飯はどうしてるの?」

「イサミちゃんところで食べてる」

「そうなんだ……そうだ。エレーナ? うちに食べに来ない?」

「え!? いいの!? うちって、『雪月花』だよね!?」

「ええ。そうよ」

「お弁当みたいな凄いの食べれるの!?」

「凄いかどうかはなんとも言えないけど……どう? 来る?」

「うんうん! 行く行く!」

「――イサミも、一緒にどうかな?」

は?

「え? オレ?」

「ええ。うちの味、イマイチ自信が持てないの。――イサミが試してくれると嬉しいな」

「オレやエレーナなんかでいいのか?」

「もちろん! 下手な料理研究家なんかより、断然いいよ!」

「まぁ、そういうことなら……で、いつだ?」

「食材の仕入れもあるだろうから……そうね。日時が決まったら教えるわ」

今後の予定など、特に何もない。

「ああ、かまわない」

オレはいたって軽く返事をした。

「ほんと!?」

咲夜の顔が輝く。

「エレーナもそれで良い?」

「うんうん! もちろんだよ!」

◇◇◇

2002年 1月 18日 金曜日

「おい、エレーナ、咲夜、帰るぞ」

「うんうん。帰ろ!」

「今用意するから、ちょっと待って? イサミ、エレーナ」

すっかり準備万端、帰るだけ、であたエレーナに対し、咲夜はあたふたと物を鞄に詰め込んでいた。

まあ、そのうちくるだろ。

◇◇◇

咲夜が転入してきたのは今週の月曜日。

まだ数日しか経ってない。

――それにしても。

もう、三人でいることが、当たり前であるかのようだ。

中学までがそうであった様に、すっかり元の仲良し三人組の調子に馴染んで来たな。

――まぁ、良いことだ。

「あれ? どうしたの――帰らないの? 咲夜ちゃん。――なにか考え事?」

――咲夜に視線を向ける。

机の上の物がちっとも片付いていない。

オレとエレーナの顔を見比べては、何かを考え込んでいる。

咲夜の様子がどうもおかしい。

「おい、咲夜」

「――あ」

「あ、じゃねぇよ。帰るぞ」

「え、ええ――あのね、イサミ、エレーナ。ちょっと話があるの。聞いてくれるかな――」

◇◇◇

校舎裏の、丘の上。

とある伝説の木の下に来た。

ここに来たのも久しぶりだ。

「うわ、綺麗――。こんな場所があったんだ」

おそらく初めての咲夜が目を輝かせている。

「ああ。ここからなら街を一望できる。良い眺めだろ?」

「もうすぐ、日が沈んで街が輝きだすんだよ? 咲夜ちゃん」

「そうなのね――。見てみたいな」

オレとエレーナは、どちらからというわけではなく、自然と顔を見合わせた。

「いいよ」

「構わない」

「「あはは――」」

同じこと考えてたのか。

まぁ、オレとエレーナじゃ当然というか、いつもの事だし、まして咲夜の頼みだ。

――断るわけ無いだろ?

◇◇◇

「街が――綺麗――」

「わぁ、灯りがついてきたね」

「ああ。こうやってみると、わかっちゃいたけど凄いものだな」

丘を渡る風は冷たいけれど、街の灯は暖かく輝いていた。

「あ、そうだ。咲夜」

「なに?」

「お前、オレたちに話があるんじゃなかったのかよ」

「うんうん」

オレとエレーナは咲夜に向き直る。

「あ、そうだった。ええとね、一生のお願いがあるの!」

「はぁ?」

「え?」

「あのねイサミ! わたしの恋人として、将来を誓った恋人として、私の両親に会って欲しいの! お願い! 私、このままだとよく知りもしなかったり、歳もすごく離れた人だったり、もう、とにかくこのままじゃ誰かと結婚させられちゃう! お願い! お願いします!」

「はぁ?」

「え?」

「転入の日、白稜大への進学が決まっているだなんて先生に紹介されていたけれど、ホントはね、両親には進学は諦めて、さっさと結婚しろって言われているの! 次々に見合いの話が来ているのよ!」

「そうだったのか」

「へ?」

「エレーナ、ごめんね! イサミをちょっとだけ貸してちょうだい! この街に戻ってきてからずっと考えてた。そして、ここ数日のあなた達とのやり取りで感じたの。私とあなた達との友情は全く失われてない! 一緒に過ごしたあの頃と一緒よ! だから私、安心したの。こんなこと頼んだり相談したりできるのはイサミ、エレーナ。あなたたちだけなのよ! お願い! お願いします!」

「はぁ?」

「……イサミちゃん、OKしてあげなよ」

「はぁ? だって、嘘つくんだろ?」

「それはそうだけど、咲夜ちゃんの身にもなって考えてみてよ」

咲夜の見合い相手か。

相手は、それなりに金は持ってるんだろう。

もしかしたら、地位や名誉ってやつも持っていたりするのかもしれない。

とても優しい人で、咲夜を大切にしてくれるかもしれない。

だけど、そうだとしても。

――見ず知らずの人物と結婚させられる、か。

詳しい事はわからないけれど、少なくとも咲夜は嫌がっている。

理由としてはこれだけで充分だ。

――咲夜に手を差し伸べない理由は、オレたちの間にはないはずだ。

「イサミちゃん――」

「わかった。わかったよ、咲夜。手を貸すよ」

「え?」

「え、じゃないだろ? 詳しい話、聞かせろよ」

「イサミ! ありがとう!!」

「よかったね、咲夜ちゃん」

「うん!」

◇◇◇

「で、イサミ――昨日エレーナとも約束した『雪月花』でのお食事の日に時間取るから、そのとき私の両親に――」

「ああ、わかってる。オレに任せておけよ」

「ありがとう!!」

安堵の表情を浮かべる咲夜に、とりあえず軽く返事をしてみたものの。

――正直オレはどうしたものかと頭を抱えていたわけだ。

◇◇◇

2002年 1月 19日 土曜日

「咲夜、待ったか?」

駅前の電話ボックス横。

時間に15分遅れて駆けつけたオレは、そこに立ち竦む咲夜の姿を認めた。

――なんだかその姿は寂しげで。

今にも泣き出しそうな感じさえ受けた。

「待った待った。すっごく待ったんだから」

だから、こう切り返されたとき、咲夜の負けん気の強さを再確認したよ。

「……普通、『待ってない』って言うところだろ?」

「そうねぇ。イサミとの間に、遠慮や要らぬ気配りが必要だとはこれっぽっちも思ってないし?」

「そうかよ」

「でも、昨日の今日で、快く来てくれたことには感謝するわ」

昨日の晩、コイツから電話があった。

恋人のフリをするならば、予行演習しておくべきだ。

――咲夜はそう言っていた。

断る理由を思いつくまでもなく、オレは結局なし崩し的にこうやって付き合っている。

「お前、怒ってる?」

「怒ってない。だって、私から頼み込んだんだから、怒れるわけないじゃない」

「――お前、バカだろ?」

「どうしてよ!?」

「オレが遅刻してきたんだから、素直に怒ればいいじゃないか」

「じゃあ、怒るから、少し待ちなさいよ」

「は?」

「ええと――。罰ゲーム。罰ゲームなんてどう? そうね、私に暖かい紅茶を奢る必要を認めるわ。美味しいケーキがあれば、さらにポイントアップね」

◇◇◇

「どうしてスカイテンプルなのよ!?」

「いいじゃないか、オレは腹が減ってるんだよ! それに、ここでもケーキは食えるだろ?」

「良い雰囲気のフの字もないじゃないの! もっとムードのある店選びなさいよ!!」

「四の五の言わずに何か頼めよ!?」

「もういい! わかったから、イサミ。あんたも何か頼めば!?」

……き、気まずい……なんだこの空気は。

おかしい。

この店はオレの奢りになるはずなのに。

どうして咲夜はここまで強く出るんだ?

◇◇◇

ウィンドウショッピングを楽しんだつもりだった。

ところが、店を変えるたびに咲夜ときたら、だんだんと不機嫌になっていって――。

……気まずすぎる。

コレは、どうにかしないとダメだろ!?

ここは――こんなこともあろうかと、昨日考え抜いた作戦がある。

――それを実行するしかない。

「咲夜」

「なによ!?」

「ちょっとここで待ってろ」

「どこに行くのよ」

「いいから」

「わかったわよ。待ってやるから、早く済ませなさいよね!?」

今にも爆発しそうな咲夜を公園のベンチに座らせて、オレは目的の場所にダッシュした。

◇◇◇

「遅い! 遅すぎるわイサミ! 最低よ!」

「まぁ、そう言うなよ」

オレは買ってきた暖かな缶コーヒーと、例の店の袋を不機嫌さを隠そうともしない咲夜の前に突き出した。

「なによこれ――って、え? この袋……」

「あ、一番星の鯛焼き……まだお店あったんだ……」

「食えよ。冷えるぞ」

「うん」

オレたちは並んでベンチに座り、コーヒー片手に鯛焼きを頬張る。

餡子が溢れ出た鯛焼きの味は、あの頃のままだった。

◇◇◇

「美味しかった――美味しいよ。こんな美味しかったんだ。――忘れていたかも」

「ああ。旨いよな、ここの鯛焼き」

「うんうん。確か、あの時、エレーナが地面に落としたんだよね」

「あー、そんなこともあったな」

「そうそう。それであの子、泣きそうな顔しちゃってさ――」

「ああ。指咥えてオレたちの鯛焼き見ていたものな」

「あはは。そうだったよね。で、私とイサミが鯛焼き半分に割って。あの子にあげたんだったよね」

「そうそう。そうしたらあいつ、二つとも同時に食べようとしてさ――」

「結局それも落としちゃったんだっけ?」

「ああ。あれは傑作だった」

「なに言ってるのよ。わんわん泣くエレーナなだめるのあんなに大変だったじゃない」

「あはは。そうだったっけ」

「なに? 忘れちゃってるんだ。酷いな、イサミは」

「その後、なけなしの金でもう一回、鯛焼き買ってエレーナに渡したじゃないか」

「そうだっけ?」

「お前、咲夜こそ忘れてるじゃないか。今のところ試験に出るくらい、重要なポイントだろ!?」

「あははは、よく言うわよ。イサミだって結構記憶怪しかったくせに! エレーナが今の話聞いたら、きっと泣いちゃうんだから!」

「はははは!」

「あははは!」

「ね、イサミ! 今日はもう帰ろうか! 終わりよければ全て良しって言うじゃない。ちょっと早い時間だけど、今日はお開きにしましょう」

「そうだな。じゃあ、帰ろうか」

「今日は付き合ってくれてありがとう、イサミ」

「いや、オレも色々考えさせられたし、結果的に良かったよ」

「前向きに考えられるとこ、イサミのいいところだよね」

「そうか?」

「そうだよ! 悪く言えば――能天気?」

「なんだそれ」

「あはは!」

まぁいいか。

咲夜が楽しんでくれたみたいで良かった。

笑って今日が終わるのなら、それで良いじゃないかと思う。

第四章

2002年 1月 20日 日曜日

確かに昨日の晩、あいつから電話が掛かってきた。

だが、OKした覚えは無い。

「エレーナ、お前がいる理由は?」

「ずーるーいー! 二人だけで遊ぶなんて、ひーどーいー!」

エレーナ。

お前ってやつは……。

先ほどからなにやらブツブツ言ってはいたが、オレが話を向けるとその声はより大きくなった。

「咲夜、エレーナがここにいる理由は?」

「あはは、三人のほうが面白いかと思って――。嘘よ。本当はね、エレーナが可哀想になったの」

「はいはい。――エレーナ。正直面白くないかもだぞ。今日は作戦会議の予定だからな」

「えー!? 皆で遊ぼうよ!!」

「しかしな……」

「相手の出方なんてわからないんだから、ここはリフレッシュだよ!」

オレは咲夜を見る。

ちょっと考えたっぽい咲夜が口を開いた。

「エレーナの言うことも、もっともかもしれない。仮定に仮定を重ねてコトを考える意味、たぶん無いわ」

「え?」

「だから、エレーナの言うとおり、遊びに行きましょ? 今日は三人でね!」

◇◇◇

「遊びに行こう、って言った矢先から、どうしてスカイテンプルなのよ!?」

「とりあえず腹ごしらえだと思って」

「わたしもごはんごはん!」

「仕方ないわね、いつでも行けるような気もするけど。まぁ、いいわ。二人が行きたいって言うのなら」

「なに言ってるだ、咲夜。お前だってさっきお腹がすいたって――」

「そ、そんなこと言ってないってば! さ、早く行きましょ!」

「咲夜ちゃん、お腹すいてたの? それならそう言えばいいのに」

「違うわよ!」

「ああ、もしかして他の洒落た店でも、なんて今日も言い出すつもりだったのか?」

「そ、そんなこと無いから! この三人で食事に行くのに、どうしてそんな自分を飾る必要があるのよ!」

「よくわかってるじゃないか。さ、早いところ行こうか」

「うんうん、行こう行こう」

「仕方ないわね。付き合ってあげるから感謝なさい!」

「素直じゃないなー」

「うるさい! ついて行けばいいんでしょ、ついて行けば!」

◇◇◇

結論を言うと、だ。

嫌がる素振りを見せていた咲夜が一番食べていたし、口を閉じる事が無いくらい話をしていた。

まぁ、わからないでもない。

オレたち三人の間には、積もる話がありすぎた。

朝方、まだまだ客もまばらだったスカイテンプルのボックス席を占領したオレたち――。

食うのもそこそこに、想い出話に花が咲き始めて――。

「「「あはははは――」」」

オレたちは久しぶりに三人で笑ったよ。

そうしたら、以前の事を次々と思い出して。

誰からともなく話し始めた。

どの川で魚を取っただの、どの山で虫を取っただの。

公園の砂場で作った山がどうしただの、鉄棒で手がサビ臭くなっただの。

ごっこ遊びをして遊んだだの、だれそれの家の中を走り回っただの。

本当に人間って、くだらない事をよくもまぁ、こんなに沢山覚えてるものだ。

話すうちに、昨日の事のように思い返される懐かしき日々の記憶。

そういや、こんなこともあったっけ――。

(イサミ)「ただいまー、いまかえったぞー」

(サクヤ)「おはやいおつきでした、あなた」

(エレーナ)「おかえりなさい、あなた」

(イサミ)「あーつかれたつかれた、きょうかいしゃでなー」

(サクヤ)「おしょくじのよういがひととおりできております。――ゆどののしたくも。どとらになさいますか?」

(エレーナ)「それともさきに――あたし?」

(イサミ)「えー!? エレーナ、それなんだよー!」

(サクヤ)「そうよ! にごうさんはじぶんからそんなことくちにしちゃだめなんだから! どんなことがあってもたえしのばないとだめなのに!」

(エレーナ)「えー!? でもでも、おかあさんいつもいってるよー」

(イサミ)「そんなのきいたことない!」

(サクヤ)「がいこくのひとはみんなそうなの?」

(エレーナ)「わかんない。でもおとうさん、おかあさんがそういうと、いつもなにもいわずにわたしのあたまなでてくれるんだよ?」

(イサミ)「へんなのー」

(サクヤ)「うん、へんだよね」

(エレーナ)「でね、わたしのあたまなでたあと、エレーナはもうねなさい、っていうんだー」

(イサミ)「そうなのかー」

(サクヤ)「……」

(エレーナ)「にほんのひとはちがうの?」

(イサミ)「ちがうよー。な! さくや?」

(サクヤ)「うん。ごはんとおふろすませたら、おとこのひとはおしごとにもどらないとだめなんだから!」

(エレーナ)「えー? そうなの? にほんじんっていそがしいんだー?」

(イサミ)「サクヤのおとうさん、しごとにもどっちゃうのかー?」

(サクヤ)「え? うん……ちが……うの?」

(エレーナ)「おとうさん、あさまでおうちにいるとおもう」

(イサミ)「おとうさん、あさまでぐうすかねてるよ」

(サクヤ)「え? ……え!?」

――今ならなんとなくわかる。

おめかけさん、の話だよな。

このとき咲夜が言ってたのは。

別に、咲夜はおめかけさんの子だということじゃない。

だって、咲夜にはちゃんとした両親が家にいるから。

咲夜の家は高級料亭だったりするから、女中さんなどから聞こえてくる話は一般とはかけ離れていて、それを聞かされていたに違いない。

話がかみ合わないはずだよな。

◇◇◇

「確かエレーナがジュース飲もう、って言い出したんだっけ?」

「違うよ、咲夜ちゃんだよ」

「なんだその話? 面白いことなんてあったっけ?」

「覚えてないの? イサミ」

「イサミちゃん、忘れちゃったんだ。そうなんだ?」

「う……」

(エレーナ)「イサミちゃん、暑い」

(サクヤ)「ジュース飲もう、ジュース」

(イサミ)「あの自販機で買おう!」

(サクヤ)「わたし、買って来る」

(エレーナ)「わたしも!」

(サクヤ)「イサミ、なに飲む? いつもと一緒?」

(イサミ)「うん。――買って来てくれよ」

(サクヤ)「わかった。――でいいよね?」

(イサミ)「うん、――」

(エレーナ)「イサミちゃん! イサミちゃん!? サクヤちゃん! サクヤちゃーーん!!」

(サクヤ)「エレーナ?」

(イサミ)「どうしたんだ?」

(エレーナ)「ジュースが、ジュースが……お金入れたけどジュースが出てこないんだー。どうしよう、お金もう無いよ」

(イサミ)「はぁ。オレのお金やるよ。いいからコレで好きなの買えよ」

(エレーナ)「いいの?」

(イサミ)「早く買って来い、エレーナ」

「でさ、またしてもエレーナがジュースを買いに行ったんだけど……」

(エレーナ)「ジュースが、ジュースが……お金入れたけどジュースが出てこないんだー。どうしよう、お金もう無いよ」

(イサミ)「はぁ!? どういうことだよ、エレーナ!」

(サクヤ)「仕方ないわね、私が三人分買って来るから待っててよ」

「ああ、思い出した。その話。――あれって、白稜柊の裏口に近くにあった自販機だったよな?」

「――そうそう」

(サクヤ)「あのね、二人とも落ち着いて聞いて。ジュースが、ジュースが……お金を入れたけどジュースが出てこないの」

(エレーナ)「えー!? またー? 喉乾いたよー!」

(イサミ)「何だよそれ! あの自販機だよな!? あったま来たぞ?」

(サクヤ)「怒っても仕方ないじゃない。って、イサミ何してるのよ!?」

(イサミ)「えい! ジュースを出しやがれ!!」

「で、イサミちゃんが自販機蹴って蹴って蹴りまくってさ――」

「そ。そうしたら――」

「あー。言うな。嫌なこと思い出した」

「え? 私は面白かったけど」

「全然面白くねぇよ。ジュースは出てきたけど、次から次にジュース落ちてきて自販機、止まらなくなって――」

「あのときのイサミ、どうしようどうしよう、って急に弱気になっていたよね。あはは!」

「うるせ、咲夜。お前なんか顔真っ青になってたじゃないか!」

「あはは。そうだよ! あれは面白かったー。またやろうよ! ね?」

「嫌よ!」

「するな!」

「えー? 面白いのにー」

「面白くない! あのあと三人で店のおっちゃんに、しこたま怒られただろ!?」

「「あはは」」

◇◇◇

「でさ、そのときまたエレーナが――」

「酷いなー!? どうしてさっきから私ばっかりなんだよー!」

「お前が一番、騒ぎを起してただろうが!」

「そんなことないって!! 咲夜ちゃんだって――!」

――「お客様、追加のご注文はございませんでしょうか?」

オレたち三人は会話を中断し、顔を見合わせる。

心なし、年配のウェイターさんの顔が引き攣っていたような――。

「あ」

「う?」

「へ?」

「あ、あはは。ごめんなさい。そろそろ帰る? ――イサミ、エレーナ?」

外は薄闇が指していた。気のせいか、街灯が点いているような――。

ははは。オレたち今日一日、時間も忘れてバカ話していたんだな。

「ああ。帰ろうか」

「うん!」

◇◇◇

すっかり暗くなってしまった。

ちょっとはしゃぎ過ぎたような。

「面白かったね! 今日! また行こうよ! スカイテンプル!!」

「――少なくとも一ヶ月は出入り禁止だと思うぞ」

「あはは。違いないわね」

「でもでも、本当に面白かったよ! こんなに騒いだの久しぶりだったよ!」

「そうだな」

「私は、何年ぶりだろう。こんなに話して、笑えたのは」

「向こうじゃこんな話しなかったのか? 咲夜」

「イサミ、知ってるくせに! 私ってほら、意地っ張りだからさ――どうしても壁ばっかり作っちゃうんだ」

「あー、わかったぞ。お前の高校生活には友達いなかった、とでも言うんだろ?」

「な、何故それを……」

「今、自分で行ったじゃないか!」

「「あはは」」

「でも、咲夜ちゃんも丸くなったような気がするよ。だって、前はもっとツンツンしてて、近づきにくいって感じだったな」

「お前がそれを言うか、エレーナ」

「あ、あはは。エレーナから見ても私ってそう見えてたんだ。――でも、エレーナは私に全然気後れしなかったじゃない」

「えー? だって、私は咲夜ちゃんがツンツンしてても、見掛けだけだって知ってたし」

「まあ、怒ったように見えてても、全然怖くないしな。実際」

「うるさいわね!?」

「ほら、な?」

「あ……」

「あははは」

◇◇◇

2002年 1月 22日 火曜日

――高級料亭『雪月花』――

こういう建物は、大名屋敷といえば呼ぶべきなのだろうか。

よくわからない。

とにかく凄い平屋の日本建築。

それがここ、『雪月花』だ。

とはいっても、看板なんてない。あるのは『月環』の表札だけ。

黒塗りの車が停まっていたり、門から出入りするスーツのおっさんたちが不審げにオレたちのことを見ていても気にしない。

オレはハーフコートにジーンズ。そしてスニーカー。

エレーナもダウンコートにデニムパンツとカジュアルシューズ。

まあ、ここの客層とは程遠い服装だよな。

あ、後、年齢もか。

かって知ったる他人の家、おれは数年ぶりに、その堂々たる構えの正門備え付けインターホンを押した。

反応がない。

もしかして、壊れてる?

かなり古いやつだからなー。

オレはとりあえず連打した。

『コラー! イサミ!! このいじめっ子、悪戯はやめい!!』

場に似つかわしくない台詞がインターホンから流れ出す。

――あ、こっちが見えてるんだ。

まぁ、よくよく考えればこのくらい当然か。

オレたちを胡散臭げに見ていた例のおっちゃんたちは驚いているようだった。

『今行くから、ちょっと待っててね』

そして――。

◇◇◇

好奇の目に晒されつつ、待つこと十分程。

門から出てきた職人風のおっちゃんに声をかけられた。

「黒須勇海様、エレーナ・ストレリツォーヴァ様。お待たせしました。只今お嬢が手を離せませんので、僭越ながらこの私がご案内いたします。さ、どうぞ」

「鋼のおっちゃん! 久しぶり!」

「あー。ほんとだ、おっちゃんこんばんわ!」

この人は北條鋼さん。ここ、『雪月花』の住み込みの板さんの一人だ。

小さいころは、咲夜と三人で悪さして、よく叱られたよ。

あのころはおっちゃん、白髪なんてなかったのに。

いまじゃ胡麻塩なんだなぁ。

「お二方ともお元気そうで。何よりです」

「おっちゃんらしくない言葉遣いだな」

「そうだよー」

「今日はお二方は大事なお客様ですからね。さすがに怒鳴り散らすわけにもいかんでしょう。さ、中にどうぞ。座敷へ案内します」

◇◇◇

鋼のおっちゃんに連れられて通されたのは、日本庭園が見える座敷『煌武院』。

ここはたしか、二番目に立派な部屋のはずだ。

一番立派な部屋は皇室ご用達の『開かずの間』なので、実質上の『雪月花』最高の部屋ということになる。

「いいの!? おっちゃん、この部屋!」

「すごいねー。ちっちゃい時に忍び込んで以来だよね! イサミちゃん!」

「ちょ、言うなバカ!」

「あはは、そのようなことがございましたか」

「いまさらなんですが、ごめんなさい。北條さん」

「いえいえ。お気になさらず。時効でございますよ。――本日は最高のもてなしを、ということでございましたので、今一番の時間に、最高の部屋で、今、まさに旬の料理にておもてなしさせていただきます。どうか、お嬢のご好意、お気兼ねなくお受け取りください」

「ありがとうございます!」

「やった! ありがとう!」

「では、私はこれにて失礼いたしますが、何か御用の際には、備え付けのお電話などでお呼びいただけたらと存じます」

「「はい」」

◇◇◇

よく手入れされているらしい日本庭園を照らしていたのは、煌々と輝く月の光だった。

「ねー、イサミちゃん、凄い綺麗なお月様だよね」

「そうだな」

「ねーねー、月にはウサギさんがすんでるって本当?」

「そうだなー。ウサギは無理でも、宇宙人くらい住んでるかもなぁ」

「あはは! そうなんだ。宇宙人、わたし見てみたいな! 今度ね、ぜひ連れてきてよ! イサミちゃん!」

「そうだなー。機会があれば、必ずな」

「うんうん!! 必ずだよ!? わたし、待ってるからね!」

「なんちゃって。あはは」

「あはははは!」

襖がノックされ、静かに開いた。

「楽しくご歓談のところ、失礼いたします。当店のお女将、咲夜でございます。お食事をお持ちいたしました」

――え?

和服美人――咲夜だった。

――ドクン。

オレの心臓が早鐘を打つ。

見違えるほど――そのなんだ、輪をかけて始末に終えない。

「うわ。咲夜ちゃん、綺麗――ね、イサミちゃん」

「……あ、ああ」

これはもう、見とれるしかない。

そんなレベルだ。

今の咲夜から目を逸らすなんて、罰当たりにもほどがある。

「――なんちゃってね。いま、お母さんの下で修行中なんだ」

「そうだったのか。びっくりさせるなよ」

「あはは!  ねーねー!! ごはんごはん!!」

「はいはい! 前菜から順番に出てくるから、楽しく食べて行ってね!」

「なーに言ってるの! あなたも一緒に食べて、感想をしっかり聞いておきなさい、咲夜!」

咲夜とは似ても似つかない体型の――そう、超健康的に丸々とされた――お母様が顔を出した。

「あ。女将さん。ご無沙汰しています」

「こんばんはー!」

「二人とも。大きくなって。お久しぶりね。今日は、いっぱい食べて行ってね」

「「はい!」」

咲夜も――咲夜も年齢を重ねたら、その、あのお母様の体型に――考えまい。

――考えまい。

◇◇◇

「おい、咲夜、これはなんだ」

「イソギンチャク」

「……は?」

「イソギンチャンクの味噌煮」

「そ、そうですか……」

「こ、このご飯が赤く甘いのは何故だ」

「ん――。苺釜飯だから?」

「なぜ最後が疑問系!?」

時々妙なものが出たが、どの品も凄まじく旨い料理に違いなかった。

「ねぇ、どれが一番美味しいと感じた?」

「――そうだな、この真ん中のやつかな」

「へー。やっぱり若い人はそっちの方がいいんだ。参考になるよ」

いや、苺釜飯ばかり三つも食わされても……。

料理を味わう、と言うより、まさに試食。

膨大な量の品が出た。

だけど、正味、ふた口ほどの分量しかない。

オレたちが食って、咲夜がなにやらノートに書き込む。

この繰り返し。

だけど、不満はなかった。

むしろ、咲夜が料理に向かう姿に心打たれた。

迷い一つなく、真剣な目をしていたから。

咲夜、将来は料亭の女将さんか――本気なんだな――。

◇◇◇

エレーナがデザートに舌鼓打っているころ。

和服姿の咲夜を横に、オレたちは仲良く正座して待つこと15分。

「ゴメンね、イサミ。なんだかお仕事の段取りで手間取っているみたい」

「もしかしなくても、ご両親忙しいんじゃないのか? 昼間に出直したほうが良くないか?」

「大丈夫。もう、板場のほうも片付けだけだし。それに、昼間は昼間で仕込みがとても忙しいんだよ?」

「そうなのか?」

「ええ」

「じゃあ、もうしばらく待ってみるか」

「ごめんね」

「いや、気にするなって。咲夜」

「……イサミ、ありがとう」

「なあ、咲夜」

「なに?」

「お前、変わったよな」

「――え!?」

「自分の意見をはっきり言うようになったし、なんだか明るくなったし。――それに何より、綺麗になった」

「な、ななな何言ってるのよ!」

「正直な感想だって! いや、クラスの連中の視線、お前に釘付けだったの覚えてないのか? クラスどころか、すれ違う連中が皆、お前を目で追っていたじゃないか」

「転入生が珍しいだけだって!」

「本気で言ってるのか?」

「え?」

「だとしたら、お前本当にバカだよなー」

「むー、また私のことそうやってバカにする!」

「お前を連れて廊下を歩いていたときなんて、みんながみんな振り返って妙な視線送ってくるもんだから、オレは正直、優越感っていうのか? あれに浸ってたんだぞ? 気づかなかったか?」

「気づくわけないじゃない!」

「咲夜、お前は目立つんだよ。ある意味、エレーナ以上にさ」

「え?」

「ワザと皆の気を引いて回ってるのかと思ってたよ」

「そんな器用なことできないわよ! もう、そんなことないんだから!」

「あはは、咲夜、お前は自分がどれだけ美人なのかって自覚もないんだな。 ――やーい、バカバカ!」

「ちょっと、もう! こんなところで何を言ってるのよ!」

「あはは!」

「ぷっ! あははは!」

「「あはははは!」」

 

――そのとき、襖が開いた。

「すまない。待たせたね」

来た!

咲夜のご両親!

咲夜がお辞儀する。

慌ててオレもそれに倣った。

「楽にしていいよ? 正座は疲れるだろう。――咲夜も足を崩しなさい」

上座に座ったおじさん。

皺が増えたかな。でも、その分優しく見える。

「イサミ君、こうしてお話しするのもお久しぶりね」

同じくおばさん。心なしか、またふくよかに?

「で、話があるんだろ? 咲夜。イサミ君」

「おとうさん、そうなの。でね――実は――!」

おじさんは手で咲夜の言葉を制した。

「――言わなくてもわかるよ。大体のところは察しがつく」

「え?」

「咲夜。よく勇気を出してイサミ君をここまで連れてくることができたね。お前は本当に成長したよ。そんな咲夜を、父さんは嬉しく思う」

「うん」

「で、だ――。イサミ君。もう、咲夜から話は聞いているかもしれないが、――君の世界は変わるよ? いいんだね!?」

!? なんだ? この展開!?

いきなり何を――!?

「そ、それってお父さん……」

「咲夜ったら。落ち着きなさい。お父さんも私も、あなたとイサミ君の事、とっくに認めていたわよ」

「はは、母さん、先に言うかい? せっかく用意していた台詞が台無しだ。男親というものはね、例え入り婿だとしても、娘を奪いに来る彼氏に嫌味の一つでも言いたくなるものなのに」

「あら。お父さんにそんなご趣味があっただなんて。嫌だわ。この歳になって、新発見?」

ど、どうなってるんだ?

さ、咲夜!?

見れば、咲夜も唖然としている。

おい、何がどうなってやがる!

「イサミ君。現実的な話をしようじゃないか。卒業までは学生生活を楽しみなさい。でも、卒業したら、社会に出てもらう。――そう、うちで修行だ。まずは包丁が扱えないとね」

「しかも、入り婿としてだ。兄弟子連中からの反発は凄いと思いなさい。そして、お客さんからの期待もかなりのものだろう。――そう。凄くやりがいのある生活になる。間違いなく充実した毎日になるぞ。イサミ君」

ま、まままマズイ!

このまま押し切られるのは非常にまずい!!

「ちょっと待ってください」

「ん? なんだね?」

「たしかにオレと咲夜は付き合っていますけど、そこまで突っ込んだ話はしたことがないんです。それに、オレに板前なんて――」

「そうか。そういうことなら、別に板場を無理強いするつもりはないよ。君が経営のほうを学んでくれて、ここを切り盛りしてくれるなら、それはそれで嬉しいね。もちろん、君がどんな道を選ぼうと、別れろなんて言うつもりはないよ」

「え?」

「だが、この席に出てくれた君には本当に感謝しているんだ。どうか咲夜を宜しく頼む。この通り、何も知らない娘だ。それは君が一番知っているはずだ。ただコレだけは約束して欲しい。男と男の約束だ。決して娘を泣かせてくれるなよ!? それと、先ほどの将来に関する話、咲夜とこの先も付き合ってくれるのなら、前向きに考えてくれないか?」

「わかりました。ありがとうございます」

「いや、こちらこそ君と話せてよかった――咲夜、これで気が済んだかい? 色々心配をかけたようだ。急に見合いの話なんて持ってきたから焦ったんだろう? お前も知っての通り、お客様とのお付き合いもある。断れなかったんだ。そこは理解してくれ。咲夜」

……。

――どうやら咲夜やオレたちの考えなんて、全てお見通しだったようだ。

はじめから咲夜を安心させるつもりでこの席を設けたみたいだった。

でも良かった。

でも、これでなんとかなったみたいだし。

これで良いよな、咲夜。

◇◇◇

和服姿のまま、咲夜は門まで送ってくれた。

「エレーナ! 今日は本当にありがとう!」

「うんうん。とーっても美味しかったよ、咲夜ちゃん!」

「ただでごはん食べさせてもらった上に、こんなお土産までもらっちゃって。いいの?」

「いいのいいの。鋼が作ってくれたのよ? きっと、それも美味しいんだと思うよ? 食べたら感想聞かせてね?」

「うんうん! 約束するよ!」

「イサミ、今日は――その――とりあえず、明日学校で話そう?」

「あ、ああ」

咲夜のそれと絡まる複雑な視線。

あれ?

さっきの話の流れじゃ、上手くいったように見えたんだけど違うのか?

なんと表現すべきか――。

「じゃあ、気をつけてね、二人とも。――またね!」

「ああ、またな」

「まったねー! ばいばい」

◇◇◇ (四章 ここまで。 ここから 五章)

2002年 1月 23日 水曜日

屋上。

その場所に来るように、と伝言にあった。

「来たぜ、咲夜。いるんだろ? 出て来いよ」

「イサミ……」

うわ、今にも泣きそうだ。

やっぱりあの後、両親と何かあったのか?

今、誰も見てないだろうな!?

「咲夜。――そんな顔、絶対にエレーナの前でするなよ?」

「うん、わかってる。わかってるけど――私、どうしたらいいのかわからなくなって!」

「ああ。オレも焦った」

「あの後ね、お父さんとお母さん、私がイサミと付き合うことに賛成してくれたの。それどころか頑張りなさい、って」

「え?」

「でも、本当は私たち、付き合ってなんかいないじゃない? だから、心苦しくて」

「ああ、そういうことか」

「うん」

「でも、まあ見合いの話は消えたんだろ? 良かったじゃないか」

「そうなんだけど……そうなんだけど……」

「なんだよ」

「ねぇ、イサミ、イサミはエレーナと付き合っているのかな?」

「は? そんなことあるわけないだろ? どこをどう見たらそう見えるんだよ」

「え――? そ、そうなの?」

「そんなに驚くことか?」

「う、ううん? ……信じる、信じるよ」

「で、なにが言いたいんだよ」

「あの、あのねイサミ」

「なんだよ」

「あのさ、私と――私との恋人ごっこ――もうちょっと続けてみない?」

「はあ? 何か意味あるのかそれ?」

「い、嫌なら別に良いの、良いんだけど……」

「はっきりしない奴だな、お前らしくないぞ?」

「楽しかったの。楽しかったのよ、イサミの一番になるのが。土曜日、凄く楽しかった。だから――」

……。

楽しかった?

散々怒って、怒鳴って、挙句の果てにエレーナの話で盛り上がっただけじゃないか。

「ねえ、だからもう少し――」

「わかったよ。お前の、咲夜の好きなようにしろよ」

「!! 本当?」

「嘘言っても仕方ないだろ? それにお前、断ったら暴れそうだし」

「もう、それ何よ! ――でもイサミ! ありがと。……ありがとう!!」

あ。咲夜の奴。や、やべ!

感極まって泣き出しやがった!

どうしてここで泣くんだよ。

――泣くような話じゃじゃないだろ?

しかし――。

こんなところ、誰かに見られでもしたら……。

◇◇◇

「……ヤキソバパン。ヤキソバパン一週間分で手を打つ。どう?」

ガーーーーーーーーン!

あ、彩峰……よりによってこいつかよ。最悪だ。

◇◇◇

2002年 1月 24日 木曜日

「ねぇ、明日のお弁当の買出し、付き合わない? せっかくだから、好きなもの入れてみたいなんて思わない?」

「思う思う! いくいく!」

「あー、オレは」

「イ、イサミ……その、あの……よかったら……」

「おいおい、行かないなんていってないだろ」

「え?」

「……なんだよその反応」

「べ、別になんでもない!」

す、素直じゃねぇ! こういうところはちっとも変わってないよな。

しかし、コイツはコイツで、三年間の溝を埋めようと必死なのかもしれないな。

これはこれで可愛く見えないこともない、か。

以前のツンツンしてた咲夜とは大違いだ。

◇◇◇

「おいちゃん、鰆……あ、それそれ。その右から三番目と七番目の二尾ちょうだい!」

「お! ねーちゃん、若いのに見る眼あるね」

「だって本職だからね」

「またまた。女板にでもなるのかい? 最近はそういうのあるってね? テレビで見たよ――三枚に下ろしていくかい? サービスするよ?」

「自分でやるわ。鰆くらい楽勝よ」

「ほー。言うじゃないか、ねーちゃん。益々気に入ったよ。どこの娘だい? それ、白稜柊だろ?」

「そうよ。柊町にお店構えてるの」

「柊町? あの町にそんな店あったかねぇ? ――いや、あの店は別格だしな――」

「私ね、今度、女将になるの。今度さ、店に来てよ。サービスするから」

「あはは! 面白いこというね。まぁいいや、暇だし、面白いから話に付き合ってやらぁ」

「あー! その目は信じてないな!?」

「あはは! ま、なんて店なんだい? 覚えておいてやるよ」

「聞いて驚け、『雪月花』よ。若女将の咲夜とは私のことだから、贔屓にしといて損はないよ? おいちゃん!」

「なんだって!? ――あんた、名前なんていった? 今……」

「『雪月花』の月環咲夜! 宜しくね! また来るから良い魚仕入れておいてね!」

◇◇◇

「ねーねー。咲夜ちゃん、それどうやって食べるの?」

「そうねぇ。照り焼きに――柚子の香りをつけてみるのも面白いわね」

「おー!」

普通に旨そうだ。

◇◇◇

「おいちゃん、和牛と黒豚の合挽きある? 無ければ作ってくれたりしない?」

「ん?」

「挽肉ちょうだい、おいちゃん」

「その組み合わせは今無いよ。やれないことも無いけど、値が張るよ?」

「そうね、――gでいいわ。いくらになるかな?」

「――だな。作るかい?」

「お願いするわ」

「咲夜ちゃん、いつもそんなに持ち歩いてるの?」

「うん」

「大丈夫なのかよ?」

「え? だって、イサミが守ってくれるんでしょ? ねぇ、エレーナ」

「うんうん! イサミちゃんなら必ず守ってくれるよ!」

……お前、意味わかってないだろ。

「なら安心ね。と、言うわけで今後ともよろしく、イサミ」

……お前もわかってないと見た、咲夜よ。

◇◇◇

「ねーねー。咲夜ちゃん、それどうやって食べるの?」

「そうねぇ。味そぼろにして――そぼろ弁当はどうかしら」

「うんうん!」

これも、普通に旨そうだ。

◇◇◇

「桃太郎ある?」

「これなんかどうだい?」

「どうして向こうの奴を勧めないわけ? 私をバカにしてるの?」

「!! ……あ、ああ、こっちにもあったっけ。お、嬢ちゃん、良い目してるね、確かにこっちのほうが良い品だ」

「はいはい。そのトマト4つちょうだい」

◇◇◇

「もう、二度と行かない! あのね、鋼からこの店が良い、って聞いてきたのに! まったく、なによバカにして!」

「えー? そうなの? なだなぁ」

「まあ、あの態度はあんまりだったな。でも、仕入れの目は確かじゃないのか? 切り捨てるのは早いと思うぞ? 仮にも鋼のおっちゃんのお勧めだったんだろ?」

「冗談よ、言葉のあやだって!」

はいはい――。

まったく。負けず嫌いにも程があるだろ?

こういうところ、変わらないよな。

◇◇◇

「ねーねー、イサミちゃん、わたしも料理の勉強はじめてみようかなぁ」

「エレーナ、やろうと思った事は素晴らしいことだが――後はわかるな?」

エレーナの呆けた顔が、一気に沸点に達した。

「なんだよーーー!! 酷いなーーー!!」

「嘘嘘、まぁ、頑張ればエレーナもいつかできるさ」

「うんうん! そうだよね!」

とりあえず同意しておいた。

まぁ、頑張るのは自由だ、エレーナ。

◇◇◇

2002年 1月 25日 金曜日

屋上まで来て、あいつら何話してるんだ?

「ねー、あのね? 咲夜ちゃん、咲夜ちゃんは、その、イサミちゃんのこと、好き――なのかな?」

な、なんて話をしてやがる!!

「え? ……ええ!? ……イサミから何も聞いてないの?」

「イサミちゃん?」

「あ、うん、なんでもない。こっちの話。うん。なんでもないよ」

「好き、だよね、そうだよね……あはは。ほら、わたし、今度家空けちゃうから、その……」

「大丈夫だよ、エレーナ。わたし、エレーナがいないときに変なちょっかい出したりしないから」

「え?」

「だから大丈夫。エレーナ、応援してるから頑張ってきて!」

「う、うんうん! わたし、がんばってくる!!」

――どういうことだ?

咲夜、オレのこと好きって言わなかったか? 今――。

でも、あれは芝居だろ?

そうじゃないのかよ――。

◇◇◇

「……黒須、修羅場」

「うるせ、彩峰! そんなんじゃねぇよ」

「……ヤキソバパン、食べたいな」

「食べればいいだろ?」

「……明日の掲示板、楽しみだね」

「どういう意味だよ?」

「……明日、全校放送あるかもね」

「わけわかんねぇ」

「……香月先生、きっと大喜びだね」

「買って来れば良いんだろ!? わかったよ!」

◇◇◇

2002年 1月 26日 土曜日

空港なんてはじめて来たよ。

本当にあんなデカブツが空を飛ぶのか?

しかし、それにしても――。

「ちょ、おま。その格好」

ゆったりとした厚手の黒い毛皮のロングコート。

これまた分厚い黒の毛皮の帽子。

茶色の大きな旅行鞄。

そ、その格好は――。

長い睫を物憂げに伏せて、エレーナはオレを流し見て問うた。

「なになに? イサミちゃん」

――ドクン。

何故に高鳴るオレの胸!?

「おまえ、金髪じゃないから減点、一点な。それに髪型はくるぶしまである真っ直ぐサラサラのストレートだ。今すぐ伸ばして来い」

オレは正直なところを言ってやる。

「なんだよー。意味わからない!」

「男の浪漫なんだよ」

エレーナが両拳を振るわせて行った渾身の抗議をさらりと無視してやる。

「い・み・わ・か・ら・な・い」

◇◇◇

「エレーナ、お土産期待してるから! お願いね!」

「うんうん! 期待してていいよ! 咲夜ちゃん!!」

咲夜はひらひらと手を振った。

◇◇◇

「同志エレーナ! 必ず勝利を掴んでこい! 我らが革命精神を世界に知らしめるのだ!」

「了解であります! 同志先輩!!」

「その意気だ! 貴様の活躍に期待する!!」

ななみ先輩、頼むから黙っていてくれよ……。

まあ、お決まりの同志ごっこが行われたわけだが……気づけば周囲から人がいなくなっていた。

◇◇◇

「エレーナ、行っちゃったね」

「一人で大丈夫かな」

「なんとかなるんじゃない?」

「そうか? オレは果てしなく心配だ」

「そう? あの子、イサミが思ってるより、強い子だよ?」

「そうかな?」

「ええ。天然は最強よ」

「……」

さらりと酷い事いわなかったか? 咲夜のやつ。

「でも、私、休戦協定は守るから」

「……」

「ところでさ、イサミ。あなた――エレーナに何も話してないのね」

「なんの話だ?」

「ううん、なんでもない」

◇◇◇

2002年 2月 1日 金曜日

あれ? エレーナいないのか。

あ、そうか。今頃はエカテリンブルグか。

エレーナ、頑張ってるかな。

「イサミちゃん!!」

あれ? エレーナ?

「なにさ! 迎えに来ると思ったのに!! 酷いなー!?」

……あ、そうか。今日だっけ、コイツが帰ってくるの。

すっかり明日だと思い込んでたよ。

◇◇◇

――かくして、エレーナは帰ってきた!!

はい、お土産。

「同志先輩! かの地で反革命的書物を発見しましたので、接収しておきました! 『セルゲイ・ルキヤネンコ』の『Ночной Дозор / ナイト・ウォッチ』です! どうか、同志のお力でしかるべき処置をしていただくよう、お願いします」

エレーナは恭しく、ななみ先輩に一冊の書物を差し出した。

『こ、これは……直筆サイン本! しかも初版!! 嬉しい!! ありがとう!! ……じゃなかった、よくやった、同志エレーナ! 貴様の行為はまさに純粋な革命精神の発露と言えよう! 貴様のこの英雄的行為は未来永劫語り継がれることになる!! 本当に良くやった。貴様こそ金星賞に相応しい!」

「ありがとうございます! 同志先輩!」

……。

まぁ、いいけどよ。

「なぁ、エレーナ。どんな内容なんだ?」

「魔術師や吸血鬼なんかが出てきてお互いに戦い合う、オカルトバトルファンタジーだよ」

「……は!?」

「だから、オカルトバトルファンタジー」

「……」

まぁ、人の趣味は日ごろの言動からはわからないと言うことだな……。

◇◇◇

「みんなにはお菓子買ってきたんだー。お茶にしよう?」

「待ってました!」

「ありがとうございます、エレーナ先輩!」

「あはは! 良いって良いって!」

「う……」

それを目にしたとき、皆の時間が止まった。

エレーナが取り出したもの。

それは皆を凍らせるに充分だった。。

子供の顔をしたチョコレート……。

「アリョンカだよ! 美味しいよ!! 食べて食べてー!」

「あ、美味しいよ? エレーナ」

その恐るべき呪縛から、いち早く回復した咲夜がさっそく食べていた。

「でしょ? はい! イサミちゃんも!」

「お、おう」

まあ、うまかった。

不気味なのは置いといて。

「お茶もあるんだよ!」

あ、旨い。

でも、これなんだ?

「これ、ミルクティーか? ただのミルクティーじゃないよな?」

「ミルクウーロン!!」

「「「……」」」

またも皆が固まったが……。

まあ、良しとしておこう。

◇◇◇

2002年 2月 4日 月曜日

「あー、美味しいなー。なんだか、長い間食べてない気がするよ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない、エレーナ! 私のお弁当、そんなに楽しみにしてくれてただなんて!」

「当たり前だよー。わたし、もうこれ食べないと生きていけないかも」

「あはは! ありがと。エレーナ」

「うんうん!」

「ねぇねぇ、ところでさ、イサミちゃん。咲夜ちゃん、今日の帰り、商店街に寄って行こうよ」

「エレーナ、何か買いたいものがあるの?」

「ううん、咲夜ちゃん、あのね、わたし今朝、イサミちゃんのお母さんから福引券をたーくさん貰っちゃったんだー。だからね、ガラガラ回しに行きたいなー、とか思ったの」

「そうなんだ。福引ね」

「どう? イサミちゃん?」

「よし、みんなで行くか! エレーナがポケットティッシュの山に埋まるのを見に行こうぜ!」

「あはは!」

「もう、なんだよー! 酷いなー!! ぜーったい、ぜーったい一等賞当ててやるんだから!!」

「あはは! エレーナ、頑張れ!」

「ムリムリ、当たるわけないって!」

「みんな、ひーどーいー!! ぐぬぬ、絶対当ててやるんだから!!」

「あのー、ストレリツォーヴァさん? 盛り上がってるとこ悪いんだけど、ちょっといいかしら」

気づけば、委員長の榊が立っていた。

「? どうした委員長?」

「あなたに用はないわよ、黒須君。神宮司先生がストレリツォーヴァさんを呼んでいるの」

「まりもちゃんが? エレーナを?」

「へ? わたし?」

「そうよ。だから、ご飯を食べ終わったら職員室に。いいわね?」

「うん」

「じゃあ、確かに伝えたわよ? ストレリツォーヴァさん」

きょとん、としてエレーナが頷く。

◇◇◇

「おいおい、なにしてるんだよエレーナ」

なぜか、がちがちに固まっているエレーナがいる。

右手と右足を同時に出して歩いている。

まりもちゃんに何を言われたんだか。

「ううん? だ、大丈夫だよ。あははは、あはははは」

そんなエレーナを押すようにして、まりもちゃんが教室に入ってきた。

あれ?

秋田の数学はどうなった。

「みんなー、体育館に移動してもらえるー? 今から臨時の全校集会があるの」

◇◇◇

「表彰状、国際数学オリンピック、優勝。エレーナ・ストレリツォーヴァ殿。貴殿は――」

学園理事長の前で表彰――晒し者――になっているのは、エレーナだった。

エレーナといえば、ガチガチに固まって――あ、コケた。

――あんなところで笑いを取りに行くか? 普通。

「凄いわね、エレーナ。あの国際数学オリンピックで優勝だなんて」

「そうだな。まぁ、エレーナの奴、数学だけは得意中の得意らしいし」

「らしい?」

「本当に得意なら、時計読み間違えて遅刻したり、財布の中身を数え間違えて、不足分をオレに払わせたりなんかしないだろ?」

「……エレーナらしいと言えば、エレーナらしいわね」

「だろ?」

「でも、天才って案外そういうものじゃないの?」

「……」

◇◇◇

「あはは!! わ、わたし賞状貰っちゃった! それに金メダルだよ金メダル!! イサミちゃん褒めて褒めて!」

「はいはい」

「うっわ! 酷いよー。幼稚園のときのお絵かき以来なんだよ? 賞状貰ったの!! イサミちゃんも知ってるでしょ?」

「いつの話だってんだよ。そんなの覚えてるわけないだろ?」

「ううう。わたしは全部覚えてるのにー……」

「はいはい」

「エレーナ、おめでとう!」

「咲夜ちゃん、ありがとう!」

「ねぇねぇ、イサミ、帰りにスカイテンプルにでも寄ってさ、エレーナのお祝いしてあげようよ。だって、金メダルなんだし」

「そうだな……」

「え? えー? いいよ、そんなにしてもらわなくても」

「いいからいいから!」

「あら、抜け駆けはよろしくありませんね。咲夜さん。話は聞きましたわ。僭越ながら、ここは一つ。私達、御剣にお任せください」

「悠陽さん……?」

「数学オリンピックで金メダルといえば、世界に冠たるこの上ない栄誉。いくら盛大にお祝いしたとて、不足はありません。ここは神宮司先生もお誘いして、クラスの皆でお祝いして差し上げましょう」

「それはいい考えだ。さすがは姉上」

「皆様、どうですか? ここは一つ、エレーナさんのお祝いにお付き合い願えませんか?」

悠陽が教室にいた全てのクラスメイトに、厳かに呼びかける。

対するクラスメイトの反応は――。

「ぅおおおおおおおおおおおおーーーー!!!」

地鳴りのような賛成を表すであろう雄叫び。

喜びが爆発し、教室がとたんに騒がしくなる。

御剣姉妹が主催するのだ。それは豪勢なパーティになるに違いなかった。

期待しないほうがおかしいというものだ。

「あの、あのあのあの、でもでもでも」

「いいじゃないの。ここは御剣さん達に任せちゃえば? 私も同じようなことを考えていたの」

「委員長……ありがとう」

「うふふ、では、決まりですね。では、私たちにお任せあれ」

「どうせ止めても、御剣さんたちはやるんでしょ? だったら、手伝ったほうが張り合いがあるっていうものよ。黒須君もそうは思わないの?」

言葉とは裏腹に、文字通り「お手上げ」を示す委員長だった。

◇◇◇

2002年 2月 5日 火曜日

「……どうしてこうなった」

ホテル最上階の展望レストラン。

貸切……だと!?

『エレーナ・ストレリツォーヴァさん 国際数学オリンピック金メダル受賞おめでとう』

と、金文字の横断幕が掲げてあるところを見ると、場所に間違いはなさそうなのだ。

◇◇◇

「それでは、本日の主役、エレーナ・ストレリツォーヴァ嬢の入場です! 皆様、拍手でお出迎えください!!」

司会進行役のメイド服姿のお姉さんが口上を述べる。

スポットライトが特設ステージの舞台袖を照らして――。

なんじゃありゃぁ!!

会場をどよめきが支配した。

そこから現れたのは、エレーナではあった。いや、オレだから認識できたと言えるかもしれない。

あの咲夜でさえ、口を大きく開けていた。

会場を見渡すと、白銀なんて鼻血を吹いていた。

そう、そこには。

どう見ても白ウサギ……純白のバニースーツを着込み、長耳をあしらったカチューシャを身に着けた――

――雪よりも白い肌を持つ白人少女が現れたのだ!!

「えー、皆様? 皆様、主賓、エレーナ嬢に拍手をお願いします