※この物語はフィクションであり、実在の人物・事件などには一切関係がありません。
※オルタネイティヴ世界線とは異なる確率時空でのストーリーです。
※参考文献 「MUV-LUV ALTERNATIVE INTEGRAL WORKS」及び「シュヴァルツェスマーケン 殉教者たち」
※©Muv-Luv: The Answer
「これより我々は勝者の温情にすがり、敗者の誹りも甘んじて受けなければなりません。
我が満洲国はこれより美国の駐兵を承認します。皆さん、しばし耐え忍ぶ時です。
――1944年08月15日、ラジオによる演説。国務院総理 張景恵」
「(前略)我々はここに、中華人民共和国の建国を宣言します!
――1945年10月01日、北京。毛沢東」
「戦前は日帝の傀儡、戦後は美帝の傀儡ときたもんだ。でも軍閥のバカ共よりマシよ。
だって、俺達にちゃんと飯を食わせてくれるんだからな。
――1960年代、奉天近郊の農家古老」
「康徳帝陛下が崩御なされました。
陛下には皇子皇女がおられず、弟君である溥傑殿下のご息女である慧生皇女が皇帝にご即位されました。元号は新たに協和と制定され――
――1967年10月17日、満洲中央電視台のニュースより」
「我が満洲帝国の人口が7000万人に到達したとの統計結果が出ました。これも我ら国民の努力の結果です。ご存じのように我が国は国共内戦で荒れた中国本土からの難民を受け入れ、大幅に労働力を獲得しました。また友好関係を結んだ美国からの経済支援も大きく貢献しました。我が国のスローガン、「六族協和・王道楽土」に――
――1970年、国定教科書・社会科 中学1年生向けより」
「我が政府は、月面戦争で得られた教訓を基に美国が開発したF-4戦術歩行戦闘機の導入を決定しました。まず陸軍に配備される予定で――
――1972年、満洲日日新聞漢語版一面記事より」
「我らがソビエトの同志達が烏魯木斉に進軍してきた時、我々は歓喜しました。
国民党を追い払い、我らウィグル族の国家が建設されると聞いてとても喜んだ事を思い出します。
しかし、その独立も1973年に異星人が降ってくるまでのものでした――
――1975年、敦煌市にて人民日報のインタビューを受けた東トルキスタン人民共和国難民」
「偉大なる我が党は首都機能をモスクワより東方のハバロフスクへ移転する事を決定しました。
必ずや異星起源種共への反攻の礎となるでしょう。祖国万歳!
――1975年、プラウダ紙一面記事より」
「ソビエトの首都移転が本格的に始まりました。
共産主義陣営への防御として、我が国は東部国境に要塞線を再構築する事を決定しました。
美国及び日本より多額の援助が――
――1975年、満洲中央電視台19時のニュースより」
「美国より提供されたF-4戦術歩行戦闘機1個小隊が、本日我が陸軍に配備されました。
宮殿上空を飛行するその姿を協和帝陛下が閲兵されました。
本機は我が国の気温に対応するべく、寒冷地仕様を施されたもので――
――1976年、満洲日日新聞漢語版一面記事より」
「中共および民国首脳が会談。対BETA戦に向けて第三次国共合作が合意されました。
これにより統一中華戦線が成立。いまだBETA群の東進の気配はありませんが、東トルキスタン・チベット国境沿いの防御を固める予定との声明が出されています。国連各国はこの動きを歓迎し――
――1986年09月23日、満洲中央電視台12時のニュースより」
「我が国は統一中華戦線と協定を結び、西部方面への派兵が決定しました。
F-4M戦術歩行戦闘機2個大隊が派遣されることが決定されており、これにより西部戦線の安定を――
――1990年、満洲日日新聞漢語版一面記事より」
「新京の国立競技場にて、前線へ向かう学徒達の閲兵式が行われました。
協和帝陛下が式典に登壇され、ねぎらいの言葉をかけられ――
(中略)理工系科目以外の大学生達が戦時特例により尉官として――
――1990年、満洲中央電視台のニュース中継」
「拉薩陥落! チベット全域がBETAの手に!
――1990年、新京市内に配布された号外より」
「西安市陥落! 人民の皆さんは急ぎ東へ避難してください!
――1991年12月、中華人民共和国洛陽市に出された避難勧告」
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投稿者プロフィール
- サークル幻色灯代表にして雑用係。
専門はプログラミング。趣味はTRPGとPCゲーム全般。
読書は手当たり次第に読むタイプ。本棚がカオス。
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